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アルバイトの思い出

 前に書いたかもしれませんが。大学時代は実家から仕送りを受けつつぼちぼち貧乏生活をしていましたが、学期中は学業優先で過ごしており。それでも学食で見つけた皿洗いのバイトを週2回、1回2~3時間ほどやってました。
 ここでの働きが認められたようで。

 この学食、外部の業者さんがやっていたのですが、土日には大学のチャペルで結婚式、学食で披露宴なんてあって結婚式の皿洗いのバイトにも誘われました(これがいいのは披露宴で余ったスパークリングワインのおすそ分けがある!)。郊外のYMCAのキャンプ場とか宿泊施設の給食施設もやっていて、夏休みなどの長期休暇に調理補助に入れてもらうこともありました。
 もともと食べること、料理することには興味があったのですが、こうしたコックさんたちとの長期泊まり込み生活はその後の考え方にも影響を与えたかもしれません。

 特に1年目の野尻湖での調理補助は2人~3人のコックさんと泊まり込みの共同生活みたいな感じで、私は皿洗いと盛り付けが主な担当なのですが、仕込み時には毎日何十という玉ねぎの皮を剥いたり、昼前には何十何百というおにぎりを握ったり、切り身を取った鮭のあら(骨)から身をほぐしたり(これが鮭のクリームコロッケの材料になったりする)、簡単なゼリーのようなデザートを作らせてもらったり、いろいろ経験させてもらいました。おにぎりを握るのは、今でも早いし上手ですよ。

 他にも学部時代は三越のお中元お歳暮の配送センター(晴海)でのバイトやら富士フィルムでの写真つき年賀状印刷のバイトやら、院生時代は24時間警備バイトやらもしましたが(ええ、貧乏学生でしたから)、この調理補助のバイトが一番印象に残っています。朝6時から夜8時まで、午後に2時間ほどの休憩はありますが1日12時間労働、3食つき宿泊費無料(二段ベッドのタコ部屋みたいなところ)ですが、1日1万円だったかな。働いている間はお金を使わないので、貯まりましたよ(笑)。ストレスも。

 家庭教師もちょっとだけやったことがあるんですが、私には向いてなかったな。同級生は時給4千円とか5千円の家庭教師をやってましたが、僕は無理だったな。小中高で教員に不信を感じていた自分が(そして教育能力に自信のない自分が)教員をやっているのが不思議な感じ。大学で教育学科なのに教員養成科目を取得してなかったのに(苦笑)。

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