ねぼろく

『少女☆歌劇レヴュースタァライト』を中心にアニメの批評・考察系のnoteを書くオタクで…

ねぼろく

『少女☆歌劇レヴュースタァライト』を中心にアニメの批評・考察系のnoteを書くオタクです。

最近の記事

私たちはもう、生まれながら舞台少女〜〜『舞台少女心得』を読む〜〜

1.はじめに過去に、以下のようなツイートをしたことがある。 しかし最近になって、こうした解釈が正しくないのではないかと考えるようになった。つまり、『舞台少女心得』の歌詞は劇場版のテーゼを見越した形で書かれたわけではなく、むしろ歌詞を読む「我々」の側の変容により、そのように歌詞が解釈されるようになったのではないか、と考えるようになったのである。 本稿では、対照的でありかつ類像的な『私たちはもう舞台の上』を補助線としながら、『舞台少女心得』の歌詞を読解し、それを通して、以上の

    • 「大事なことは舞台を降りて言ってよ」〜〜露崎まひる小論〜〜

      1.はじめに先日配信開始された『Star Darling』に私を含む多くのファンが衝撃を受けた。中でも注目に値するのは、露崎まひるの唯一のソロパート「ねぇ 大事なことは舞台を降りて言ってよ」である。これは表面的には、劇場版における大きな結論の一つである『私たちはもう舞台の上』と矛盾しているように見えるかもしれない。実際、「舞台を降りる」と言うことが明示的に示されたのは少なくとも私の把握している限りでは初めてで、「舞台の上」での振る舞いにこだわってきたスタァライトシリーズにおい

      • 「卒論合同」感想⑧ 〜VIII 魂のレヴュー〜

        前回に引き続き、感想を綴ります。これまでの記事はこちらから。 8-1. 「魂のレヴュー 毎秒感想」 らいせ(@20161018Wt)氏 読んでいて楽しかった。整理されたツイートを読んでいるようで、その一方で興奮や感情が全面に出ていて、面白かった。 考察の部分はほとんど完全に同意する。付言すれば、皆殺しのレヴューで真矢が敗れなかっことがクロディーヌを「再生産」させ、そのクロディーヌが真矢を「神の器」なる幻想から覚めさせたのであろう。 8-2. 「舞台少女の生まれ変わり ー

        • 劇場版の「市民革命」と「脱構築」〜〜『少女☆歌劇レヴュースタァライト』論後編〜〜

          ※※本稿には、歴史学や哲学などの専門的な知識が出てきますが、筆者はそれらに関する体系的な教育を受けておりません。誤った箇所や不完全な記述にとどまっている箇所がある可能性があります。その点をご承知の上お読みください。※※ 1. はじめに前半の内容をまとめると、以下のようになるだろう。 これを受けて、後編となる本稿では、上記のような階層構造が内側から崩壊し、完全に平準化された「平等」のもとに置かれていくことを、そしてそれこそが「私たちはもう舞台の上」ならびに「再生産」という劇

        私たちはもう、生まれながら舞台少女〜〜『舞台少女心得』を読む〜〜

          第1回スタァライト学会 感想

          本記事は、2024年2月23日に開催された「第1回スタァライト学会」のレポートです。 1. 開催までそもそも『劇場版』読解をいろんな人と共有したい/意見交換をしたい、という思いでnoteやtwitterを開設したので、「卒論合同」から派生する形で生まれた「学会」を見て非常に気になっていました。そこに運営募集の案内が流れてきたので、末席ながら加わらせていただきました。(運営としての準備の中でも色々と感じ入ることはあったのですが、どこまで書いていいかわからないので割愛します。)

