キライな先生をキライでいる為に中学受験する話
あちこちから飛び込む情報に心のざわつく年明けとなった2024年。
今月と来月に受験本番を迎え、正月特訓で元旦から塾に行く次女に合わせ、我が家も帰省もせずにぼ普段と変わらない年越しとなりました。
いろいろ思うことも書こうと思ったこともあるけれど
去年そういえばこれを書いておこう!と思ったタイトルのことを。
4月登校初日、玄関で泣き崩れた
のは、次女である。
そうでもないように見えて以外と好き嫌いが激しい次女には学校に超が付くキライな先生がいる。
その先生は4年の時の担任の先生で、5年に進学して違う先生になったときはホッとしていた。
その先生はそのまま4年に残った。
6年の担任の先生というのは、うちの子の学校の場合
・前年5年の担任で子ども達と一緒に2年連続卒業までパターン
もしくは
・2年連続6年生受け持ちの最高学年専門パターン
もしくは
・1年生と6年生担任を交互する極端パターン
のいずれかになるケースが多く、次女の苦手な先生はどれも当てはまらない。しかも3クラスである。マンモス校に比べれば少ないけれど他学年は2クラスなので半分の確率よりは低い・・・。
はず、だった。
とここまで引っ張ればわかると思うが、なんと4年生受け持ちから5年担任をすっ飛ばし6年担任になり、3クラスあるから1/3の低確率を覆し
なんとそのダイキライな先生に再び当たってしまった。
なんで。よりによって。
学校から必死に涙をこらえ、玄関に入った瞬間マンションの狭い家族全員の靴のそこはかとなく漂う足臭(?)の中、次女は堪えきれず泣き崩れた。
明日から学校行かない。
6年でいきなりの登校拒否宣言だ。
そこをなんとかなだめ、偶然一番仲良しお友達が同じクラスになってなんとか持ち直し、次女は翌日からブー垂れながらも登校した。
お約束は、冬休み明けは受験が終わるまで完全欠席である。
1月の学校どーする問題というのは中学受験界隈では避けて通れない話題であるが我が家は4月の時点で即決?した。
眼光が鋭い次女が睨んでるであろう担任先生は間違いなく嫌われている事はわかってるだろう。小学校は先生なんか大っ嫌い!と言っていられる。
でも、公立中学校はそうはいかない。
先生だって人間だ。そりゃ相性の悪い先生はどこの学校に行っても必ずいる。私もそうだった。中2のとき5段階評価の5だった英語が中3の英語教科担任がどうしても好きになれず、愛想もない私のようなかわいくない生徒は大概先生も決してかわいくないのか、いきなり2
に暴落した。この子は英語が得意と信じ英文科のある大学付属高校を探しまくっていた母は青くなった。(結局、英文科のある大学付属校に合格したものの高校での成績が振るわず英文科には進学できなかったというオチ。)
いくら指導要領に沿って公平につけているとはいっても、多少の感情は影響あるだろう。つまらない顔してロクに発言もせずテストの結果がイマイチな生徒なら、レポートやノート提出していなければ未提出、内容が薄っぺらいとそれを理由にかわいい教え子よりは下げちゃうだろう。
実際あるかわからないが部活が影響するというのも聞く。
(だから帰宅部の長女はやっぱり不利)
人間が必ず持つ感情によって成績が変わり、成績が変わることによって内申が変わり、内申がかわることによって受験校が決まってしまうのが現在の高校受験。
反抗期真っ盛りの思春期、先生に思いっきり反抗できないなんて。
大人だって、どんな会社で働いても苦手で合わない上司やお局や同期がいるはずだ。
モモもウメもマウント大好きOLをこんなに小バカにしている(笑)
2人は間違いなく、マウント女子とはランチはきっと一緒に行かない。
キライな先生をキライと素直に言えるのは小学生までというのは何ともかわいそうだ。
そんな中学生活にならないために、次女は中学受験する。
キライな先生を思いっきりキライでいるために。
そんな動機も、きっとあっても良いと思う。
【余談】
長女にとっての、次女の担任のような苦手先生は塾の教室長先生である。
スポーツマンタイプの塾に多い競争心を煽るオラオラタイプの先生は、マイペースで”お先にドーゾ”長女にとっては水と油のように合わず、でもそれを正直に私に「塾行きたくない、あの先生苦手」と言ったのは、12月。
前にも書いたが中学校がアテにならない高校受験において、学校情報だけでなく長女の性格から学校選びするにも転塾するには遅すぎた。
彼女の場合は泣き崩れはしないものの、塾の授業ある日になると身体が拒否して微熱を出す。
中学受験も高校受験も1ヶ月切った。
キライでいられるって だいじ。
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