見出し画像

うどん紀行 第二回:一店舗目『山口うどん』 ~所沢で繰り広げられた親子うどん対決!

 埼玉県の所沢市といえば西武ライオンズのホームであり、そして某有名うどんチェーン店の運営会社の本社があるところだ。だが残念ながら私はこのチェーン店には一度も行ったことはない。そもそも私が所沢なんて北への道から外れた地に降りたのはただ電車を間違えてしまったからである。私は昨日横浜のあの忌まわしき麺料理屋の七福神男から通報されたせいで警察沙汰に巻き込まれた。おまけにその後会社から電話でもう来なくていいとまで言われてもう完全にパニック状態になってしまった。しかしそれでもうどんを求めて北へ旅立つ決意は揺るがず、混乱状態のままとにかく電車に乗り込んだのである。結果こんな西部のライオンしかいないような所に降りてしまったのだが、しかし私はこれは北への旅立ちの仕切り直しだと思い、まずは腹ごしらえをと所沢駅のそばにあったうどん屋に立ち寄った。この店を選んだのは他には先に挙げた某有名チェーン店か、そのパチモノみたいな店しかなかったからである。駅前は赤パンチ、黒パンチとパンチドランカーになりそうなほどパンチ一色だったので、たまたま一軒だけあったまともなうどん屋に入ったのだった。

 このうどん屋は外装も内装もお世辞にも綺麗とはいえなかった。よくいえば古き良きうどん屋に思えるが、実際には廃業間近の飲食店のそれだった。私はカウンター席に座り、ガラ空きの寂れ切った店内を眺めてどうせろくなうどんはありはしまいと半ばあきらめの境地でお品書きを開いた。するといきなり我が愛しの天かす生姜醤油全部入りうどんの名が目に飛び込んできたではないか。私はその名を見てまるで処女のように胸が高まり、思わず立ち上がってカウンターの向こうに立っていた老夫婦に天かす生姜醤油全部入りうどんを注文したのだった。

 老夫婦は私が天かす生姜醤油全部入りうどんを注文したのを聞いて偉くびっくりした顔をした。私はこの老夫婦の反応を見て改めて天かす生姜醤油全部入りうどんが世に知られていないという事実を思い知らされた。

「本当に天かす生姜醤油全部入りうどんでよろしいのでしょうか?あれは好き物が食べるものでありまして、あまりお勧めは出来ないのですが……」

 私は主人の無駄な気づかいに大丈夫だと力強く返事をした。いくらクソまずい天かす生姜醤油うどんを出されようが、周りの何とかパンチとかの邪道にも程がある代物よりはマシだ。カウンターの向こうの主人とその妻であるらしい老夫婦は私に向かってわかりましたと怪訝な顔で頭をさげて早速うどんを作る準備を始めた。だがその時、突然店の戸が荒々しく開かれそこにパンチ頭のヤクザ者みたいな男が現れたのである。男はがに股で邪魔なテーブルの椅子を蹴りながら私たちのところに迫ってきた。私はさては借金取りか立ち退きの脅しかと思い、やっぱりこんな廃業寸前のうどん屋に入るんじゃなかったと後悔して頭を抱えた。

「おい、いつ店やめんだよ!こんなクソみてえな店さっさと潰して俺に土地明け渡せよ!お前らには年金ぐらいの金ぐらい出してやっからよ!大体山口うどんってなんだよ!みんなパチモンだって笑っているじゃねえかよ!」

「でも、ウチは戦前から山口うどんって名乗ってるんだよ。今更屋号を変えるわけにはいかないよ」

 主人は苦痛に顔を歪ませながらこう言った。するとヤクザ者は床を蹴ってこう叫んだ。

「だったら店を畳めばいいだろ!こんな客も入らねえボロッちい店なんかほ放っておいたっていずれ潰れるだろうが!」

 私はもううどんどころでないとバッグを持って店から逃げようとした。しかしその時そばにいた奥さんがヤクザ者に向かって怒鳴りつけたのでびっくりして立ち止まった。

「太郎!アンタ自分の親に向かってなんてこと言うんだい!お父さんは毎日毎日アンタのためにずっとうどんを作り続けていたのに!」

 奥さんの言葉を聞いて私は本当にびっくりした。なんとこのヤクザ者は店主夫婦の息子だったのである。

「アンタ私たち夫婦を追い出してなにしようってんだい?この土地をどっかの極道にでも売りつけるつもりかい?」

 この母の言葉にヤクザ者の息子はへへっと笑ってこう言った。

「へへへ、俺を舐めてもらっちゃ困るぜ。俺はな、アンタらを追い出したらここで自分のうどん屋を始めるのよ。俺はこう見えて立派に更生したんだぜ?更正して今じゃ立派な実業家よ。それで今はうどん屋を立ち上げようとしているとこだ。店は『十文字うどん』って名付けるつもりだ。メニューだってもう作ってあるんだよ。俺のうどん屋は流行の最先端の刺激的なうどんよ。少なくともアンタらの天かす生姜醤油全部入りうどんみたいなゴミよりマシさ」

