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今夜、シティポップが流れるバーで

 大学時代の友人から久しぶりに電話がきた。僕はずいぶん音沙汰のなかった奴からの電話だったのでなんだろうと思いながら電話に出た。我々のような人生の半ばを過ぎたものには、このようにしばらく会っていなかった友からの電話がたびたびあり、それは決まってどこぞのアイツが死んだから葬式に出ないかという誘いだ。だから僕もそんな電話を覚悟して声を低くして友人になんだと尋ねた。しかし友人は明るい調子で僕に元気かと逆に尋ねてきたので、僕はホッとして、久しぶりじゃないか、俺は元気だ。と答えた。しかし友人はなんのようがあって突然電話なんかしてきたのだろう。僕は友人に向かって突然電話してきてどうしたんだと聞いたのだが、友人は大学時代そのままの快活な声で僕に言った。

「あのさ、お前シティポップって好きだっただろ?最近無性に聴きたくなってさ。俺になんかいいの教えてくれよ」

 僕は友人のこの言葉を聞いて驚きのあまりえっ?と思わず問い返した。お前がシティポップ?いくら気まぐれにしてもおかし過ぎるだろ?この男がシティポップを聴きたいだなんて!この友人はパンク=ニューウェーブ原理主義者でそれ以外の音楽はみんなバカにしていた。レッド・ツェッペリンのようなハードロックやピンク・フロイドのようなプログレ。果てはビートルズやストーンズやボブ・ディランのような偉大なるロックレジェントまでも聴けたもんじゃないと言い放っていた。アナーキストを自称する彼は堂々とモヒカンのパンクファッションで講義に現れて、若干保守寄りの教授に「若さとはバカさだとよく言ったもんだ」思いっきり嫌味を言われていたものだ。当然そんな彼にとってシティポップなんてものはゴミ以下の音楽であり、体制順応そのものの唾棄すべき音楽であった。

 彼は常々僕に言っていたものである。

「お前は頭もいいし、性格も悪くないけど、そんなお前がなんであんなゴミ以下、チリ同然の音楽モドキを聴くんだ?全くゲロが出そうだぜ。そんな音楽聞聴くのやめてP.I.Lとかポップグループとか、あとちょっとお前には過激過ぎるかもしれないけどスロッピング・グリッスルとか聴いたらどうなんだ?今はアナーキズムの時代だぜ。アナーキー・イン・ザ・ジャップだろうが!」

 僕はそんな彼にシティポップの良さを何度となく説明したものだ。

「シティポップは確かにお前の言う通り体制順応的な音楽だろう。しかしそれでもシティポップは一時の夢と癒しを与えてくれるんだ。お前の好きなパンクやニューウェーブのように体制批判をがなり立てるばかりが音楽じゃないよ」

 この友人とは音楽に関しては深刻な価値観の相違があったがそれでも友情はなんとか保っていた。僕は彼の好きなパンク=ニューウェーブの良さが全く分からず、友人はシティポップを聴きもせずにボロクソにこき下ろしていたが、しかし我々は友達だったし、他のくだらない事で充分に盛り上がる事ができたのだ。

 そんな友人が今になってシティポップが聴きたいという。僕は彼にどんな心境の変化なんだとダイレクトに尋ねた。すると友人は自分の息子が大学の軽音楽サークルに入っていて、バンドを組んでシティポップのカヴァーをやっていて、時たま自分達の演奏をYouTubeなんかに上げているという話を始めた。

