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自給自足か?分業化か?

作詞と作曲で曲ができる場合、作詞家に、曲が提供される「曲先」だと、作詞家はつくりやすいという話、なかなか興味深かったですね。

詞を先に作らなければならない場合は、無の状態からイメージを膨らませて、言葉を紡ぐ必要があり、さらに、それが、曲が付けられることを前提にして作品を形成する必要がありますが、曲先の場合は、まずは、曲想を聴いて、そこでイメージを膨らませてから、それに相応しい詞を当てはめればいいので、やはり、作詞家にとってはやりやすいのでしょうね。

先日、“ロンバケ”で、大瀧詠一氏の作詞を担当した松本隆氏も、「曲先」からイメージを想起させてから、それに相応しい言葉を当てはめて成功したというのも、代表例の1つといえましょう。

山上路夫さんに作詞の仕事が依頼されて次々とヒットを飛ばしていた当時はシンガーソングライターが勃興してきた時期で、そういうスタイルが持て囃されてきたのですが、

一方で、作詞、作曲、歌い手、演奏家と分業化するスタイルもずっと存在していた訳で、実はそのスタイルも、現在でも厳然と続いているといえますね。

当時、自分たちで楽曲の全てを作ってはいたが、少々マニアック過ぎて、一般のポピュラリティーを獲得するのに苦戦していたアーティストが存在しており、そこに、第三者であるプロの作詞家や作曲家に楽曲を依頼して、自分たちは歌と演奏だけに専念したら一般に受け容れられ、世に出ることができたケースが多々あり、それが、山上さんが手掛けた作品の力によるものがかなりあったということでもありますね。

そのような分業化も大事なスタイルであることの証明ともいえますね。

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