そのまんまねこ

生きてます

そのまんまねこ

生きてます

最近の記事

散歩、濃縮還元、散歩

 半駅分のところにあるラーメン屋の庇、に取り付けられた薄橙の灯り、は球切れが近いようで、石灯籠の名残のように、ねぐらに帰る者や夜に繰り出す者を断続して照らしている。またすぐに朝が来て、まぶた越しに空に浮かぶ火球をみてみれば、エネルギーのある帰結としての赤一色がそこにあるだろう。  概念としての時間を持たぬとされるヒト以外の多くの動物は、明るくなって暗くなって、の繰り返しの現象をほんとうに生きているのだろうか。 ・・・  生命を守るための心身の背きを、素人ながら病理的に理解

    • 雪柳をみつけて(仮題)

       ラクリ、という小さな花を咲かせる塩生植物がございます。エンセイとは、塩に生えると書きまして、沿岸部など土中の塩の量が比較的多いところでも生き延びることができるように適応した植物一般のことを指します。少し生物学的な話をしますと、細く伸びる根っこに含まれる液胞(えきほう)という器官の中に、ほかの植物よりも多くのナトリウムを蓄えているために、塩分の多い環境でも枯れたり腐ったりしにくいと説明されています。ちなみに、ラクリという名称は、スペイン語で涙を意味する「ラグリマ」から来ている

      • ミー・トボールミ・ーツボーイ(前編)

         最近の昼食は食パン1枚だ。午後にカフェインなしでも眠くならない、丁度いい塩梅のようである。店で最も安い価格帯のものを買っては、いかに善く食べるかを日々考えている。この善いというのは必ずしも満腹感だけを求めたものではなくて、こうしたらそこそこ食えるものが出来上がるんじゃないだろうか、という好奇心(知的とは言うまい)をどれだけ満たすかに評価の軸がある。もちろん食のパン、なのだからそのまま食べてもそれは十分に美味いのだが、せっかく会社の冷蔵庫の一角を割り当てられたので、ここでもイ

        • 常温、自然乾燥、突発

          ひとり分の食事を作ること、僕が喋っていないときに部屋が無音であること、会社の人以外とは一言も交わさずに一日が終わること、掃除を怠っても怒られることがないこと、大きな病気や怪我をしてしまったとき、生き延びられる確率が恐らく低いこと、ゲームや動画のわずかな読み込み時間に我慢ならないこと。まさか、ずっと続いていくわけではないだろう、という無根拠な楽観は、時間とともに削がれていく。 ・・・ という下書きが残っているのを見つけた。半年前くらいに書き出しを作って、続きが思いつかずに諦

        散歩、濃縮還元、散歩

          朗読脚本『思考機関合法奪取』

          心理テストでもしましょうか。目を瞑ってみてください。 あなたは部屋にいます。部屋には北から順、時計回りに、ベッド、クローゼット、本棚、窓があります。窓の片側を覆うように置かれた逆光の位置にあるテレビには、青みがかったフィルターを通して撮影された、暗く長いアメリカ映画が映っています。音声は英語、字幕は中国語。立ち上がり、東側、クローゼットの脇にある内開きの扉から出て、キッチンを通り、玄関扉のチェーンを外します。共用のオートロックからマンションを出たら、まずは右に曲がります。少し

          朗読脚本『思考機関合法奪取』

          接地、寒の戻り、朝寥々たり

          いま僕の中で最もホットな絶望は、昨冬マンションの管理会社が行った自転車整理で、ずっと乗っていたママチャリが処分されてしまったことだ。研究室に行くときに通った裏道で、車の侵入を防ぐ金属製の杭にぶつからないように丁寧に蛇行した光景だけが、記憶の層の最も手前にある。 新学期はじめに行われる大学生協による販売会で「カゴのある、一番安いものはどれですか。」と人の良さそうな受付の女性に聞いたことを覚えている。今日より幾分かマシな曇天だった。 駐輪スペースに赴いて、所有者がいることを示す

          接地、寒の戻り、朝寥々たり

          失望なき朝、メンソール、喉を吹く風

          インスタントの味噌汁、のための湯を沸かしながら、自炊の境界へ少しでも近づく足掻きとして、パウチに入った味噌や乾燥している豆腐とワカメに加え、白出汁を少しだけ入れる。高まった塩分濃度をちょうど良い塩梅にするために、丁寧につけられた円筒の内側の線、よりも目測1cmほど多めに湯を入れてかき混ぜた。 ・・・ 必ずしも辛さを伴わない疲労が、新年度が始まってたかが3日間で、ごまかせないほどに蓄積している。薬によって弛緩させられた筋肉が訴えている。身体はもうまもなく起き上がっていること

          失望なき朝、メンソール、喉を吹く風

          こごえる、こらえる、こえる

          先刻つけたガス由来の火は一瞬の現象であったが、可燃の刻(きざみ)が己を燃やし尽くしてフィルターに達するか、酸素を失うかするまで消えることなく煙は立ち上るだろう。ほぼ同時に入れた紅茶が、唇を火傷させない程度まで熱を奪われるまでの口寂しさを埋めるには十分だった。 身体が温まったら、換気扇を消して外に出る。まず気温の上昇を告げたのは聴覚だった。普段は意識して目に留めることのない側溝から、冬の残滓を排出するためのじゃばじゃばという響きが聞こえてきた。雪はその全てがいつの間にか蒸発し

