猫のまにまに

フリーペーパー「猫のまにまに」「そのヒグラシ」発行人。本業はフリーじゃないライターです。

猫のまにまに

フリーペーパー「猫のまにまに」「そのヒグラシ」発行人。本業はフリーじゃないライターです。

マガジン

  • コラム

    落穂ひろい

  • ある歌人神官がみた明治

    物置から出てきた史料から、先祖は代々古い神社に仕えていたと判明。明治27年~明治33年に高祖父が詠んだ歌を紹介しつつ、ファミリーヒストリーを追っています。

  • ショートストーリー

    フリーペーパーに掲載したものの再録など

  • 観劇記録

    舞台、ライブなどなどの感想

  • 「飲食店ラプソディ ―何の飲食哲学の欠片もなく」

    「生きていくのが苦しいのは、自分自身の、自分だけの問題」と思っていたが、飲食店を開いてみると、大げさに言うならば、それは、世界の構造上みんなが抱えていた苦しさ…だった。(中原蒼二)

最近の記事

トリエンナーレ@横浜美術館。紛争、対立、人間として生きていく上で抱えていかねばならない業を芸術作品として開陳する3年に一度の企画。リニューアル後初となることもあってか、まったく容赦ない。

    • 「ある歌人神官がみた明治」、リアル世界でひとつの山場を迎えつつあります。

      • そろそろ「猫のまにまに」について話そうと<後>

        前編はこちら フリーペーパーを狭くて暗い立ち飲み屋に置き始めた理由  当時の私は、ライター職を休業して葬儀屋でアルバイトをしていた。ライターになって6年目、心身の調子をくずしてしまい、ライターとして取材したり原稿を書いたりができなくなってしまったのだ。  原因はよくわからない。ただまあ、必要な時間だったのだろう。書くことをやめて、ひたすら頭と体を動かし影ながら人を支えることに没頭するという時間が。同僚からはしばらく「潜入レポだ」と怪しまれていたけれど。  お通夜が夕方

        • そろそろ、「猫のまにまに」について話そうと<前>

          フリーペーパー「猫のまにまに」「そのヒグラシ」発行人、と名乗ってきましたが、そもそもそれがなんのなのかって話。※長くなったので前・後にわけます。 本題の前に告知  鎌倉の、小町通りと若宮大路の間、通称「裏小町」というエリアにある雑居ビルの2階に、「ヒグラシ文庫」という立ち飲み屋があります。  立ち飲み屋だけど壁面には古本が並んでいて、その本も売っている。カウンターの中に立つ人は日替わりで、その人によって酒肴もBGMも変わって、それぞれの雰囲気を醸し出す。  看板ドリンク

        トリエンナーレ@横浜美術館。紛争、対立、人間として生きていく上で抱えていかねばならない業を芸術作品として開陳する3年に一度の企画。リニューアル後初となることもあってか、まったく容赦ない。

        マガジン

        • コラム
          6本
        • ある歌人神官がみた明治
          15本
        • ショートストーリー
          5本
        • 観劇記録
          2本
        • 「飲食店ラプソディ ―何の飲食哲学の欠片もなく」
          5本

        記事

          4月20日(土)ヒグラシ文庫にて一箱古本市開催予定!…に、向けて別冊「猫のまにまに」をひそかに試作。たぶんコピー本で部数も少数だと思いますが、良かったらお手にとってください。

          4月20日(土)ヒグラシ文庫にて一箱古本市開催予定!…に、向けて別冊「猫のまにまに」をひそかに試作。たぶんコピー本で部数も少数だと思いますが、良かったらお手にとってください。

          さくら・サクラ・桜/ある歌人神官がみた明治(14)

          やっと桜の開花があちこちで聞かれるようになりました。葦の舎あるじの『随感録』から、桜ソングを一挙公開します。 明治28年 2首  いずれも、散る桜を惜しむ歌。まさに、「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)」だ。いつ咲くかと待ちわび、いつ見ごろになるかと気もそぞろ、もう散るかと惜しむ。散ってしまうとわかっているから満開の花を見ても寂しくなる。  ちなみに、葦の舎あるじの作歌には、ちょいちょい業平のこの歌の影響が伺えるが、孫娘にあたるタツは逆説っぽ

          さくら・サクラ・桜/ある歌人神官がみた明治(14)

          サブ手帳として使っているfILOFAXのミニ6サイズ、フィンスバリー。メイン手帳ばかり使ってるので出番があまりない。ちょっと使い途の変更を考え中。

          サブ手帳として使っているfILOFAXのミニ6サイズ、フィンスバリー。メイン手帳ばかり使ってるので出番があまりない。ちょっと使い途の変更を考え中。

          さよなら、闇堕ち お雛さま

          実家で四半世紀以上しまいっぱなしになっていたお雛様を引き取り、毎年飾っています。今の住宅事情では貴重となった七段飾り、でも飾るたびにちょっと複雑な思いになる。それでは聴いてください、「お雛様の闇堕ち」。  実家じまいで七段飾りのお雛様を引き取り、毎年飾るようになった。  お雛様を見に女友だちがやってきて大人のお雛祭りを催すなど、「楽しいひなまつり」が続いている。  実は上巳の節句3月3日は私の誕生日でもあり、年中行事の中でも雛祭りは特別な思いがある。  だが、この七段飾り

          さよなら、闇堕ち お雛さま

          もう3月も終わりだけど、ゆえあってまだお雛様でてる。まあ知ってる限りいくつかの美術館でも今月いっぱいお雛様を展示しているところがあるし。ただ、ほんとそろそろしまいたいのですが、連日の雨でしまうにしまえない。

