見出し画像

いい写真は僕でも撮れる その2

 こんにちは!

 昨日は幡野広志さんの写真のワークショップ『いい写真は誰でも撮れる その2』に参加してきました。僕は前回のワークショップ『その1』にも足を運んでいたのですが、この記事では前回と比べてどのように変化があったかということも含めて、所感を書いていくつもりです。1回目には参加したけど、2回目はまだ迷っているという方の参考にもなればいいなと思います。よければ最後まで読んでいただけると嬉しいです!ちなみにワークショップで教えていただいた具体的な内容に関しては、公表されている部分以外には触れていません。意図せず間違った情報として伝わってしまうかもしれませんからね。

 なお前回『その1』の感想はこちらからから。今読み返すと恥ずかしくて目を逸らしたくなります。できれば読まないでください。いや、やっぱりいいねだけしてから閉じてください。何卒よろしくお願いします。

 さて、気を取り直して本題に移りましょう。まず全体を通しての感想ですが、とにかく非常に学びの多い一日でした。ただ一言で学びといっても、いろいろありますよね。僕の感覚としては、新しい知識が増えたというよりは、写真を撮る際のスタンス、もっというと写真を撮るという生き方を選んだ人間の心構えのようなものを、納得感を持って理解したという感覚でしょうか。まぁ安易に理解したと表現するのも危ういんですが、それでもその一端には触れられたんじゃないかなぁと。これは僕自身がワークショップ『その1』に参加していたこと、それから先日発売された幡野さんの著書『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』を読了していることなどにも起因しているかもしれません。一度だけではわからなかったところも、二度三度と繰り返し学ぶことで、理解が深まりますもんね。

『いい写真は誰でも撮れる』と同『その2』の違いは、カメラや撮影の知識に関して、もう一歩踏み込んだ説明をされている点です。『その1』では、カメラを買ったばかりの完全な初心者でも参加できる内容であったのに対し、今回は撮影時のカメラの設定に関する詳しい説明は省略され、写真も事前に撮影してきたデータを持参するという形をとっています。とはいえ、初心者向けの講座という位置付けであることに変わりはなく、「その1に参加できてないんだけど…」という人もあまり気にする必要はないかと思います。ただ、書籍は読んでおいた方がいいかもしれません。
 というか『その1』に行きそびれた人に限らず、『その2』に臨む方は事前に書籍を読んでおくことをお勧めしたいです。ワークショップは書籍の内容がベースになっているため、事前に予習しておくと、受講時の知識の吸収効率が段違いになるんですよね。書籍に書いてある内容は基本的にメモを取る必要がなくなるので、幡野さんの話に集中できるし、書籍に書いていなかった説明だけサッと書き留めておけば、後で見返しやすくもなります。何よりも納得感を持って話を聞くことができるので、きっと充実感が全然違いますよ。

 それから、事前に撮影した写真データを持参するとは言っても、実際にカメラを使って撮影をする時間もちゃんとあります。具体的には被写体との距離の取り方や、室内でものを撮影する方法を学ぶのですが、ここが『その1』にはなかった、一歩進んだパートですね。特に光については、かなり実践的だなぁと感じました。物体が反射した光を投影しているのが写真ですから、ある意味では最も本質的な学びの部分といえるかもしれません。

 ワークショップの話とは少し離れますが、光の扱い方というのは文化的な観点からも非常に興味深くて、西洋の歴史的建造物は光がどう当たると美しく見えるのかっていうことが綿密に計算されているんですよね。以前、僕が行ったガウディのサグラダファミリア展でも、そういう解説を目にしたことを記憶しています。キリスト教における宗教的な神聖さの表現は、建築物の設計思想にも如実に現れていて、美しさとか、洗練さとはどういうことかを理解するためには、こういった歴史を学ぶのも大切だと感じました。そして、これこそが「写真は写真以外のことから学ぶ」という姿勢になんじゃないかなぁと。

 ついでに「写真以外から学ぶ」に関連してもう一つ。以前、ガンダムの生みの親である富野由悠季さんが「アニメばかり見ている人間のつくるアニメはつまらない」という趣旨のことをおっしゃっていたんですが、当時はその意味がよく理解できなかったんですよね。普通に考えたら、その道を極めた人の方がいいものを作りそうじゃないですか。だけど、僕自身も映画や美術作品、歴史に至るまで、いろいろなことに興味を持つようになった結果、その真意が少しずつわかるようになったきたんですよね。いや、ちょっと言い過ぎたかも。でも雰囲気だけは、なんとなくわかったような気がしています。
 具体的なことを話しますね。かつて僕にもアニメをよく見ていた時期があったんですが、その時に自分でもストーリーを考えてみたりしてたんです。いわゆる二次創作的なやつですね。これ、今思い出すと顔から火が出るくらい恥ずかしい内容です。当時は真剣に面白いと思って考えていたはずなのに、ですよ。当然、内容も凡庸で詰まらない。何が言いたいかと言いますと、これは才能云々以前の話なんです。つまりは自身がインプットしてきたもの以上のアウトプットって、出てこないんですよ。どこまでも真似事止まりになってしまう。一辺倒なインプットだけでは、良質なアウトプットは望めません。新しいものを生み出したいのなら、様々な分野からたくさんの知識や経験を吸収しなければならないのだと、実体験として学んだ出来事でした。

 話を写真に戻しますね。僕の個人的な感覚としても、インプットの種類や量が増えれば増えるほど、写真がよくなっていくという実感があります。いつ何をどのようにして写すかというシャッターを切る瞬間の判断は、自分の感情の揺らぎや情緒的な部分が、非常に大きく関係しているんですよね。その感覚を養うためには、自分が何を好きで、何を美しいと感じるのか、深く理解することが大切なんだと思います。そのために、映画を観たり本を読んだり、写真以外のことに積極的に触れていく。幡野さんがおっしゃっている「写真以外から学ぶ」を僕なりに解釈したのが、今述べたようなことです。学べば学ぶほど、写真の奥深さを感じますね。

 そこそこ長くなってきたので、最後に当日印象に残ったことをいくつか書いて終わりにします。もう少しお付き合いください。
 まずはことばについて。幡野さんは写真とことばの関係についても度々言及していらっしゃるんですよね。何かを伝えることが写真の目的なのだから、適切なことばを添えるというのは確かに重要です。僕が撮影した写真は、ことばがないと伝わりにくそうなものだったので、もしかしたらその重要性は他の人より高いのかもしれません。ちなみにこのnoteは毎日書き続けていて、今の連続更新記録は130日ちょっとくらい。『さみしい夜にはペンを持て』を読んだのがきっかけで始めた取り組みです。noteは毎日更新しているけど、写真も毎日最低1枚は撮るようにしようかな。ことばを磨くと同時に、写真をもっとたくさん撮りたくなってきました。継続は力なり、です。これはnoteを書いていて、心の底から実感していることです。

時間の経過とともに目に映る景色が変わっていく。

 あとはそうですね。お昼ご飯の話をしないわけにはいかないでしょう。なんと今回のワークショプでは、and recipeの小池さんがお昼ご飯を作ってくださったのです!幡野さんが説明している後ろから、お肉の焼く音がする…。なんだこの状況?
 いいえ。細かいことはいいのです。だってとてもおいしかったんですもの。途中、玉ねぎが目に染みたのもご愛嬌。頭もお腹もこころも満たされるワークショップ『いい写真は誰でも撮れる その2』。おすすめです。

 それではまた!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?