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子育て#9娘の事~学級崩壊~

学級崩壊。

それは約20年前位から徐々に耳にしていた悲しい響き。

まさか自分の子供のクラスが機能不全になってしまうなんて思いもしなかった。

あれは娘が4年生になって、2度目の授業参観だった。

まず教室に入った私は違和感を感じた。

子供達の様子が変だった訳ではない。

前方の黒板の横に大人の背丈程の棚がありその棚の上に目が釘付けになってしまったのだ。

それは少し大きめの花瓶に生けられた花なのだが、全て茶色く枯れており何ヵ月も放置されていたのではと思われたからである。

他の保護者からそんな話題は上がらなかったので保護者会で言ってみた。

先生は「忙しくて忘れていました」

えっ?

いつから?

新学期が始まってすぐの保護者会では委員決めをする為にこの教室に入ったが、先生の机の上に飾ってあったようななかったような…

ちょっと

かなり

心配になった。

先生、余裕無さすぎ、大丈夫かなぁと。


夏休みが終わって2学期の授業参観。


それは授業が、授業になっていなかった。

保護者が後ろにいるにもかかわらず、先生の声は聞こえず何と言っているのかが分からなかった。

それなのにずっと先生は1人で話し授業を進めていた。

子供達の多くが近くの子と楽しそうに話をしているのと、先生の声が小さかったのが原因と思われた。

授業参観の日にである。

私の中の授業参観は、背筋を皆伸ばし、学級会で決めた『全員分からなくても手を上げる(当てられたら困る子供は手のひらをぐーにしてあげるなど)と決めて活気ある授業風景を保護者に見せよう』と先生も子供達も張り切っていた印象しかないのだが。

半数の子供が前や後ろや隣の子供と話している。

それは45分の授業の間ずっとだった。

きっと普段はもっと酷いのではと思わされた。

子供達が下校し、保護者会が始まる。

あまりの授業の様子の酷さに先生の改善すべき事、保護者で何か出来ないかなどの意見交換が始まり遅くまで話し合う事となった。

先生に状況説明するように質問しても納得のゆく解答は返ってこなかった。

先生1人の責任を問うのではなく、保護者として…当たり前の授業、当たり前の学校生活を子供達が送る為に何をしなくてはならないか。

保護者が団結するのは早かった。色々な質問が上り、意見が出された。

最終的には保護者の代表が校長先生に訴えに行き、授業中もう1人補助の先生を入れてもらえるように依頼した。

更に保護者で時間に余裕のある人が見守りに教室へ行く事を許可してもらえる様にと校長先生に訴えた。

次の日から沢山の保護者が学校に出向いた。

保護者は何もせず教室の隅にいるだけ。

少しずつ保護者の皆が時間を作り沢山関わる事でようやく改善したかと思われたが…

ある日とうとう、担任の先生は休職してしまった。

何がどうだからこうなったのかは分からないまま。

全ての歯車がずれてしまっていたのだろう。

暫くは教頭先生が担任としてクラスを運営。

授業は手の空いている先生が総出で行ってくれた。教頭先生も、校長先生も。

複雑な思いもあった。

子供達が可哀想だった。

改めて臨時教員として採用された先生が担任になり暫くすると落ち着いてきた。

それまでの約4ヶ月近く、私達保護者は毎日の様に誰かが教室へ出向き子供達の様子を見守ってきた。

学校生活で経験したくなかった事。それが娘のクラスで起きた学級崩壊。

そんな状態で何とか学年末を迎えた。

進級。

新学期。新しく来た新卒新任の女性の先生が娘の担任になった。

すぐに授業参観。

心配だったが、ほっとした。

背筋をピーンと伸ばした子供達がそこにはいた。

先生の印象も、可愛らしいがはきはきとしていて、更に自分の思いも子供達に伝えながら授業を進めている。

子供達も活気があり色々な意見を発言出来る場面が沢山みられた。

家に帰って娘に聞いてみると「学校が楽しい。去年の事を考えたら幸せ。先生が大好き」と。

大変な思いをして過ごした前年度。その経験をしたからより楽しく感じたのだろうし、先生の情熱を感じる事が出来たのだと思う。

大変な経験をしたけれど、無駄な事は1つも無いと思う。

しかし楽しい経験も沢山して欲しい。

まだ娘の人生は始まったばかり。

読んでいただきありがとうございます

今日も明日も良いことがありますように(薔薇)


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