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どん底から救い上げてくれた言葉

「お役に立てて光栄です」

このメールのタイトルを見たとき、ずっとうつむいていた顔を初めて上げられる気がしました。ようやく前に踏み出せた瞬間でした。

もう9年くらい前になるでしょうか。当時まだ会社員で多忙を極めていた中、私のチームはミスをしました。チームの仕事は、うまくいっているのが普通、ミスすると大迷惑、という性質の仕事でした(たとえば、インフラなどもそうですね。支障がないために多くの方が日々がんばってくださっているのですが、そこに注目されることはなく、支障が起きた時は責められてしまう)。

他の部署へのお詫び、お客様へのお詫び。毎日が針のむしろのようでした。直接、私が非難されることはなかったものの、その対応に関わっている方々から、漏れ聞こえる苦情は十分感じ取れていたからです。

仲間の言葉

数日して、私は心労が重なり高熱を出して倒れてしまいました。熱が下がった後は、左の耳が聞こえづらい状態。普段は、体調が悪いと申し出ても、そんなの大丈夫だろうとシレッと言い放つ上司が、休め、と言ってきたことを思えば、傍目に見ても普通ではなかったのでしょう。

周囲の仲間は、私を気遣ってくれていました。「いつも、迷惑かけられているんだから、たまには助けてもらえばいいんだよ」「誰だってミスはある」「無理をしないでね」「気にしないほうがいいよ」と。

ありがたいと思いました。ですが、私の心はずっと晴れることはなかったのです。仕事中はもちろん、休みの日に出かけていても、運転しても、心は虚ろというか、何か重いものをずっと抱え込んでいるようでした。

毎日、これだけ必死にミスが起きないように頑張って、無理も受け入れてきても、ひとたびミスが起きるとまるで帳消しになるかのよう。こんな精神的なダメージ、私は受け止めきれない・・・と。

コーチの言葉

当時のコーチはこんなふうに言ってくれていました。

「起きたことに、今、無理にどんな意味があったんだろうか?とか考える必要はないんですよ。"今はただ、つらい"  それでいいんです。振り返られるようになったら、きっと自然に振り返ることができるから」

私を支えてくれた言葉でした。

その後、半年経っても、私はまだこの話をする時は、涙が溢れてしまい状態でした。泣かずに話せるようになったのは一年近く経ってからだと思います。

前を向けた言葉

このミスが起きて1ヶ月くらい経ったときのことです。

事態の収拾をサポートしてくださっている、いわば迷惑をかけている部署の調整役の方に、お詫びのお菓子を送ったのち(勤務地が離れていたので)、改めてお詫びとお礼のメールを改めて送ったところ、その返信のタイトルが、「お役に立てて光栄です」だったのです。

メールの本文にはこうありました。

日頃から、無理を聞いてくださりサポートしていただきありがとうございます。今回は、XXさんのお役に立てて光栄です。

本来なら、よけいな仕事が増え文句を言われても仕方ない状況。それを、日頃のこちら側の貢献を汲み取り、こんな言葉をかけてくれたことに、感謝しかありませんでした。会社の自分のデスクのパソコンの前で、自然と涙が溢れました。

あー、これで前を向ける、ずっとうつむいていた顔を上げられた気持ちでした。

そして思ったのです。自分が反対の立場であったら、こんな言葉をかけられただろうかと。

これから自分が反対の立場に立った時、こんな気持ちで言葉をかけられる人でありたいと。

「言葉には人を癒し、勇気づけ、立ち直らせるチカラがある」

私はそう信じ、そんな言葉たちを大切にして生きています。


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