Nazca(ナスカ)@人生交差点

Nazca(ナスカ) 偏差値48 IQ95の頭脳から絞り出される並みの文章力。中学バス…

Nazca(ナスカ)@人生交差点

Nazca(ナスカ) 偏差値48 IQ95の頭脳から絞り出される並みの文章力。中学バスケ 高校アマチュアボクシングを経験。コーヒーソムリエ資格有。アパレル業 サービス業 製造業を経験。サラリーマンの視点から様々な「note」を残していきたいと思います。

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最近の記事

古着の転売を始めてみて分かったこと。

私はあるきっかけで「古着の転売」を始めた。 始めたといっても「副業」として活動しており、これを「生業」として生きている方達が見れば「ぬるい」と思うだろう。 このnoteでは「古着の転売」を始めて数ヵ月経過したプレイヤーが、何に気づき何を理解したのかをまとめてみました。 宜しければご観覧お願いします。 その①「自分を過大評価していた」 私は現在、製造関係の会社でサラリーマンとして働いており、20代はアパレル関係の仕事をしていた。 更に、19~21歳まで「古着屋」で仕

    • いつも心に太陽の塔。

      起業する人にエールを 私の周囲の知人がサラリーマンを辞め、最近ドンドン「起業」している。 昨年からのコロナ禍で、会社の業績が悪化し、会社を辞め起業した人。 もしくはこんな時代だからこそ、自分の好きな道を歩もうと決意し起業した人。 動機は様々だと思う。 私はその知人達に「あなたなら成功する。」と尊敬の念を込めて伝えている。 例え「北極でかき氷屋をやってやる!」と意気込まれてもだ。 私は歳を重ねる事に、何かに挑戦する人を見ると、心を揺さぶられる気持ちになる。 「夢

      • 「鬼滅の刃」無限列車編を鑑賞して。

        「漫画で読んだからなぁ。」 私は基本的に「流行に」乗るのが遅いほうだと思う。 ファッションでもエンターテイメントでも「流行が」落ち着いた頃に飛びつく傾向がある。 それは「新しい物」「人々が良いと思っている物」に対して潜在的に警戒しているのかもしれない。 これを、絶えず「流行を」意識している人達から見たら 「まだそこにいるの?」 と不思議がられるだろう。 そう、私は「半年以上」経った映画「鬼滅の刃」無限列車編をG.Wに観に行ってきた。 きっかけは「鬼のような暇な

        • 色んな好きがあってもいい

          私は筋トレを週3日欠かさずおこなっている。 基本的にメインを「胸・背中・脚」と分けておこなっており、その他の部位はサブターゲットとして考えている。 ・胸のついでに「肩」 ・背中のついでに「腕」 ・脚は「脚」、ついではない! このように考えている。 この中で1番「辛く・ハード」な部位は「脚」、バーベルスクワットだ。 このバーベルスクワットをやる日は、軽く気持ちを作ってから行っている。(大げさ?) 「またあれをヤルのか・・・」 というネガティブな気持ちに、稀に負

        古着の転売を始めてみて分かったこと。

        マガジン

        • クリーニング沼
          4本
        • 派遣社員沼
          3本
        • ハローワーク沼
          2本
        • サイコパスバー「社会の扉」
          11本
        • リアル40代サラリーマンの旅行「前・中・後」
          3本
        • 人生を諭すカーナビ
          2本

        記事

          妻のカプチーノのおはなし。

          最近私の妻が家にある「エスプレッソ・マシーン」を使って「カフェ・ラテ」を作っている。 だが、毎回「カプチーノ」が出来上がってしまう。 どうしても蒸気で「ミルク」を温める手加減が上手くいかないようなのだ。 では「カフェ・ラテ」と「カプチーノ」の違いとは何なのか。 下記で簡単に説明しよう。 ・ミルクを蒸気で温める→「カフェ・ラテ」 ・ミルクを蒸気で泡立たせる→「カプチーノ」 細かな割合などは割愛して、ざっとこんな違いなのだ。 妻 「明日こそはラテを作る」 と言い

          妻のカプチーノのおはなし。

          クリーニング沼<後編の下>

          働いている姿をとても「家族」には見せられない。 そう思ったらその会社、辞め時です。 「100」というボーダーラインに、魂を支配されている作業者達。 (詳しくはクリーニング沼<後編の上>を参照) しかしその中で、1人だけ「サービス労働」をせずに働いている人がいた。 間違ったことはしていない その人は「50代後半」の男性だった。 雇用契約は「パート社員」職種は「配送担当」。 決してお金に余裕がある方ではなかった。 この男性の「マイペース振り」に、周りは毎日「ブーイ

          クリーニング沼<後編の下>

          クリーニング沼<後編の上>

          この「システム」を知った時、私はその狡猾さに驚き、イソップ寓話の「北風と太陽」を思い出した。 私の仕事内容の「生産管理」とは殆ど「クレーム処理係」だった。 (詳しくはクリーニング沼<中編>を参照) その為「生産管理」という職種は、定着率が低く殆どの社員が「1年」を持たず辞めてしまっているようだ。 確かにこの「生産管理」という職種は、お客との「トラブル」が多く、とても「ヘヴィー」だ。 人に「怒られ慣れていない人」は直ぐ辞めるだろう。 しかし、これよりも更に「黒いシス