「俺はアイツにそんなゴミみたいな音楽演るな!って言ったんだよ。やるならせめてヒップホップ演れって。アイツら今も最前線で戦ってるだろ?貧富の格差や、人種差別に対して精一杯抗議してるだろ?白人が忘れたアナーキズムを実践してるじゃないかってさ。すると、あの野郎俺にこう言いやがったんだ。『父さんの言っている事は結局外国の真似なんだよ。外国ではあんなことが起こってる。こんな事が起こってる。だけど日本じゃ何も起こってない。だから日本はダメなんだってやつさ。父さん、日本と外国は環境がまるで違うんだよ。外国でやってることを日本でやろうとしたって、下手くそなコピーしか出来ないんだよ。僕はそんなのよりもっと自分のハートにピッタリ来るものを演りたい。大体父さんはアナーキズムとかバクーニンとか言ってるけど、父さんただのサラリーマンじゃん。父さんもアナーキズムとかそんなお遊びやめてもっと自分に素直になってシティポップ聴きなよ』ってさ。俺、グサッと来たね。ブチ切れて、この馬鹿野郎って息子を殴ってやろうかと思ったよ。だけどアイツの言ってること正しいんだよな。確かに俺はアナーキーとか言っても会社じゃ課長だし、部下に当たり散らして上司にヘイコラしてるわけだよ。そんな体たらくで何がアナーキズムだ。って自分に腹が立ってさ。それで試しに息子のYouTube観たわけだよ。お前が大好きで俺の大嫌いなシティポップのコピーだよ。でも良かったんだよそれが。息子が演ってるからってのも確かにあるけど、それ以上に曲がよくてさ。なんか聴いてたら今までなにくだらない事にこだわってだんだなって思ったんだ。確かに昔お前が言ってた通りさ。一時の夢と癒しだっけ?やっぱり俺も年とったんだな。年とって悟ったんだよ。やっぱり気持ちのいい音楽聴きてえなってさ。それからYouTubeで息子のカバー元の曲も聴いたんだけどさ。やっぱりよかったね。それで他のシティポップも聴きたくなってさ。お前どうせ今でもシティポップ聴いてるだろ?よかったら俺におすすめのシティポップ教えてくれよ」

 僕はこの友人の言葉を聞いて感激のあまり思わず声を出してしまった。あれほどアナーキズムだとか言っていたコイツがこんな殊勝な事を言うとは。僕はすぐに曲のリストをメールで伝えるからアドレス教えてくれと言い、友人からアドレスを教えてもらうと早速メールに曲を書いて送った。

 翌日早速リストの曲を聴いた友人から感想のメールが送られてきた。全部よかったが、特にKIYOSHI YAMAKAWAの『アドヴェンチャー・ナイト』が良かったという。僕はこの友人の感想を読んでやっぱりこいつは本物がわかる男だと感心した。僕は昨今再評価されているKIYOSHI YAMAKAWAを同時代で評価していた数少ないリスナーの一人だ。情報の少なかった当時僕らリスナーはその音だけで彼を評価したのだ。友人はやはり正しい耳を持っていたのだ。友人はKIYOSHI YAMAKAWAについてもっと知りたいと言ってきた。だから僕はKIYOSHI YAMAKAWAについて軽いバイオグラフィーを書いて友人に送ったのだが、それを読んだ友人からすぐにメールの返信があり、そのKIYOSHI YAMAKAWAってすげえやつだな自分の音楽を追求するためにキャリアを全部捨ててアメリカに飛び立ったのか。パンクなやつだぜ。と相変わらずな文章で僕を苦笑させた。同じメールで続けて彼はKIYOSHI YMAKAWAは今どこにいるんだと聞いてきて、もし復活ライブとかやるんだったら絶対にいくぜと書いていた。これには僕は悲しい返事を書かなくてはならない。KIYOSHI YAMAKAWAが今どこにいるのかさえ見つからないこと。とある女性の音楽ライターがKIYOSHI YAMAKAWAの居所をさがして、心当たりのあった韓国のソウルに彼を訪ねたが、彼の代わりに彼と名前がそっくりの別人にあっただけに終わったこと。もしかしたらKIYOSHI YMAKAWAがこの世にいないかも知れないことなどを書かなくてはならない。考えた末、僕は友人にこう書いた。

『多分、無理さ。KIYOSHI YAMAKAWAはもう二度と僕らの前には現れないよ。今、彼を求めるよりも、彼が僕らに遺した音楽を聴いたほうがずっといいぜ』

 すると友人から数分後に短い返事が届いた。

『そうか、残念だな』

 しかしそれで僕らのやりとりが終わったわけでは当然なく、それからも互いの事について、またもう終わりの近づいてきた人生について語り合った。友人と同じように僕も課長で十も年下の部長に嫌味なんか言われて過ごしている。いわゆる中間管理職の哀愁ってやつだ。僕にも娘がいるが彼女とはこの三年間ろくに話していない。そんな事を友人にメールすると、彼はみんな苦労してるんだなと書いてきて、よかったら今度会って一緒に飲まないかと誘ってきた。