「何言ってんだい!アンタ子供の頃お父さんの作った天かす生姜醤油全部入りうどんを美味しい美味しいっていっつも食べていたじゃないか!」

「うるせい!あれはガキの頃よく味が分からなかったから食ってただけだ!大体てめえらは俺にあのゲテモノしか食わせなかったじゃねえか!」

「アンタって子はぁ~!」

「おい、アンタらも俺の作ったダブルパンチうどん食べて見ねえか?食べたらきっとあまりのうまさにノックダウンしてポックリとあの世に逝っちまうぜ」

「バカ者!何がダブルパンチうどんだ!そんなうどんをバカにしたゲテモノみたいな代物が食えるか!」

 今まで妻と息子の言い争いを見守っていた主人の激烈な一喝であった。私は主人のしょぼくれた姿から想像も出来ないほどの猛烈な声の迫力に思わず震えてしまった。ヤクザ者の太郎でさえ父の一喝に慄いたのか開けていた口を閉じてしまった。

「へっ、何がゲテモノうどんだよ。人が毎日夜中まで起きて作ったうどんをバカにされちゃ困るぜ」

 しばらくして太郎は親父の一喝に対して下卑た笑いを浮かながらこう返した。それから顔を上げて何故か私を指さしながらこう言い放った。

「じゃあ、この客にどっちがうまいか判定してもらおうじゃねえか!アンタらの天かす生姜醤油全部入りうどんと、俺のダブルパンチうどんのどっちが美味いか!もしこの客が俺のうどんが美味いって言ったらアンタらこの店を俺に譲れ。逆にアンタらが勝ったら俺がこの店の従業員になってやる!」

「望むところだ!お前のうどんでお前のインチキパンチうどんをコテンパンに叩きのめしてやる!」

 そう叫ぶと主人は真っ赤な顔をしてカウンターから飛び出してきた。二人はカウンター席の私を挟んで物凄い顔で睨み合っていた。事態は完全に私を無視して進んでしまっていた。今両隣から主人とヤクザ者が目を剥いて私を覗き込んで二人して私に審判になる事を迫ってきた。

「お客さん、アンタ天かす生姜醤油全部入りうどんが好きなんでしょ?だったらその舌でこのバカ息子のダブルパンチなんとかっていうバカ丸出しうどんより私のうどんの方が美味いって事を証明してくださいよ、ねえ」

「おい、親父!このお客さんはテメエのクソ天かす生姜醤油全部入りうどんなんか食いたくねえってよ!顔がそう言ってるぜ!なぁ、おじさん。この俺がテメエにダブルパンチうどんたらふく食わせてやっからよ。たっぷり味って食べろや。そして食べ終わったらこの半ボケのジジイにこう言ってやれ。テメエのクソ天かす生姜醤油全部入りうどんはゴミだってよ!」

 もう店から逃げ出すことは不可能だった。私は精神的に、いや今奥さんから物理的に肩をガシッと掴まれ完全に逃げられなくなってしまった。もう強制的に二人の運命を変えてしまう審査員となってしまった私はただこの父子のうどんを食べるしかなかった。

 父と子の互いのメンツを賭けたうどんバトルは息子が先攻になった。このヤクザ者はやたら自分のダブルパンチうどんに自信があるらしく、先攻後攻どっちでもいいとか嘯いていた。私は彼の不適な笑みを見てそのうどんがどんなものか興味が湧いてきた。恐らく彼の出すダブルパンチうどんはこの界隈のそこらじゅうにある赤パンチ、黒パンチのパチモノうどんに違いない。だがそのうどんの店をあえてここに出店するとは。きっと彼は自分の作ったダブルパンチうどんに絶対の自信があるに違いない。

 互いのうどんの材料を買い、仕込みが終わるとすぐにうどんバトルは始まった。すでに腕が露わになった白衣に着替えていたヤクザ者は座っていたカウンター席から勢いよく立ち上がるとそのまま厨房へと向かった。私は彼の彼の露わになった腕を腕を見たのだがそこには入れ墨らしきものは全くなかった。どうやら本職のヤクザではなかったようだ。厨房に入ったヤクザ者は早速ダブルパンチうどんを作り始めた。

