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細道、安穏、ブロック塀

皮肉にも、休みを充分に取ることができなかったことに端を発する突然の休養で、1年半ぶりに地元に帰ってきている。今回は心身の、特に心寄りの故障である。トラック運転手の休憩スペースを兼ねた広大な駐車場を持つコンビニを見ると、却って都心部における人間や建物の密度を実感する。今回の帰省、もとい撤退には、めでたい報告こそ殆ど無いけれど、僕を取り巻く物事や生活が最悪の局面を迎える前に、帰る場所が確かにあるのだ、ということが今はありがたかった。

明くる日、久しぶりに好きだったラーメン屋に向かう。田舎に似合わぬハイカラな店ができている、ここは店仕舞いしたのか、などと記憶と照らし合わせながら、行政の失策とも言える、あるのか無いのかよく分からない細い歩道を進む。
変わらぬ佇まいのラーメン屋は、いつの間にかタッチパッドや給水器、朝営業なんかも取り入れていて「なんだ頑張っているじゃないか」と、やや上からの目線で、感心と安堵の入り交じる感情を抱く。記憶と同じ味があるという事実は、それを頼みに帰ってくるだけの価値があるものだ。

花も線香も持ってきていなかったが、父方の祖父母の墓が近いことを思い出し、国道を外れて細い道へ入る。暖かい日差しと微かな潮風、野良猫の気配、幼少の思い出。色々なものに包まれて、目的地に向かった。

墓前に立つ。去年は帰ってこられなくてごめんねと、ひとまず手を合わせる。近くにある水道からバケツに地下水を汲み、柄杓と一緒にたぷんたぷんと持ってきたが、昨日までの冷たい雨は墓石の汚れを良い塩梅に流したらしい。湯飲みの水を入れ替え、ごく簡単に掃除をして改めて墓石に向き直る。
掌の温度をもう片方で感じながら、目を瞑る。静かな時間が流れる。
自分の不甲斐なさに涙が出そうになるが、悲しい時間、辛い時間は終わったのだ、終わったことにしたのだと思い出して、ひとつ息をついた。

・・・

儀式的な行為の中に、あるいは夜の無音の中に、己の神経質を発散させるようにして文章を紡がなければ、僕は生きていく上での全部を整理することができない。僕と似たような気質の友人らが、奇しくもいま同時に、社会とのたたかいで劣勢を強いられているようだ。
誰もが温かく包まれる夜を迎えられますように、と小さく願う。

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