          第1回スタァライト学会 感想

          想像/創造/奏像される『エルドラド』〜朗読劇『遙かなるエルドラド』感想〜

          2023年12月17日から18日にかけて公演された朗読劇『遙かなるエルドラド』。本稿は、その感想を記すとともに、そこから考えたことをまとめる。 1. 微妙だった率直に言えば、あまり刺さらなかった。し、加えて『劇場版』で込められていたメッセージのようなものは反映されていなかったような気がする。 簡単に言えば、ストーリーが単調に感じた。少年と少年が約束して、青年になって裏切って、恋愛の中で女性がそれに巻き込まれていく。こうした物語の筋は非常にありきたりなように思われた。もっと

          想像/創造/奏像される『エルドラド』〜朗読劇『遙かなるエルドラド』感想〜

          「卒論合同」を読んでいる話、あるいは「喧嘩上等」宣言(スタァライトアドカレに寄せて)

          (この記事は、ぼくのわたしのスタァライト 第二幕 Advent Calendar 2023に参加しています) 2022年10月10日に刊行された『舞台創造科3年B組卒業論文集』。『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』への想いがふんだんに詰め込まれた合同誌であり、管見の限り最も規模の大きい『スタァライト』の考察記事(集)である。 そんな「卒論合同」を、私は読んでいる。膨大な量の「卒論」を読んで、感想をnoteに残している。それは、非常に楽しい営みであると同時に、非常にエ

          「卒論合同」を読んでいる話、あるいは「喧嘩上等」宣言(スタァライトアドカレに寄せて)

          ネクタル、睡眠退散、トマトに関する議論の軌跡

          先日投稿した卒論合同感想note⑦をきっかけに、「ネクタル」「睡眠退散」に関する議論が月嶹ぽらるさん(@tsukipola)と盛り上がり、それがとても良い結論に達したように感じたので、備忘録としてここに残します。 きっかけ:ねぼろくのコメント 議論の対象となったのは、大道具室のシーンと「魂のレビュー」直前の楽屋のシーンに共通して登場する「ネクタル」と「睡眠退散」の位置付けに関して。「『睡眠退散』を飲むということ」という記事への感想・コメントとしてあげた以下のような文章に、

          ネクタル、睡眠退散、トマトに関する議論の軌跡

          「卒論合同」感想⑦ 〜VII 楽屋〜

          前回に引き続き、感想を綴ります。これまでの記事はこちらから。 7-1. 「『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』ロングラン上映と座席稼働率の調査レポート」 あさだ(@k_Asada87)氏 書き出しから笑ってしまった。「集団幻覚かもしれないからそれを検証しよう!」という動機は初めて見た気がするが、その気持ちもわからなくはない気がする。集団幻覚でなくてよかった。ただ、集団幻覚だったとしても、それが我々の人生に及ぼした影響(非常に重大な!)は変わらないので、その意味で「集

          「卒論合同」感想⑦ 〜VII 楽屋〜

          自分を生きる、世界を生きる 〜『幻日のヨハネ』考〜

          1. はじめに 〜鏡の中のサンシャイン〜「幻日とは、太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える大気光学現象のことである」(Wikipedia)。そしてアニメ『幻日のヨハネ』とアニメ『ラブライブ!サンシャイン‼︎』との関係は、これに類似している。よく似た登場人物なのに、全く違う物語。けれどどこかよく似たモチーフやメッセージ。 以下では、「鏡の中のサンシャイン」とも言える(自らが名乗っている)世界の中で、ヨハネやその他の登場人物たちがいかに生きているのか、そして、物語の中

          自分を生きる、世界を生きる 〜『幻日のヨハネ』考〜

          「卒論合同」感想⑥ 〜VI 狩りのレヴュー〜

          前回に引き続き、感想を綴ります。これまでの記事はこちらから。(製作委員の方にまとめていただいていました。ありがとうございます。) 6-1. 「大場ななはなぜ星見純那を殺せなかったのか ー狩りのレヴューに見る三島由紀夫の死とエロスー」 たちかぜ(@SteelRain_Lily)氏 まず、切腹における「見る」「見られる」の構造の指摘は興味深かった。その上で、本稿で指摘されていた「舞台」という要素もさることながら「映画」の要素も同様に重要であろうと感じた。というのも、狩りのレヴ