 そんなある日だった。友人がKIYOSHI YAMAKAWAの居場所がわかったというメールを送ってきたのだ。僕はあまりに突飛な話に訳が分からず、その話は本当なのか彼に確認した。友人は本当だという。彼はその証拠としてKIYOSHI YAMAKAWAの居場所の写真を有名なシティポップDJがリツイートしていた画像を送ってきた。確かにこのDJは最近よくバラエティなんかで見る顔だ。そんな有名なDJがリツイートするなら本物に違いないと思った。

 その友人が送ってきた画像にはボロボロの酒場の外観が写っていて、上の看板には『バーKIYOSHI YAMAKAWA』とあり、その横に小さく「シティポップの○○のカラオケ教室。生徒さん随時募集中」と書かれてあった。シティポップの後の○○の部分は陽の光で隠れてしまってわからない。だがそこにキングの文字が入るのは容易に想像ができる。僕は知りたくもなかった現実を目の当たりにして激しいショックを受けた。あの、本物のソウルを探しにアメリカに旅立ったKIYOSHI YAMAKAWAが、今、カラオケ教室をやるほど落ちぶれていたとは。僕は友人に『そうか』と一言だけ書いて返信した。それ以上言葉が浮かんでこなかった。ずっとリスペクトしていたアーティストの知りたくもなかった現状。今更こんなどうしようもない現実を知らされるなんて。

 僕はスマホを置くとレコード棚からアドヴェンチャー・ナイト』を引っ張り出した。このアルバムを買った時の事は今もはっきりと覚えている。たまたまレコード屋に寄った僕は、このアルバムが壁にかかっていたのを見て衝撃を受けたのだ。海岸を走る車に金髪を乗せて走るKIYOSHI YAMAKAWAのジャケットと、『シティポップのキング登場!スティーリー・ダンの完璧さとボズ・スキャッグスの熱いソウルを持つ男が歌う危険な恋のアドベンチャー!』のあまりに刺激的な帯の文句に惹かれてレコードを買ったのだ。期待は裏切られなかった。むしろ期待以上だった。都会の夜を癒すBGMとして最高の出来だった。それからずっとこのアルバムを聴き続けて来たのだ。しかし今その憧れの人が今はカラオケ教室をやっているなんて!僕はジャケットを手に涙を流した。シティポップに興味のない妻から、そんなゴミいい加減捨てなさいと言われ捨てられかけ、その度に守り通したレコード。その結末がこんな悲しいものだったなんて!先ほどからスマホが鳴っていので手にとって見た。友人からの着信だった。僕はボタンを押して電話に出た。

「メール送っても返事がないから電話しちまったぜ。なあ、メールでも書いたんだけど、お前一緒にKIYOSHI YAMAKAWAの店いかねえか?お前もKIYOSHI YAMAKAWAに会いてえだろ?憧れの人じゃねえか?」

 僕は正直に今の彼に会いたくないと言った。自分の青春の思い出が壊れていくのを見るのが耐えられなかったのだ。すると友人は急に怒り出してきた。

「お前それでもKIYOSHI YAMAKAWAのファンかよ!ファンだったら一生ついていくもんだろうが!お前はKIYOSHI YAMAKAWAの生き方に憧れて来たんだろ?妥協しないそのスピリッツをずっとリスペクトしてきたんだろ?それが何だ!落ちぶれた姿なんか見たくねえって?ふざけんな!俺はな、ロンドンなんかに出張や旅行で言った時に昔スキだったパンクバンドのライブ行くんだよ!当然みんな爺さんで人気もねえし金もねえ!客席だって俺とおんなじようなジジイしかいねえ。だけどそんな客たち相手にアイツら頑張ってるんだぜ!みんな太ったジジイだし演奏だって現役時代に比べたらさっぱりだ!だけどそんなんでもアイツラは今出せるだけの力振り絞って俺たちのために演ってくれてるんだ!俺は連中を見てやっぱりずっと追っかけてきて良かったと思ったね。お前はシティポップは本物の音楽とか、KIYOSHI YAMAKAWAを深くリスペクトするとか言ってたよな?シティポップはお前の言うような薄っぺらい音楽じゃねえとかお前俺に言ってたよな?お前のシティポップ好きってそんなものだったのか?KIYOSHI YAMAKAWAが今カラオケ教室やってるってだけで見放すのかよ!それなりに骨のあるやつだと思ってたのにやっぱりお前はそんなに薄っぺらいやつだったのかよ!」

