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子育て#10娘の事~娘の成長~

既に社会人となった娘の幼稚園は年少から。

身体は同じ学年の女の子と頭1つ分小さく、小さな小さな子供だった。

息子が既に通園して年長にいたので娘の事を知っていてくれるご家族が沢山いた。

お人形さんみたいだとみんなから構われすぎていつも泣いてしまい先生達に抱っこされるのが日常だったようだった。

そんな娘も年中、年長になり仲の良いお友達ができたり年少の子のお世話をしたり少しずつ縦割り保育の幼稚園での居場所を見つけたようだった。

ある時クラスのお友達の1人がバレエを習いたいと言い始めた。その影響で娘も習いたいと。

私の育児は放任主義であったが、子供達のやりたい事は出来るだけやって欲しいと思っていた。

数人で他の子供さんが通っているバレエ教室を見学に行った。

私は悩んだがその見学した所とは違う所、昔私が通っていたバレエ教室に通わせる事にした。

私は小学5年から、足を悪くして思うように踊れなくなる20歳までそのバレエ教室に約10年間レッスンに通っていた。そしてそこで大切なものを沢山得ることが出来た。

その時の私の恩師が子供のクラスをまだ指導しており、娘がレッスンに通うようになって先生は孫のようにとても可愛がってくださった。

私の選択は間違っていなかったと思う。

娘は私との約束(自分でやりたいと言ったんだから出来るだけ続ける事)を守って小学6年卒業するまで頑張って通ってくれた。

週1回のレッスン、年1回の発表会は私のほうが楽しませてもらっていたのかもしれない。

そのおかげもあって学校の運動会の時は、身体が小さいのでいつも1番前だけれど、担任の先生から「いつもいつも動きが良いし、覚えも良いし、手足がしっかり伸びていて皆のお手本です」などと褒めて貰っていた。

娘は見映え良く体操や躍りをお披露目してくれて、私達家族を喜ばせてくれた。


本人はレッスンに通いたくない、辞めたいとは1度も言わなかったし…

言えなかったのかもしれないが…

しかしテレビアニメ『メジャー』の影響で小学5年でソフトボールを始めた結果、バレエとソフトボール両方続けられるか悩んだ事があった。

結論は6年生の卒業まで、バレエもソフトボールも続ける事になった。

やはり中学で部活動のソフトボール部に所属する事を決めるが、試合などのスケジュールによりバレエとの両立はいよいよ難しくなってしまった。

バレエはやはり中学入学時に辞める事に。

自分なりに胸を張って先生に挨拶をする事が出来たのではないだろうか。

私も胸が一杯だった。

初めはスキップすら出来ず、出来るようになるまでには他の子供さんより倍の時間がかかっていた。

でもいつの間にか出来る様になっていた。

また振り付けを上手く覚えられず右に回るのを左に回ったり、右手を上げるのに左手を上げたり、明らかに違っていたり…

それでも嫌がらず娘は根気強く、楽しんで通っていた。

そんな娘が愛おしかった。

レッスンも他人と比べられる事もなく、とてもアットホームな時間だった。

先生も同じ思いだったようで。

ある時先生と、子供達のレッスンが終わってから少し話をする事が出来た。

娘の事をとても気にかけて下さっていた。

「子供ってね、昨日まで全く出来なかった事が、ある日突然出来る様になったり、物凄く上手くなったりするのよ。いつそうなるかは全くわからない。今出来なくても良いの、続けないとだめだけどね。勿論続けなくても無駄ではないから心配いらないのよ。」

これまでに100人、1000人いやそれ以上の子供達を見て育ててきた先生からの、支えになる有難い言葉だった。

心から感謝した。

そして親子で4月になってから、改めて辞める事を先生に伝えに行った。

ソフトボール頑張ってねと、言ってくださった。本人も凄く喜んでいた。


その後娘は何事も、粘り強く、根気強く頑張るのが当たり前になってくれた。

中学校でのソフトボール部活動では骨折しても、肺炎になっても、先輩から酷く注意されて泣きじゃくって帰って来ても、レギュラーになれなくても辞めたいとは1度も言わず3年間よく頑張っていた。最後の試合には出してもらえて、打ってはヒットに、守りはダブルプレイに出来たのは奇跡かもしれない。

努力は報われる。

チームとしては勝ち上がれず、目標まで到達出来なかった。

試合に出た事、活躍出来た事、なんて幸運だったのだろうと今更ながら思ったりする。

本人にとって流石にきつくて大変な3年間だったのであろう。

高校では文芸部に。

これが本来の娘の落ち着く居場所だった様で、そこで得た友人は一生の友となっているようだ。

娘の幼い頃を知っている人からは「あの小さかった子がソフトボール?」と驚かれてしまう程、意外な選択だったと思う。高校での部活は文芸部と伝えると「やっぱりね」と反応が帰ってくる。

家庭では息の詰まる生活が約20年。

そして私が乳癌だと娘に告げた時は、かなりショックを受けたようだった。

「おかあさん、死んじゃ嫌だ」と泣かれてしまった。

勿論私の事だけが原因ではないのかもしれないが…娘は円形脱毛症になって半年以上も辛い時間を過ごしていた。

頑張りすぎて大丈夫かなと心配になる。逃げる事を、投げ出す事を教えたほうが良かったのだろうか。

今自問自答する。

何よりも娘には幸せになって欲しいと常々思う母である。

読んでいただきありがとうございます

今日も明日も良いことがありますように(ミヤコワスレ)


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