 ヤクザ者のうどんのこねる姿は意外に堂にいったものだった。彼の見事なこねっぷりには両親でさえ目を見張っていた。続いてヤクザ者はこねたうどん生地を包丁で切って麺に仕上げたが、ここで見せたヤクザ者の鮮やかな包丁捌きに私は感嘆の声を上げた。私は主人夫婦に向かって彼にうどんのこね方を教えたのか聞いたが、二人は共に信じがたいといった表情で首を振って答えた。主人夫婦はヤクザ者に一度としてうどん作りを教えた事はないどころか、中学生になってからは厨房にすら入っていないそうだ。その息子がこんなにも手際よくうどんの下拵えをするとは、と主人夫婦は驚きととも言い添えた。

 うどんの下拵えが済むとヤクザ者は下から唐辛子と先ほどから蒸していたモツ煮を取り出した。私はその唐辛子の朱色のけばけばしい色を見て悪寒が走るのを感じた。ああ!これがパンチという代物か。さっきの感激が台無しではないか。あれほどの技術があるのにどうしてそんなゲテモノを作りたがるのか。私はあまりの不快さに思わず手で口を塞いだ。主人夫婦も同じように口を塞いでいた。二人はきっと息子の愚行を悲しんでいただろう。昔は後を継がせることを夢見ていたかもしれないひとり息子がヤクザ者になったばかりでなく、こんなゲテモノうどんを作りに帰ってくるとは。だが当の息子は親の悲しみ等に気を止めずせっせとダブルパンチなるゲテモノうどんを作っていた。唐辛子の辛みとモツの甘みが混じった強烈な匂いが店内に充満していた。もうこれではまともに勝負にならない。私は親子対決の審査を放棄してこっそり店から逃げだろうとした。だがその時ヤクザ者が出来立てのダブルパンチうどんを見せながら大声でうどんが出来たことを告げたのである。

 私は目の前に出された真っ赤に染められたどんぶりの中を見て耐え切れずあまりの異常さに腰が抜けそうになった。これがうどんなのだろうか。どんぶりの中は真っ赤でありそれはまさに煉獄絵図そのものだ。そこに浮かんでいる白いうどんは土左衛門のようであった。ああ!その上には申し訳程度に天かすが乗っているではないか。なんという皮肉か!うどんを天国に導く天かすが、煉獄からの偽りの救済にされているとは!ヤクザ者は俺直々のダブルパンチうどんを食えと私にうどんを突き出して迫ってきた。私は何事も経験だと自分に喝を入れ箸を手に無理矢理ダブルパンチうどんをかっこんだ。

 最初に感じたのは麺に絡みつくもつの生臭さとほのかな甘さだった。意外にまともだと頬を緩めた。だがその頬を緩めた隙を伺って唐辛子の猛烈な辛さが襲ってきた。私の口内は完全に煉獄地獄と化し体の中の水分がこのダブルパンチうどんに容赦なく吸い取られた。だがしかし、だがしかしである。私は煉獄地獄から抜け出すどころかますますこの地獄にハマりたくなってしまった。辛さと甘さの奇跡的な融合!唐辛子の辛さはニンニクで引き立てられ、甘さはモツ煮と、そして天かすで引き立てられる!これがダブルパンチなのか!辛さと甘さが代わり代わりに舌を襲って味覚さえも狂わせる。まさに邪道中の邪道のうどんだ!だがこの悪魔的とも麻薬的とも言える禁断の味にはどうしようもなく、ハマり込んでしまう。煉獄地獄の住人は実は天国などには行きたくないのだ。ただこのダブルパンチの地獄にずっとのたうち回って煉獄に恍惚としてしていたいだけなのだ!