 この友人の説教はかなり効いた。やっぱりパンクを愛するだけあって筋の通った物言いだった。彼は現状から目をそむけて過去へのノスタルジーに逃げていた僕の甘ったれた性根を思いっきりぶん殴った。確かに友人の言う通りだった。彼の愛するパンクバンドと同じようにKIYOSHI YAMAKAWAもカラオケ教室で音楽と関わっているのだ。僕は友人に向かってやっぱり行くことに決めたと言った。そしたら友人はやっぱりお前は俺の見込んだ男だと言って僕に都合のいい日はないかと聞き、そしてこの日はどうだと日時を言ってきた。僕はそれで問題ないといい。最後にまた会う日を楽しみにしていると互いに言って電話を切った。


 その当日我々は茨城にある小さな町の駅前で落ち合った。友人は会うなりこんなど田舎来るの初めてだと言った。本当にこんな所にKIYOSHI YAMAKAWAの店があるのだろうか。僕は不安になって友人を見たが、友人は僕の気持ちを察したのか。スマホのDJ OSUGIがリツイートしたKIYOSHI YAMAKAWAの店の画像のGoogle Mapの住所表示を見せてここで間違いないと断言した。

 店はあっさりと見つかった。駅の直ぐ側にあったのだ。しかしこうして実際の店を見ると画像より遥かに酷く、もはやボロ屋と言ってもいいほどだった。やはりと尻込みする僕に友人は今日はKIYOSHI YAMAKAWAに会いに来たんだろ?逃げんなよと言って喝を入れてくれた。僕は友人に背中を押されるように勇気を出して店に入った。店の中にはうっすらと灯りがついていた。店の中には僕らのほかに客はいない。あんなにTwitterでバズったのにどうして客がいないのだろう。もしかしたら開店前なのかもしれない。スマホの時計は現在18時だ。しばらくしてマスターの格好をした痩せ切った老人が現れた。まさか彼がKIYOSHI YAMAKAWAなのかと思って声をかけたらそのまさかだった。やはり彼はただの老人だった。現役時代の面影など微塵もない。僕はやはり来なければよかったと後悔したが、隣の友人さぁ座ろうぜと言ったので思い直して席に座った。老人は僕らが席に座るとボソリと「こんな何もない店になんのようだい?目ぼしい酒なんか対して置いてないよ」と言った。僕と友人はとりあえずメニュー表を見た。その時友人がマスターに向かって聞いた。

「あの、もしかしてマスターはKIYOSHI YAMAKAWAさんですか?あのこいつがKIYOSHI YAMAKAWAのファンなんですよ。間違ってたらすみませんね」

「ああ、たしかに俺がそのKIYOSHI YAMAKAWAだが、それがどうしたんだ。冷やかしなら今すぐ出て行ってくれよ」

 つっけんどんな対応であった。他人に昔の古傷を掘り起こされたようなそんな感じだった。僕は友人に止めるように目配せした。しかし友人は続けて老人に聞いた。

「いや、冷やかしじゃないよ。俺たちアンタに会いに来たんだ。こいつがね、アンタのファンでさ、ほらアンタシティポップ歌ってただろ?あのア……」

「シティポップだあ?」

 友人がシティポップと口にした途端老人がいきなり大声をあげたのに僕らは驚いた。僕はKIYOSHI YAMAKAWAがシティポップを憎んでいた事を思い出して友人にそれ以上言うなと止めた。しかし何も知らない友人は聞かずさらに突っ込んだ。

「あれっ?シティポップ嫌いだったんですか?だって店の表にシティポップのなんちゃらっのカラオケ教室って看板付けてるじゃないですか。あれなんなんですか?」

「テメエぶち殺されたいのか!あれはオーナーのパクホンギさんに言われてイヤイヤやってるだけだ!」

 このKIYOSHI YAMAKAWAの言葉を聞いて友人は黙ってしまった。流石にまずいと思ったのだろう。僕は改めて我々が冷やかしにきたわけではないことを伝えるためにKIYOSHI YAMAKAWAに向かって話しかけた。

「あの、こいつが怒らせてしまったようならごめんなさい。こいつはいつもこうで無神経に他人の中にズケズケ入り込んじゃうんです。僕ずっとあなたのファンであなたがアメリカに渡ってからずっとあなたがどうしているのか心配してたんです。だけどとうとうあなたの居場所を見つけた。それで僕はこの友人に誘われてここに来たんです。だから彼の事を悪く思わないでください」

