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公立から私立受験への大変換~長女高校受験備忘録~

しがないサラリーマン家庭の我が家なのに姉妹で私立中高に通学というとんでもない選択をすることになった我が家は私も今までのようにのんびり半日パート勤務というわけにはいかなくなり・・・・
以前登録就業していた派遣会社に改めてお仕事紹介をお願いしたら、今まで散々就職活動しても落ちまくったのがウソのようにお仕事が決まった。
本当に偶然だけれど出産前に働いていた会社のライバル会社でもあり(部門が全く違うけれど)なんと父が定年退職した会社がお得意様という不思議なご縁である。(これも所属された部署は直接は父の会社と関係ないけれど)


仕事って本当にタイミング。 

・・・さて、なんでこうなってしまったのか。

なんで私が旧職場のライバル社に働くことになったかではない。

長女が散々公立中で内申に苦労していたものだから、長女以上に先生のスキキライの激しい次女にこの学校を通わせるわけにはいかない。しかし、残念ながら次女もこのあたりの公立一貫校に受かる学力はない。
なので次女は最初から中堅私立中受験の予定だった。 

で。長女である。

それこそ中学に入る前くらいから、だいたいこのあたりの公立高校に行けたらという目星はつけていた。一応、塾資料やネットでみると偏差値は50くらい。自分の時代の受験感覚で、偏差値通りまぁクラスの真ん中くらいにいれば大丈夫だろうとふんでいた。

が・・。世の中も長女が通った長女公立中もそんな甘くはなかった。

中1の時の担任の先生は前年3年受け持ちだったので高校受験のことを多少わかっていたようで、面談でこのあたりの高校に・・と今思えば気の早すぎる話をしたときの先生の言葉に耳を疑う。

「そこだと・・・クラスで5番くらいの立ち位置にいないと」

え。偏差値50で?

元々このあたりではもう1つの底辺中と並ぶ荒れている学校だった。今住んでいるマンションでも実は10数年くらい前までは半分以上がその学校を避けるために私立中に受験し通っていたと聞く。部活で学校の拘束時間を延ばしたり大会で成果を上げたり、その部で有名な先生が赴任しわざわざ越境入学する生徒も出てきて徐々に単なる荒れている学校ではなくなってきた長女公立中は、長女が入学する頃には、「行かせるのは怖いから」だけで中学受験をする層はだいぶ減っていた。


ところが。である。

軸を勉強ではなくある意味安易に部活に持って行った長女公立中は学力向上という本来なら学生の本領である部分をものの見事に落っことした。

せっかく荒れている学校から脱却したのに未だ学力は底辺のままで良いというのが先生の意識にあり、小学校ほどそれを改善していこうという気もないらしい。生徒一人一人の学力を上げるというよりは画一的に文句の言われない成績のつけ方をし、苦手と得意が極端な長女は得意な部分を評価されることなく驚くほど評価が低かった。

中学3年生の夏休みという時期、我が家のあるエリアでは市内の展示場のような広いホールで私立と公立の高校が一同に集まってブースを作る「私立展」「公立展」がある。

公立展の日、おそるおそる塾の先生に「今の成績のままだったらどのあたりの高校を見に行けば良いでしょう…」ときいて返ってきた学校名が

正直とんでもなかった・・・


小学校からさほど人間関係に苦労せずにそのまま仲良く一緒に公立中に通い、周りがほとんど公立志願で、本人も「妹は中学受験なのに私は」という気も薄い長女はできれば公立高に行ってもらいたいと思っていた。

ずっとそう思ってきたけれども、

公立高を受験するには必須の中2後期の内申が撃沈だったために「この学校だったら」と考えていた学校より偏差値が10くらい低い学校しか受けられない。その学校となんとか私立基準の内申で行ける私立高で大学進学率が倍以上違う。クラスのほとんどが大学進学する学校と半分いない学校ではあまりに環境が違うだろう。
そこで目が覚めた。というか決心がついた。 

長女も私立に行かせよう、否、行かせるしかない。


もう1つある。

長女がこれほど中学の成績に苦労した大きな原因は宿題だった。 

授業でサラッと先生が課題をいうだけの中学校の宿題スタイルは全教科を1人の先生が教え、翌日の時間割と共に宿題が常に黒板やホワイトボードに載っていた小学校と違い、聞き漏れが頻発した。
他の子はサッとメモ書きしたりしてきちんと記録してちゃんと提出日に提出しているのだろうが、時々ボーっとする長女はまずそこでキャッチできず、提出日に間に合わない。
気づいて慌てて提出したころには期限を過ぎている。 
期限に拘って慌てて出したら「内容が薄い」と低評価をくらう(これは国語の宿題で、国語なんて先生の主観の入る教科で薄いっていうのは本当に腹の立つ話ではあったけれど) 

こういう宿題スタイルに散々苦労した3年間を過ごし本人は楽しそうに通っていたけれど母は3年間ストレスMAXとなり、高校はそうならない学校に行かせたいとあちこちの学校説明会に足を運び個別相談で正直に相談した。

そしたらね。ちゃんとあるのだった。そういう子の味方になる学校が。 

現在長女が通う高校の宿題は全て学校貸与のタブレットのGoogleエデュケーションで一元管理されている。そこをみると全教科の
・今、出されている課題内容と提出日が分かる
うえに
・提出は作文を除き、ほぼオンライン

になって、中学3年間散々やらかした事態が少なくなった。まだ、成績評価を受けていないのでこんなことをとうとうと語りながら実は・・・かもしれないけれど、本人曰くやっぱり中学時代の頃よりはずっと気持ちもラクらしい。

これは公立はもちろんだが、私立でもバラバラで。
長女通う高校はそれをウリにしていることもあり聞いたときの先生の
「よくぞ聞いてくれました!」顔は、今も忘れない。
さらに
「そういうことに困ってきた生徒もいるので」ということで長女のようなタイプののんびり女子が多い学校らしい。 

親の仕事も本当にご縁だったけど、それよりも通える範囲によくもまあこういう学校があったもんだと思う。
そして、何よりギリギリでこの学校の専願受験できる内申だったこと。

本当に、ご縁である。

夏休み前に成績みてガックリしているかもしれないけれど、今は、この選択は良かったと思う。いや今だけでも思わせてくれ。 


ごくありふれた日常を少しでも面白く、クスっと笑えるお話を書いていきます。頂いたサポートはご縁のある横浜の子育て支援団体に寄付させていただきます。