 私は歓喜のままにダブルパンチうどんを貪り食った。とんでもないゲテモノだと思って食べたら別の意味でゲテモノであった。邪道は時に正道を上回ると言うが、このダブルパンチうどんはまさにその最良の例だ。私の評価はもはや食べる前と逆転していた。主人にこの煉獄地獄のうどんに勝てるうどんが出せるはずがない。いくら彼が私好みの天かす生姜醤油全部入りうどんを出してこようが、私の舌は並の天かす生姜醤油全部入りうどんなんかで満足しない。ましてや煉獄地獄に犯された私の舌を立ち直らせるうどんなど、このろくに客のこないうどん屋の主人に出来るはずがない。私は自分のせいで店を取られる主人を哀れに思ったが、しかしそれでも私は自分の舌には正直でいたい。私はいつくしむようにうどんを捏ねている主人を憐れんだ。

 次は主人がうどんを作り始めた。私は主人がうどん生地をこね、それを包丁で手際よく切っている姿を眺めていたが、悲しい事にそれが最後の晩餐の準備にしか思えなかった。確実に待っている私による無情なうどんの判決。それを聞いて泣き崩れる老夫婦。そんな光景を想像するとうどん審判を務める私の心だって揺らぐ。だが審判として勝ち負けは平等に下さねばならぬ。温情は不要だ。私はただ舌の命ずるがままに従わねばならぬのだ。

 主人が私の前にうどんを置いた。そのうどんは私にとってありふれた天かす生姜醤油全部入りうどんでしかなかった。私はまるで死刑執行人のように厳かに箸でゆっくりとうどんを摘んだ。

 麺を一口入れた時に味わったのはやはりこんなものかという諦めにも似た悲しみであった。こんな程度の天かす生姜醤油全部入りうどんなど食べ飽きている。そんな事を感じた。だがその後でどっとあり得ないほどの旨みが襲ってきたのだった。なんだこの飾り気のないストレートな天かす生姜醤油全部入りうどんは!純粋そのものといえるうどんの味は自分の汚れ切った全てのものを洗い流してしまう。ああ!さっき食べたダブルパンチうどんなど生ゴミ以下の腐れゴミ飯だ!まさに究極の天かす生姜醤油全部入りうどんではないか!私は食べながら泣き、泣きながらこの主人特製の天かす生姜醤油全部入りうどんを貪り食べ切り、そして思わずこう言った。

「こんなうどん今まで食べたことがない!これに比べたら息子さんの作ったダブルパンチうどんなんてゴミ以下だ!」

 ヤクザ者は私の言葉を聞くなり包丁を持って私に掴みかかってきた。

「ゴミだぁ〜!テメエ何言ってんだコラァ!さっき俺のうどんうまそうに食ってたじゃねえか!テメエ親父に同情して嘘つくんじゃねえ!あんな貧乏くせいうどんが美味いはずねえだろ!」

「私だって食べるまで親父さんのうどんがこんなに美味いと思わなかったさ。だけど食べたら泣けるぐらい美味かったんだ。勿論アンタのうどんだって食べた時には美味しく感じたよ。だけどアンタのうどんは親父さんのこの天かす生姜醤油全部入りうどんとは比較にさえならないよ!」

 私は刃物を持ったヤクザ者をカッと睨みつけて言ってやった。もううどんのためなら死すら覚悟していた。ガリレオ・ガリレイは裁判にかけられた時それでも地球は周っていると言った。私もそれに倣って言うだろう。それでも天かす生姜醤油全部入りうどんは美味いと。ヤクザ者は刃物を私の喉元に突き立てた。私は完全に死を覚悟したが、その時ヤクザ者は喉元に刃物を突き立てたままこう叫んだ。

「おい、親父今すぐ俺にアンタの天かす生姜醤油全部入りうどん出せ!出ないとこのジジイブッ殺すぞ!」

 主人は全く動ぜずに、というか私のことなんかまるで存在しないかのように冷静に息子を諭した。

「刃物なんか店で振り回すな。お客さんがいたらどうするんだ。わかったよ。残り物でいいなら今すぐ出してやるよ」

 主人はそれからすぐにうどんと汁を温め直し、それをどんぶりにいれるとその上から天かすと生姜を振りかけ、最後に醤油を五回まわしで入れた。ヤクザ者はその天かす生姜醤油全部入りうどんが入ったどんぶりを主人から奪いカウンターに座ると「どんだけクソまずいか確かめてやるぜ!」と宣言していきなりがっついた。しかし彼は一口食べた途端急に泣き出してしまった。

「畜生!なんでこんなに美味いんだ!子供の頃から散々食わされてきてうんざりしてヤケになって他のうどん食いまくっていたのに、まだ舌がこの味を覚えているなんて!」

「そりゃ当り前さ」と主人は優しく息子に声をかけた。

「だって天かす生姜醤油全部入りうどんはお前のおかげでできたものなんだから」

「えっ?」と息子は驚いて父を見た。

「そうなんだ。そのうどんはちょっとした事件で生まれたんだ。あれはお前がまだ四歳の頃、いつものようにうどんの仕込みをしてたらわんぱく坊主のお前が厨房に入ってきてそこら中歩き回ったんだ。俺とかみさんはそんなお前を呆れて見ていたさ。だけどお前ははしゃぎすぎて棚の天かすと生姜と醤油を……」

