見出し画像

自己愛と罪悪感と無駄を書く

朝から長〜い独り言ですが…

今朝ふと目に入ったんです。
『どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか』(アインシュタイン)

端的に言うと、「自分を愛し大切にせよ」ってあたしは認識してきたけど、その解釈がなんかしっくりこない気がして考えた。

ポイントは『必要な時に責めてくれる』

目の前に、自分のことを責めて責めて罪悪感の塊みたいになってる人がいたら、
他人のあたしはおそらく
「そんなに自分のこと責めなくてもいいんじゃない?」
って言うだろう。
で、本当に「え?」ってなった時(つまり必要と思われる時)には「どうかと思う」とは言えなくなる気がする。
つまり、必要な時に責められなくなるってことだけど。
なぜなら、目の前で罪悪感の塊になるのを見るのは、あたしが嫌だからだ。
なぜ嫌なのか?
(こーゆーのを深掘りと言いますw)

罪悪感の塊の時って思考停止状態になると思う。
同じことばっかぐるぐる考えては
なぜ?と後悔のループに迷い込んじゃって
結果、本当に大切なことは見失ってる。
少なくとも、かつてのあたしはそうだった。
その行為には希望がなかった。
「無駄」にもみえる。

とまあ、ここまで書いてみて、
『人生に無駄なことはない』
という言葉もよく耳にするよなって
今は思ってます。

とりま。深掘りの成果はあった。
今日は自分の思考を客観できたから良し。
(これは、「書き出す」効果です。)

ところで。
ポイントの『必要な時に責めてくれる』について。

あたしが感じた違和感は、
「自分を愛でて大切にせよ」よりも
「自分のこと責めてると、必要な時に責めてもらえなくなるんじゃない?」
って解釈がしっくりするとわかって消えました。

自分を責めすぎてもロクなことないですよ(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?