「そうかい、そういうことなら許してやるよ。ただ俺の前で二度とシティポップなんて口にするな。もう一度口にしたらすぐに叩き出してやる」

 するとまた友人がマスターに尋ねた。

「で、なんでマスターはシティポップがそんなに嫌いなんですか?昔はシティポップ演ってたんでしょ?」

「テメエ、殺されてえのか!俺はシティポップなんて言葉聞くと虫唾が走るんだ。あれは所詮お坊ちゃん向けの音楽だ。俺は中学卒業して集団就職で東京に上京してから歌手になるためにまず作曲家の船橋先生に弟子入りしたんだ。それから北半島親分の弟子になってパンチの縫い付けしてたりしたんだ。プロになってからも地獄だった。全国のキャバレー周り、たまたまとあるキャバレーで歌ってたらヤクザの抗争が始まってどっちかが撃った弾丸がこめかみをかすめやがった。あのシティポップの連中はそんな経験したことねえだろ!そんな連中の歌が心に響くわけねえんだよ!これでわかっただろ!俺がどんなにシティポップが嫌いだってことが!」

 友人はKIYOSHI YAMAKAWAの話に目を輝かせた。彼はアンタパンクというよりギャングスターだよ。と褒め上げた。KIYOSHI YAMAKAWAはパンクもギャングスターも知らないので不思議そうな顔で「なんでその巨人の星みてえなギャングのスターがパンクした車に乗ってるんだと友人に尋ねた。

 僕はこのKIYOSHI YAMAKAWAの話を聞いて昔から感じていた疑問が氷解するのを感じた。昔から僕はKIYOSHI YAMAKAWAには他のシティポップとは違う何かを感じていた。今本人が話した事を聞いてやっとその理由がわかったのだ。貧し家に生まれた少年が東京で歌手になる夢を叶えるために振り絞って歌ったソウル。彼は自分はソウルシンガーだと語っていた。僕はKIYOSHI YAMAKAWAに向かって今でもソウルは好きですか?と聞いた。

「おっ、なんだい。いきなりそんな質問をしてきて好きに決まってるじゃねえか。辛い思い出があるけどな」

「辛い思いでですか」

 一瞬からいと空耳したが、すぐ頭の中でつらいに変換して僕はソウルを追求しにアメリカに渡ってからの苦悩を思った。ソウルに挫折してから彼は何をやっていたのだろう。僕は彼の空白時代が知りたくて思わず尋ねてしまった。

「いやだったら話してもらわなくてもいいんですけど、YAMAKAWAさんはアメリカに渡ってから何をしていたんですか?」

「そうだな。アメリカに渡ってから苦悩の連続さ。ラスベガスで全財産すっちまってそれで日本に強制送還されて、知り合いのつてで韓国に渡ったのさ。だけどそこで俺はトラブルに巻き込まれて海に沈められかけたんだ。惨めな失敗人生だよ。俺にはもう何もねえんだ。今はこうして昔の知り合いの所に住み込んで店をやってくだらねえシティポップのカラオケ教室なんかで余生潰してるんだ。あとは死ぬのを待つばかりってな。俺は結局何も残さなかった。残したのはお前らが好きだっていうあのゴミのようなレコードだけだ」

「そんなこと言わないでくださいよ!それじぁあなたのレコードをずっと聴き続けてきた僕はどうなるんですか。あなたは自分の人生が惨めだったという。だけど僕だってあなたよりはるかにつまらない人生を送ってるんです!妻や娘からバカにされ家ではいつも除け者です。だけど僕はそんな日常をあなたの音楽を聴いて乗り越えてきたんです。だからあなたには無駄だったなんて言ってほしくないんです。これはただの僕のわがままかもしれませんが、あなたにそんな事を言われたら僕はあなたのレコードと共に過ごしてきた何十年もの時間が否定を否定することになってしまう。だから……」

 僕は感情が昂ったあまり思わずKIYOSHI YAMAKAWAに向かって捲し立てしまった。最後の方は涙で言葉を詰まらせ友人に慰められる始末だった。友人は僕の言葉を継いでKIYOSHI YAMAKAWAに言った。