「こぼしてしまったのですね」

 私は今までうどん屋から散々聞かされた天かす生姜醤油全部入りうどんの誕生エピソードから推測してきっとこの店も同じだろうと思ってこう口にしたのだった。だが主人とそのやくざ者の息子は私の名推理に驚くどころか私にガンをつけたのである。主人は私に刃物を振り上げる息子をなだめながら露骨に不快な顔で私にこう言った。

「ちょっとあなた。私は今息子と大事な話をしてるんですよ。誰だか知らないが横から口を挟まないでもらえますか?」

 私は言われた通り黙った。しかしこの仕打ちはなんだ。これが自分たち親子を仲直りさせた恩人への仕打ちか。うどん屋の家族はもう私なんか完全に忘れ切って三人で勝手に盛り上がっていた。息子は両親に向かって涙ながらに自分が家を出てから何をしていたか語り始めた。それによるとこのやくざ者にしか見えない息子は実際に極道の道に入ったことはなく、それどころか父を超えるために本場の讃岐をはじめとした全国のうどん屋で武者修業をしていたという。

「俺は親父を超えたくていろんなところでうどん修行をしたんだ。だけど……」と言うと息子は崩れ落ちて叫んだ。

「だけど、どんなに頑張っても親父のうどんは乗り越えられなかった。今回そのことを改めて思い知らされたよ。どんなにはやりものでごまかしても本物の味には勝てねえ。俺はやっぱり半端ものだ」

 父は自分の足元で泣き崩れる息子の肩に手を置いてこう言った。

「な~に、お前はじきに俺を超えるさ。お前にはうどん職人の才能がある。さっきお前の見事なこねっぷりを見て思ったんだ。こいつは俺の下で真面目に修行すれば日本一のうどん職人になれるって」

「そうよ!」と奥さんも息子のもとに駆け寄って彼を抱きしめて言った。

「今度は家族三人でうどんをこねましょ!あなたが戻ってくればこの寂れ切ったうどん屋だって昔のライオンズのように日本シリーズ十連勝するほど栄えるわ!」

「ったくおふくろはまだライオンズに夢持ってんのかよ!だけど俺頑張るよ!俺このうどん屋をライオンズが勝ちまくっていたあの頃のように繁盛させて見せる!」

 息子の力強い言葉に両親もまた号泣した。親子三人には明るい未来が待っていた。きっとこのうどん屋も息子のおかげで再び栄えるだろう。さらばと私は席を立った。親子の和解のきっかけを作った事に感謝なんていらない。大体私がいなくてもこの親子はいずれ和解しただろう。なぜなら天かす生姜醤油全部入りうどんの血よりも強いきずなで繋がれた親子だからだ。だから何も言わず私を見送って送れ。私はもう北へ行かなくてはならないのだから。しかし主人は去り行く私を見とがめて「お客さん」と呼び掛けてきた。私は主人の言葉を無視して立ち去ろうとした。ふっ、英雄はただ去り行くのみさ。と思ったらなんと息子が戸の前で私の行く手をふさぐではないか。そして親父もまた私のもとに近づいてきた。二人は私を潤んだ目で見つめて声をそろえてこう言った。

「お客さん、まだ勘定いただいてないですよ。天かす生姜醤油全部入りうどん680円、ダブルパンチうどん860円。しめて1520円でございます!」

 この後私がどう思い彼らに何をし何をされたかはあえて語らない。世の中には語らない方が幸せなこともあるのだ。まぁ、結局こうしてこの店をトップに紹介しているわけだからまぁとにかく察してくれとしかいえない。ただそれでもこの店の天かす生姜醤油全部入りうどんは絶品である。少なくとも十本の指に入るほど見事な味だ。とこの店についてはこの辺にして軽いエピローグを書いて終わりにしよう。


 それから息子は山口うどんに入り両親とともにうどん屋の経営に携わることになった。息子は天かす生姜醤油うどんと、自分のダブルパンチうどんを目玉メニューにして見事潰れかけたうどん屋を再生することに成功した。しかし息子は調子に乗って山口うどんの口に自分が始めようとした十字うどんの十を重ねた新しいロゴを考案して新しく看板やプレートを作って店にかけたのだが、見事某有名うどんチェーン店からクレームがきて慌てて看板をもとに戻したという。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?