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幼い頃、母からの愛を渇望していたことを鮮明に覚えている

私の母は無口だった。 

話しかけても無反応、返事もないのがほとんど。 たまに返事をしたと思えば怒っている。
なんで怒っているのか分からない。

幼い頃、母が笑っていた記憶がない。

自分が良くないことをしたからか。
自分が良い子じゃなかったからか。

自分が悪い子だからと思った私は、良い子でいるように頑張った。

当時私が考えた良い子は、成績の良い、褒められる子でいること。要は他人と比較し優っていることだった。

一番古い記憶が、保育園の縄跳び大会。多く回数飛べたら優勝というシンプルなもの。

私とAちゃん、2人が最後まで残った。

正直足もガクガクで喉も乾いてしんどくて、もう止めたかった。

でも止められなかった。

「1位とったらお母さんが喜んでくれる」

幼い私を突き動かすのはただそれだけだった。

Aちゃんが限界を迎えて縄跳びを止めたとき、私はAちゃんの記録プラス1回で縄跳びを止めた。

1位をとった私は、迎えに来たお母さんに「1位になったよ!!」と伝えた。

お母さんから「良かったね。」と言われた。笑顔だったかどうかはよく覚えていない。

でも、その言葉がただただ嬉しかった。

そういった大会は毎日あるわけでもなく、また話してくれない、不機嫌なお母さんに戻る。

保育園の迎えが遅かったのも、お母さんが私を嫌っていたんじゃないかと思っていた。

当時お母さんは専業主婦、お父さんはサラリーマン。

バスで帰る子たちは15時過ぎ、16時過ぎに帰る。

保育園の近くに住んでいた私は、お母さんの車送迎。

バスで帰る子、車で帰る子を見送って、一番最後の18時。

なんでお母さんは早く迎えにこないんだろう。私と一緒にいたくないのかな。

悲しくなった。
でも先生の前では泣かないようにした。

私はお母さんにはもらえない愛情をお父さんに求めた。

いつも笑顔で不機嫌な時はないお父さん。甘やかしてくれるお父さん。

いわゆるお父さんっ子になるのも当たり前だ。

お父さんが仕事で帰りが遅くなると、お父さんのいない、お母さんと食べる夕食に緊張した。

「ご飯」とお母さんに言われて食卓につく。

不機嫌な顔で何も喋らず、機械的に口に食べ物を運ぶお母さん。

箸と茶碗を持ち、お母さんの顔を伺う。

話しかけても反応がないんじゃないか。こわい。

団らんとは遠くかけ離れた、ただの栄養をとる食事。

夕食にお父さんにいてほしかったからか、ただお父さんが好きだったからか。
毎日夕食前にお父さんの携帯電話に電話をかけるようになった。

「何時に帰ってくる?」

最初は携帯番号が書かれたメモを見ながら打っていたけど、覚えてしまった。

幼い頃の記憶とはすごいもので、今でもお父さんの携帯番号を覚えている。

そんなお母さんでもたまには機嫌の良い時がある。

なぜ機嫌が良いのかは分からなかったが、嬉しかった。

お母さんが笑ってる。

それだけで嬉しかった。

小学生になってからもお母さんの愛がほしいがために、愛をくれるお父さんに褒められるのも嬉しくて、成績の良い、褒められる子でいることを続けた。

宿題は率先し忘れることなんて日はない。テストでは100点。

学校で定期的に行われた書道コンテスト、絵画作品は軒並み入賞。

中学校では積極的に生徒会やクラス委員長といった模範的な良い子でいた。

だからといって、お母さんが変わったことはない。

親しい友人もでき、親に求めていた愛は友人とのコミュニティによって緩和された。

両親だけが自分の居場所じゃないと知った。

高校生になり、両親のために宿題することも良い子でいることも面倒になった。

成績はガタ落ちだ。

成績表を手に取った両親は別に怒りもしない。

怒られなかったのも、どうでもよい存在に扱われているみたいで悔しかった。

今まで頑張ってきたのはなんだったんだろう。

愛がほしい、ただの寂しがりやだった。

自分の成長とか、目標とか、そういったもので頑張ってきたわけでもなく。

ただ愛がほしくて頑張ってきた自分は、何を頑張れば良いのか分からなくなった。

他人に優劣つけて褒められる子でいたがために、プライドだけが高くなった。

最悪だ。

高校生を卒業し、地方都市の専門学校に入り、一人暮らしを始めた。

一人暮らしを始めた時は、それはそれは寂しかった。

無音。孤独。

何気ない会話でも、会話しなくてもその存在だけでも。
誰かが家にいるってことは、決して当たり前ではなくありがたいことだった。

連休に帰省。

久々にお母さんに会うと雰囲気が柔らかくなっていた。

もしかしたら、お母さんも私が離れて暮らすようになって寂しくなったのかもしれない。

それか、私というストレスから開放されたのかもしれないとも考えた。

理由は何であれ、実家にいた頃よりも、お母さんとの距離が少し縮んで嬉しかった。

専門学校を卒業し就職。

学生の頃よりも両親と会える頻度は少なくなった。

だからなのか、会える時はお互い一層笑顔になっていた。

お互いが貴重な時間と分かっているのだろう。

多くのことを話した。

いつもは早くに就寝するお母さんが、遅い時間まで一緒に過ごしてくれた。

私は結婚することになった。

実家に帰省し、結婚式でのプロフィールムービーにつかう写真を探していた時。

保育園のアルバムを見た。
保育参観の日、母と移った写真。

母は笑っていた。

「あ、笑ってたんだ」

何故か涙がこぼれてきた。

私が笑顔のお母さんに気づけなかっただけだったのか。

勝手に不機嫌と決めつけていたけど、お母さんも苦しいことがあったんじゃないか。

こわいと思って話しかけられなかったけど、お母さんも声をかけづらかったんじゃないか。

涙がどんどん溢れてぐちゃぐちゃの顔になっていた。

お母さんの愛は確かにそこにあった。

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