          「卒論合同」感想⑥ 〜VI 狩りのレヴュー〜

          「卒論合同」感想⑤ 〜V 怨みのレヴュー/競演のレヴュー〜

          引き続き、感想を綴ります。過去のものは以下です。 ① I Introduction, II 皆殺しのレヴュー ② Ⅲ 大決起集会 ③ Ⅳ station zero ④ Ⅹ ワイルドスクリーーンバロック 5-1. 「幼馴染との付き合い方に関する関連性と傾向 「怨みのレヴュー」を通じて」 ビーン(@bean_vanilla21)氏 引用されている諸作品を見たことがないのであまり言えることはないが、概ね「そう」だと思う。「「過去」の文化をなぞりながら、「未来」へ向かうため互いに

          「卒論合同」感想⑤ 〜V 怨みのレヴュー/競演のレヴュー〜

          歌う、生きる、食べる、話す〜〜『幻日のヨハネ』第1話感想

          1. ヨハネの挫折『ラブライブ!サンシャイン!!』は挫折の物語だと、誰かが言っていた。挫折からいかに立ち上がるか、立ち上がっていかに輝くかの物語であると。『幻日のヨハネ』においても、物語は挫折から始まると言えるかもしれない。7度目のオーディション落選を経験し16歳の誕生日を迎えたヨハネは、2年のタイムリミットが切れ、仕送りが途切れるのだ。 ここにおいて注目したいのは、ヨハネの挫折と千歌の挫折は質が違うということだ。千歌の挫折は徹底的に精神的なものであったのに対し、ヨハネの挫

          歌う、生きる、食べる、話す〜〜『幻日のヨハネ』第1話感想

          「卒論合同」感想④ 〜X ワイルドスクリーーンバロック〜

          引き続き感想を綴ります。今回は訳あって順番が前後しています。 ①はこちら。②はこちら。③はこちら。 10-1. 「劇スにおける星摘みカウントについて」 白隼(@shirohayabusa16)氏 今までなかった視点ばかりで非常に面白かった。 「トマトのヘタの数」についての視点は、そもそもそれぞれが「異なる」トマトであるという意識をしていなかったので驚きだった。それと「星摘みカウント」の関連はもう少し考え甲斐のありそうで関心がそそられる問題であるが、それぞれに固有の意味づけ

          「卒論合同」感想④ 〜X ワイルドスクリーーンバロック〜

          wi(l)d-screen baroqueとは何だったのか、ワイドスクリーン・バロックを読んで考えた

          0. はじめに『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』は、様々なジャンルから無数のモチーフを引用している。野菜で構成されたキリンはジュゼッペ・アルチンボルドの絵画を下敷きにしたものであるし、『スーパースタァスペクタクル』には映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』からの引用が見られるという。そんな本作の中でも、最も明示的に、かつ印象的に引用されているのが、本作の中心に位置する「wi(l)d-screen baroque」であろう。これは明らかに、ブライアン・オールディス

          wi(l)d-screen baroqueとは何だったのか、ワイドスクリーン・バロックを読んで考えた

          斉藤朱夏に泣かされた話

          何気なく再生した斉藤朱夏さんの楽曲『僕らはジーニアス』に泣かされた。我々にお手本を見せるように力強く突き進まんとする姿に勇気づけられた。 そこには、ぐんと前に手を引いてくれるようでもあり、同時に後ろから優しく背中を押してくれるようでもある、「ヒーロー」斉藤朱夏がいた。 「気の持ちようで何とでもなる」という主題の楽曲は、この世に五万とある。しかしその中でも、小気味良い歌詞はこの曲ならではの特徴であると感じられる。 「平均点つか及第点」→「限界点は通過点」、「恥もべそもかき捨て

          斉藤朱夏に泣かされた話