「なぁKIYOSHIさん。コイツのために一曲歌ってやってくんねえか。あの『アヴァンチュール・ナイト』だっけ?あれをコイツのために歌ってほしいんだよ。アンタも聞いただろ。コイツずっとアンタが好きだったんだ。アンタがシティポップを否定しようが構わない。だけどそのあんたのシティポップを聴き続けて来たこいつの数十年間は否定してほしくないんだ。こいつはアンタの曲をささえに生きてきたんだぜ」

 KIYOSHI YAMAKAWAは俯いてしばらく考え込んだ。時々僕をじっと見てまた考え込む。そして決心したように顔をあげて僕らに言った。

「よし、歌ってやろうじゃねえか。お前の好きな曲一発歌ってやるぜ。ちょっと準備するから待ってろよ」

 そう言うとKIYOSHI YAMAKAWAはカウンターの奥に行きそこからラジカセとそしてレコードらしきものを持ってきた。「今、すぐ準備するからな」と言ってラジカセの中からカセットテープを取り出すと。おもむろにかせっとテープの真を回して初めまで戻した。それからテープを再びラジカセに戻してスタートボタンを押した。

 ラジカセから突然クソダサいストリングが流れて来た。友人はこれテープ間違ってねえかと僕に言ったが、僕はもしかして間違ってテープに別の音源重ねて録音したんじゃないかと思ってKIYOSHI YAMAKAWAに声をかけた。しかしKIYOSHI YAMAKAWAはうるせい!曲が始まるまで待ってろ!と怒鳴ってきたので僕らは黙るしかなかった。KIYOSHI YAMAKAWAそのままマイクを口元にあげてこう歌いだした。

「ああ~♫アヴァンチュール♫ナイトぉ~♫わわわわ~♫熱海の夜はぁ~わわわわぁ~♫」

 今ではロシアのせいで口にすら出せなくなった『Z』級にひどい歌謡曲もどきのこの音楽に耳を塞ぎながら、僕は友人に向かってもしかして別の人間の店に入ったんじゃないのかと聞いた。しかし友人は確かにKIYOSHI YAMAKAWAに間違いない。だってこいつの店の画像を有名なDJがリツイートしてるんだぞと返して来た。僕はじゃあ画像じゃなくてそのツイート見せろと友人に言った。しかし友人はなかなか検索できない。仕方がないので僕が代わりに自分のスマホで検索した。すぐに出てきた。そのDJOSUGIがリツイートには写真の画像の下にOSUGI自身のコメントがあった。

『ここの店、KIYOSHI YAMAKAWAじゃなくて偽物の店だから注意して』

 ひどい歌はようやく終わり、そのひどい歌を歌ったKIYOSHI YAMAKAWAの偽物は満足気に僕と友人に向かってさっき持って来たレコードを見せながら言った。

「どうだ!お前勇気出ただろ!そんなに俺の歌が聞きたかったらこれからは毎日お前のうちに行ってやる。お前住所どこだ?一ヶ月百万で毎日お前の前で歌ってやるぞ!なにせ俺はシティポップの帝王なんだからな!見ろこのジャケットを!」

 そう言ってKIYOSHI YAMAKAWAの偽物はジャケットを出した。そのジャケットは『アドヴェンチャー・ナイト』と絵も字のフォントも瓜二つで、違いはKIYOSHI YAMAKAWAの名前の漢字が『潔』が『清』になっているのと、帯の宣伝文句が下のようになっていることだけだった。

『シティポップの帝王登場!スティーリー・ダンの完璧さとボズ・スキャッグスの熱いソウルを持つ男が歌う危険な恋のアヴァンチュール!』

 何がシティポップの帝王だ!KIYOSHI YAMAKAWAはキングで帝王なんかダサいネーミングはつけてねえんだよ!僕は怒り狂い友人を連れ立って出ていこうとした。しかしKIYOSHI YAMAKAWAの偽物は僕らの前に立ちはだかって何故か契約書を手にサインしろと迫って来るではないか。

「おい、お前!これからは夢のKIYOSHI YAMAKAWAが毎日耳元で歌ってくれるんだぞ!早くサインしろ!百万じゃダメなら五十万でもいい!だからサインしろよ!期間限定の大割引だぞ!」

 僕は友人の前にあるカクテルもふんだくってこのKIYOSHI YAMAKAWAの偽物に全部ぶっかけると友人と一緒に指差して偽物に向かって叫んだ。

「お前誰だよ!」



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