見出し画像

リヒャルト・エーベルスとギュンター・ホープの対話

 世紀を代表する哲学者二人が半世紀前に初めて会見しその時に小一時間程交わした対話とその後の二人の絶縁について知識人たちは今もなお議論していた。この哲学上の伝説とも、神話ともいえる対話は残念ながら断片しか記憶されておらず、その全貌はうかがい知れないが、世界各国の知識人たちは二人の対話について研究する事は人類の知の深淵の奥深くに実る果実であり、対話の全貌を想像し、知覚する事は知の発展において必要な事だと信じ、残された断片から二人の対話の全貌を解明しようとしていた。。この対話は記憶された断片だけでも知の発展に重要なものであり、現代の知識人はただこの半世紀前に哲学界に君臨した二人の哲学者の対話についてあれこれ学説を並べて議論しているのである。

 哲学者の一人リヒャルト・エーベルスは二十世紀後半最大の哲学者と呼ばれ亡くなってから半世紀が過ぎた今も絶大な影響力を持っている。もう一人の哲学者ギュンター・ホープはそのエーベルスに深く影響を受けたが、そこから自らの哲学を築き上げエーベルスと並ぶ名声を獲得した。彼もまた死後半世紀になるがエーベルスと同じように絶大な影響力を持っている。この現代哲学の巨匠たちは互いにリスペクトし合い、一時期は同志と互いを呼び合っていたが、この対話後に二人は絶縁し、生涯に至るまで互いを無視し続けた。

 この二人の唯一の対話を記憶し記録に残していたのは二人の会見をとり持った文献学者テオドール・ブルクハルトだが、彼は尊敬する哲学者二人を前にして緊張のあまりレコーダーを回すのを忘れたせいで対話は彼の頭にしか残っていない。エーベルスもホープも対話については何も語らずに死に、ブルクハルトも鬼籍に入った今、対話は生前にブルクハルトが書き残した断片しかない。しかしその断片でさえこの二人にしか到達できぬ知の深遠があるし、何よりも対話を深く研究することで二人の思想の決定的な違いと、その絶縁の理由を解き明かし、絶縁の理由を解き明かすことで二人の哲学の本質を解明するのとが出来るのだ。

 ブルクハルトはエーベルスとホープの対話についてこのように書き残している。

 エーベルスは異様に目を輝かせてこう言った。

「欲動は一点に集中するものではない。それは太陽のコアのように全体が高揚し熱くなるものだ」

 それを聞いてホープはエーベルスに否を唱えた。

「いや全体が高揚し熱くなったら我々は欲動に耐えられなくなります。欲動は救済を求めて脱出を要求するものですよ」

 エーベルスはホープの否定に対してすぐさま反論した。

「いや、高揚し熱された欲動は浄化され、肉体から精神的なものに変質するのだ。純白の如くに」

「欲動が純白化する事などありえない。あり得るとしたらそれは欲動を物理的に処理した後。つまりエーベルスよ。あなたは今嘘を述べている」

「それは皮肉な冷笑というものだ。歓喜を歓喜として受け入れられず、すぐさま低俗なものに置き換える。それは君、君自信が真の欲動を経験したことがないゆえにそうしているのだ」

 この議題の部分はここで途切れている。次の議題ではこんな事が語られている。

 エーベルスはホープに向かって言う。

「中心こそが光り輝く者。四十八人の修道女の中心たるものは完璧に左右対称の舞を見せねばならぬ」

 ホープはそれに対してそれではただの全体主義だと抗弁する。

「完璧に左右対称の人間などいません。人間とは不完全もの。四十八人の修道女の中心は完璧ではなく、愛嬌ある不完全さによって構成されるべきものです」

「宗教によって必要なものは儀式である。信者が儀式の時に使う七色に光る棒を振り回す時、みながそれぞれ勝手に振り回したら、儀式は成り立たなくなる。ゆえに儀式を主宰する四十八人の修道女は完璧でなくてはならぬのだ」

「主体性放棄!宗教とは我を忘れるほど信仰するものではない。儀式とはただの慣習に過ぎない。修道女もただ慣習のために舞を踊っているに過ぎません。そのようなものを完璧に左右対称に行えばいずれ人は儀式そのものに飽きてしまいます」

「儀式とは神聖さ。そのようなものに飽きるなどという事はありえない。修道女は神そのもの。触れることの出来る神なのだ」

「いえ、この世に神などいない。いるのは神を自称した詐欺師ぐらいだ」


 ブルクハルトが遺した世紀を代表する哲学者リヒャルト・エーベルスとギュンター・ホープの対話は以上である。なんという深遠な対話であろうか。二人の対話は世紀を超えて今の我々を直撃する。この対話の全貌を知る事が出来ないのは実に惜しいがしかしここに遺された対話だけで我々は人間の思考の深遠を見ることが出来るのである。

 この二人の対話の全貌と、その絶縁の理由は今もなお解明できないし、おそらくこれからも謎のままに終わるだろう。後世の我々はブルクハルトが残した二人の対話の断片を読み、そして二人の対話の全貌を想像する。そして今だ雲の高みにある二人の知に嘆息してこう呟くのだ。

「素晴らしい。とても我々にはたどり着けぬ」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?