子育て#6娘の事~出産~
息子と娘は社会人となりそれぞれ独り暮らし。
娘は先月約1年半ぶりに帰省。その後その時に家に忘れ物をした事が発覚し再度帰って来た。
コロナ禍が落ち着くといいなぁ。
まだ怖くて頻繁に会えない。
娘を出産する時は、息子の時の様にはすんなりとはいかなかった。
まず妊娠が分かって暫くすると息子の時と同様に不正出血。
切迫流産の疑い。
自宅で安静。
約1ヶ月程は布団の中でゴロゴロ。
出来るだけ動かない様に。
買い物は宅配業者に依頼。
料理は簡単に出来る物。
つわりも始まりかなりヘロヘロ。
お米の炊ける臭いが辛かった。
特に夕食時は食べる事ができなくなってしまった。
その安静のお陰か。
安定期に入りなんとか通常の生活が出来るようになった。
8ヵ月を迎えた頃お腹に痛みが…定期的に痛みの波が来ている。
慌ててかかりつけクリニックに連絡し、すぐに診察をしてもらう。
診察の結果、やはり切迫早産の疑い。
まだ出産には早い。子供もまだ小さい。
提携している大学病院に緊急入院となる。3分間隔の張りがある。
すぐに陣痛が起こらない為の点滴に繋がれ、ベッド上での生活が始まった。ベッドの隣にはポータルトイレ。トイレすら歩いて行く事を禁じられる。薬のお陰で張りは弱くなった。
4人部屋だった。24時間ずっと一緒の生活。気も遣ったが、子供を無事出産する為の入院なので不思議な連帯感もあった。
そんな生活が2週間程続いた。
2週間中に満月が近づくとお腹が張るという経験もした。
満月、新月の夜になると陣痛で運ばれてきた妊婦さんが分娩室に。その波は私達入院している妊婦4人にも影響がある。全員がお腹が張ってしまうという不思議な現象。
私達は月の満ち引きに影響を受けているんだという事を改めて体感した2週間だった。
影響を受けながらもなんとか持ちこたえ、ある程度子供の発育もみられたので9ヶ月を迎える頃に点滴を外し退院。
しかし自宅で過ごした2日目の夜23時過ぎに破水。
夜、布団に横になっていたのだが風船が割れたような「パチン!」とお腹の中で弾ける感覚。
ジワッーっと濡れてくる。
あっこれが破水なんだ
本で読んでいた『破水』を改めて理解し、病院に連絡。
バスタオルを当てながら主人の運転で病院へ向かう。
すぐに分娩室へ。
まだ子宮口があまり開いていないという事で、主人は一旦自宅に帰る事になった。
自宅までは約10分。
「暫くは大丈夫と思いますが何かあったらナースコール押して下さい」と看護師さんはいなくなってしまった。
分娩室で1人横になっていると30分もしないうちに急にお腹の張りが強くなりどこかにあるはずのナースコールのコードを必死に探した。
息子の出産時を思い出すようなお腹の張りは急激に限界のような感覚。
なんとかコードを見つけナースコールを鳴らす。看護師さんが来てくれた。
私の様子に慌てて「すぐに先生呼んで来ますから」と走って行っている。
私はマジでヤバイ。
先生が来た時には…
「よく頑張って待っててくれたね。ごめんね~。子宮口全開。もう頭が見えてる。力はもう入れないでふーふーって息吐いて…」
先生が来てから5分もしない間に娘は生まれていた。超安産だった。
勿論、自宅に帰った主人は「生まれた」との連絡を、帰宅してすぐに受けまた病院へ。
娘はとにかく生まれたがっていた。
しかし誕生の翌日。
飲んだ母乳を吐き戻し、黄疸も。
成長がまだ未熟だったらしい。
摂食障害。
点滴も漏れてしまい中止。
生まれた時には2506gあった体重がどんどん減ってしまい2170gに。
栄養が取れないので未熟児センターへ入院となってしまう。小さな手に点滴の管、足の裏には血液検査の傷の跡。
私だけが数日後に退院をする。
娘はそれから暫く未熟児センターに入院したまま。
私の搾乳して持参した母乳は、まずは看護師さんがスポイトで数滴飲ませる事から。飲めるようになったら徐々に量を増やしていくらしい。体重がまた2500g越えた頃に退院する事となると説明された。
抱く事も出来ない。
娘は小さくて小さくて壊れてしまいそうだったけれど。まだ2100g程度ある。
未熟児センターには超未熟児といわれる1kg未満の子や心臓や臓器に疾患があり管や呼吸器に繋がれた、テレビで見たことがある様な子供達が沢山いて日々戦っていた。
胸が痛んだ。
半年、1年、1年以上もその子達がここに入院していると聞いた。
たまらなかった。
そして私の娘がこのまま飲んだり食べたりできなかったらと考えてしまう事もあった。
無事に退院。ほっとした。
娘が大きくなってくれた事。
それだけで奇跡。
生まれてきてくれてありがとう。
他には何も望まない。
ただただ元気でいてくれればそれだけでいい。
可愛くて可愛くて仕方がない。
完全なる親バカです。
読んでいただきありがとうございます
今日も明日も良いことがありますように