          クリーニング沼<後編の上>

          クリーニング沼<中編>

          「出身地」で人を判断する人がいるらしい。 お前は能天気だから「○○県」、お前は寡黙だから「○○県」。 これは一概にも否定できないかも知れない。 私は某クリーニング会社に入社し、某工場の「生産管理職」を任された。 (詳しくは前回のエピソードを参照) では、この会社の「生産管理」の仕事とはどのような内容なのか。 軽く説明をしよう。 「生産管理」の仕事内容 この工場には約10店舗からお預かりした「衣類」が1日に2回届くシステムになっている。 毎日大量な「衣類」が届き、

          クリーニング沼<中編>

          クリーニング沼<前編>

          私が学生の頃、フジテレビの月9で「ひとつ屋根の下」という家族ドラマが話題となっていた。 主人公が「陸上選手」から「クリーニング店」を経営する物語だったが、まさかこの私がその業界に足を踏み入れるとは思いもしなかった。 派遣社員として半年間働き、自ら契約を満了させ派遣会社を退職した私は再び「酒浸り」の日々を送っていた。 前職での「肉体労働」が堪えたのか、私はバリバリの「製造業」は自分のは向いていないことを思い知った。 母親 「はやく就職してちょうだい!」 そう母からのプレ

          クリーニング沼<前編>

          派遣社員沼<後編>

          身体を酷使した結果 私は自分で選んだ「派遣先」の溶接の仕事を「飛ばずに」懸命に頑張った。 他の派遣社員は次々と「飛び」辞めていく中、真面目に働く私は、所属する派遣会社からは「エース」と呼ばれていたそうだ。 (前回のエピソード) だが、その頑張りが確実に私の健康状態を悪化させていた。 体重は80㎏から65㎏まで減少。(15㎏ダウン) 顔や首は「溶接」の光で日に焼け、ただれてしまい、両指は軽い「リュウマチ」のように痺れが取れなくなっていた。 更に、約12時間立ちっぱ

          派遣社員沼<後編>

          派遣社員沼<中編>

          労働環境 派遣仲間 「お互い就職できてよかったね!」 そう話掛けてきた同い年の「派遣仲間」はその派遣先を「2日」で飛んでしまった。 (詳しくは派遣社員沼<前編>参照) その2日で飛んだ(バックレ)気持ちは分からんでもない。 時は「東日本大震災後」の2011年6月の初夏。 政府から各企業へ「電力不足」の理由で「節電」をするよう呼び掛けされていた時期だ。 その為、工場内の「エアコン」は使用できず、「溶接」の煙と熱で立ち込める工場内の温度計は「40℃以上」を指していた

          派遣社員沼<中編>

          派遣社員沼<前編>

          私は10年前、15年務めていた会社を退職し、地方の実家へ帰った。 数ヵ月間「ハローワーク」に通いながら、酒浸りな毎日を送っていたが、ふとした事がキッカケになり「プライド」を捨てて「派遣社員」として働くことを決意をした。 (詳しくはハローワーク沼<後編>を参照) 今回は「派遣社員」として働いた半年間の壮絶な、そしてリアルなエピソードをここに記したいと思う。 派遣の動機 私は仕事を辞めて約半年間、ほぼ毎日「酒」を飲んで過ごしていた。 その約半年間の間に「心と身体に」多

          派遣社員沼<前編>

          ハローワーク沼<後編>

          私はハローワークに行って「求人票」を家に持ち帰り、それを眺めながら「酒」を飲む日々を数ヵ月続けていた。 何度か「ここは良いかも!」と思い、「求人票」を受付に渡し、職員にその「企業」に電話してもらった経緯があった。 だが「年齢が」との理由で面接すら受ける事ができなかった。 年齢制限は「40歳以下」 条件は満たしている。 そう「求人票」に記載されているのに電話口で断られる。 このイライラが、家で飲む「酒」の量を日に日に増やしていった。 たまに「友人」と会い、食事をす

          ハローワーク沼<後編>

          ハローワーク沼<前編>

          今から10年前、私は15年務めた会社を自己都合で退社し、地方の実家へ帰った。 1年前に父親が他界し、実家で独り暮らしをしている母親も、その後病気を患い、私は30代半ばでようやく実家に帰る決心をしたのだった。 「母の面倒をみる為」とは一見「大義名分的な」意味合いに聞こえるかも知れないが、実際はそうではない。 10年前の私はとにかく「疲弊」しており、仕事をする気力も失っていた。 色々な出来事が交錯して、結果実家に帰った。 人生とはうまいこと出来ているものだ。 その10

          ハローワーク沼<前編>

          市営体育館と風の時代

          私はこの度、3年間通っていた「某フィットネスジム」を退会した。 昨年から続く「コロナ禍」において、私自身の「価値観」に変化が見られた、とでも言っておこうか。 だが、だからといって「筋トレ」を辞めたわけではない。 「民間施設」から「公共施設」へ。 そう、現在は「市営体育館」に通っている。 「市営体育館」というと、設備が整っていないと想像する方が多いと思うが、私が通っている所は決してそうではない。 筋トレ初級者~中級者までならば、事足りる設備が整っているのだ。 今回

          市営体育館と風の時代

          「note」を続けて分かったこと

          早いもので「note」を続けてかれこれ1年が経過した。 最初は暇つぶしでやっていた感があったが、今ではたまに「サボテン」に水をやるような、そんな衝動で作成している。 そんなこんなで「note」を書き続けてきたのだが、ここ最近分かってきたことがある。 それは 「自分は自分自身を誰かに知って貰いたいんだな」 ということだ。(いまさら?) もしかしたら私は「かまってちゃん」なのかも知れない。(40代のおじさん) 冷静に考えると、とても気恥ずかしく、そして高い「自己顕示

          「note」を続けて分かったこと