          もう3月も終わりだけど、ゆえあってまだお雛様でてる。まあ知ってる限りいくつかの美術館でも今月いっぱいお雛様を展示しているところがあるし。ただ、ほんとそろそろしまいたいのですが、連日の雨でしまうにしまえない。

          <ショートストーリー>池のぬし

           久しぶりに帰省して、せっかくなのでそこらへんをちょっと歩いてみることにした。お昼までに戻ってくれば墓参にはじゅうぶん間に合う。  ついでに供花を買ってきて、スーパーで売ってるから、という母の声を背中に聞きながら、玄関の適当なスニーカーに足を突っ込んだ。  ところどころ新しい家に建て替わっている住宅地を抜け、通学路をたどってみる。少し坂をのぼるとみえてくる調整池は以前のままだ。危険だから近づいてはいけないといわれていた。江戸時代、田んぼの灌漑用に造られた池とかで、ぐるっと外

          <ショートストーリー>池のぬし

          「猫のまにまに」という漫画があるんですね…フリーペーパー「猫のまにまに」は2017年から不定期で個人的に発行して鎌倉の立ち飲み屋周辺で配ってきたもので、無関係です。なんか、すみません。いまんとこ猫要素ないのになぜ「猫のまにまに」なのかも…ごめんなさいね。

          「猫のまにまに」という漫画があるんですね…フリーペーパー「猫のまにまに」は2017年から不定期で個人的に発行して鎌倉の立ち飲み屋周辺で配ってきたもので、無関係です。なんか、すみません。いまんとこ猫要素ないのになぜ「猫のまにまに」なのかも…ごめんなさいね。

          <ショートストーリー>道の果て

          「だいだらトンネル(仮称)全面開通を早期実現しよう!」という色あせたスローガンを掲げたトタンの立看板が、風でベコベコ音を立てている。それ以外に主張するものはない、荒涼とした空地が広がっていた。  エンド・オブ・ザ・ロード。誰も通らない道路は山裾に突っ込むように唐突に終わる。その先はアスファルトの敷設もなく、もっさり生えたセイタカアワダチソウが、トタンの鳴らすベコベコにあわせて黄色い頭を振っていた。  私が知らない昭和とかいう時代に、この山のどてっ腹にトンネルを通して、隣町

          <ショートストーリー>道の果て

          ある歌人神官がみたかもしれない大正

          今回は小ネタです。葦の舎あるじの孫娘タツ、すなわち私の祖母が持っていた写真、撮影時期はいつで写っているのは誰なのか、考察してみました。答えは、はたして。先にいっておくと、わりと中途半端です。 証明写真サイズのちっさな写真  「ある歌人神官がみた明治」では、私の父方の高祖父(4代前の先祖)、“葦の舎あるじ”が書き残していた歌集『随感録』を読み解いている。  葦の舎あるじの戦前・戦後の写真を、私の祖母タツは何度か引っ越ししながらも、ずっと保管していたようだ。  当人は認知症

          ある歌人神官がみたかもしれない大正

          先祖の恋歌編、完結。永遠の愛をあの岩に誓うよ/ある歌人神官がみた明治(13)

          恋に破れた明治29年。ふたりで写真撮りながらも別れゆく明治30年。國學院卒業にともない帰郷した明治31年、ついに葦の舎あるじはめぐりあう。 たとえば千年 千年じゃ足りないか?  「ある歌人神官がみた明治」(10)でもふれたとおり、帰郷してまもなく葦の舎あるじの歌には「わぎも子(吾妹子:恋人)」の姿が登場する。  何気ない花見のお誘いのような歌ながら、どこか華やぎ艶めいた気配がする。一緒にうちの庭の桜をみようよ、が口説き文句になるとは。逢いたい逢いたいしつこく詠んでいた2

          先祖の恋歌編、完結。永遠の愛をあの岩に誓うよ/ある歌人神官がみた明治(13)

          舞台「タマリ」観劇記。良質なシチュエーションコメディの、イタく愛おしい者たち

           地元の推し役者が出演すると聞き、ラゾーナ川崎プラザソルへ。千穐楽の開場前、すでに行列ができていました。  脚本はNetflix「サンクチュアリ-聖域-」を手掛けた金沢知樹氏。元・芸人で、構成作家でもあるとのことで、テレビ業界の裏側の「我々一般人は実際に見知ってるわけじゃないけど、きっとこんな感じなんだろうなあ」っぽさ、見せ方がめちゃ上手い。  最終リハーサル前、収録スタジオ脇のスペースで繰り広げられるワンシチュエーション・コメディです。登場するのは、いずれもかつては一世

          舞台「タマリ」観劇記。良質なシチュエーションコメディの、イタく愛おしい者たち

          <ショートストーリー>梅は飛び桜は枯るる世に

           本家の庭にある梅の木に、「小太郎殺し」という物騒な名前がついていると教えてくれたのは叔父だった。私はまた小学生だったと思う。  大きな梅の古木は、いわゆる源平咲きという、紅白に咲き分けて花をつける種類だ。咲き分けの品種には有名な「思いのまま」という八重咲のものがあるが、この梅は一重咲で、まるで尾形光琳の紅白梅図屏風の二本の梅がひとつになったような佇まいをしている。  梅が咲く季節に本家を訪ねる機会はそうないのだが、記憶のなかの梅はいつも、夢かうつつか、静かに花びらを散らし

          <ショートストーリー>梅は飛び桜は枯るる世に