          こごえる、こらえる、こえる

          人工的薄明、打鍵音、洟

          堰を切ったように声が、文章が流れ出る。修練によって能力が上がったとか、格好の題材を得たというわけではなくて、そうするのに妥当な時間と空間を作ることに偶然成功しているのだと思う。 生活に少し色が付いた。休日が、人間としての最低限の欲望を満たすための余白ではなくなった感覚。舌が特別肥えたわけではないけれど、味の違いが分かる。草花への造形が深まったわけではないけれど、季節の移ろいを感じる。自分が傷ついたときに、麻痺せずそれを自覚する。 春眠暁を覚えず、とはよく言ったもので、西を向

          人工的薄明、打鍵音、洟

          白の眩しさに目を細む

          実家や、一軒家に暮らす友人の家を訪れた後に自分の部屋に戻ってきてみると、いかにひとつの部屋に機能を詰め込んでいるのかがよく分かる。ここは寝室兼、書斎兼、食堂兼、事務所兼、脱衣所兼、談話室だ。機能の境が曖昧になってくると、僕は扉を1つ隔てたキッチンに、蛍光灯を取り替えるための小さな脚立を持ってきて「こもる」ことがある。レンジフードの橙のライトを付けてほかを消すと、見える範囲が少し縮まって、なんだか居心地が良くなる。ついでに換気扇を弱でつけてみると、ざああという音にエネルギーが変

          白の眩しさに目を細む

          朗読脚本『遺書2(ツー)』

          遺言書、が法的効力を持つのに対し、遺書、あるいは今風にいえばエンディングノートというのは生前の気持ちを記しておく紙に過ぎない、と何かで読んだのを思い出しながら、文房具屋で封筒を選んでおりました。本日はお日柄も良く、僕が茨城県の南部にある実家を出て、大学をなんとか卒業してから、まもなく丸2年が経とうとしています。 僕は茨城県育ちではありますが、本籍は千葉県の銚子市というところにございまして、この近海は、日本で最大の流域面積を誇る利根川が太平洋に流れ込む、いわゆる汽水域にして、有

          朗読脚本『遺書2(ツー)』

          遠景の山、手許の怪談

          不動である、ということの恩恵は計り知れない。それを軸にして自分の立ち位置の変化を確かめることができるし、なんだか浮ついているときには一時的にしがみつくこと、あるいは自分を律することもできる。文章は、あるとき感じたこと、考えたことを固定したものであり、それ自体の「動かなさ」が僕にとっての価値に繋がっている。 エッセイ、小説、新聞、請求書、入浴剤の成分表示、ポイントカードの但し書き、なんかをじっと読むのが好きだ。かつては逃げ先として、今は楽しみとして。この文章は、僕が生まれて間も

          遠景の山、手許の怪談

          細道、安穏、ブロック塀

          皮肉にも、休みを充分に取ることができなかったことに端を発する突然の休養で、1年半ぶりに地元に帰ってきている。今回は心身の、特に心寄りの故障である。トラック運転手の休憩スペースを兼ねた広大な駐車場を持つコンビニを見ると、却って都心部における人間や建物の密度を実感する。今回の帰省、もとい撤退には、めでたい報告こそ殆ど無いけれど、僕を取り巻く物事や生活が最悪の局面を迎える前に、帰る場所が確かにあるのだ、ということが今はありがたかった。 明くる日、久しぶりに好きだったラーメン屋に向

          細道、安穏、ブロック塀

          微睡の汗、むらさきのにくしみ

          楽しかった一日の終わりにこそ立ちのぼる、日々の辛い部分への想像は、入眠という強制的なシャットダウンによって霧散する。普段であれば。 嫌なもの、不快だと感じることに触れるということを、社会に出て幾許か経ったいま、紳に書すがごとく、恥ずかしげも惜しげもなく残しておこうと思う。 取るに足らぬ雑談のうちの一言や、社会によく顕れるような場面で交わされるひとひらの言葉群が、無形を保ちながらも釘のように、心に力づくで押し入ってくることがある。厳密にいえば、その主体は誰かの言葉それ自体では

          微睡の汗、むらさきのにくしみ

          布帛の向うに欹てる

          凪いでいる。 文章を書き始めるときは、大抵何らかのきっかけがある。焦燥や不安、ある種の懺悔のようなものをそのスタートラインにし、疲れ果てたところをゴールとする。今夜はいつになく、夜がもう半分を過ぎていること、しばらくすれば遠景の山々がじわりと明るく見えてくることに対して、悲観していない。それは、先ほど作ったカレーがもっと美味しくなる予感がしているかもしれないし、深夜の河川敷に消えた紫煙のバタフライエフェクトかもしれないし、焦がした醤油と大蒜の効いたラーメンが、翻って僕らを酩酊

          布帛の向うに欹てる

          温む掌、雪虫舞う渓谷は縁

          部屋が散らかっている。片付ける片付けないの問題ではなく、絶対的に物量が多い。着なくなった服、必ずしも快い思い出を伴わないモノ、過ぎたるは猶及ばざるが如し的な学術書、エレキギター×2、アコギ×1、型落ちのプリンター、梟を模した満杯の貯金箱、等々。徐々に捨てたり売ったり、苦し紛れに配置を換えたりしているが、慣れとは怖いもので、このごちゃごちゃした感じも悪くないなと思い始めている。 一方で、僕の中の健康や良識を志向する部分が「掃除機をかけづらい」と文句を垂れてくる。一理あるのでほど

          温む掌、雪虫舞う渓谷は縁