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うどん紀行 第三回:『うどん屋天将門』 ~歴史を超えたうどんへの想い

 北へと向かう列車でウトウトしていたら突然大鎧の古武者が現れた。古武者は私に刃物を突き立て早く列車を降りねばその首を切るぞと脅してきた。私は逃げようと体に力を入れてハッと目を覚ました。しかし夕暮れ時の列車の中には勿論古武者などいない。目の前にいるのは東京から地元に帰る会社員や若者たちばかりである。

 さて、全く関係ない話になるが、私が今乗っている常磐線は朝夕のラッシュ時に乗客同士のトラブルが頻発し電車がよく止まるという。この電車は田舎まで一本で行けるので当然いろんな人が乗る。だから価値観の違う者同士が鉢合わせになると本能が剥き出しになってすぐ暴力沙汰になってしまうのである。そんなトラブルを起こさぬように常磐線の客の聡明な人は普段から禅に親しんでいる。さる常磐線の沿線に住む友人から聞いたのだが、その日友人は列に気づかずに先頭に並んでしまったそうだ。友人はそれに気づいて列に並んでいた人に殴られると思って身構えたという。しかし彼らは友人に殴りかからず、皆んなして鞄から本を出して読み始めたという。その本のタイトルは『通勤中のイライラをあっという間に治す禅の力』といった。

 私は夢に現れた古武者を見て自分が常磐線に乗っている事を思い出し、これはフロイト的なストレスの現れではないかと考えた。ストレスのせいでイライラして殺気だった古武者の幻影なんぞ見たに違いない。ならば私もイライラを解消するために禅でも親しむかとふと思ったが、しかしすぐに、いや、自分は昨日会社に来なくていいと言われた人間である事に気づき、これでもうストレス社会とはおさらばだ、これからは思う存分天かす生姜醤油全部入りうどんを食べて生きるぞと自分を励まして、古武者の事を頭から追い出して北の地に待つうどんを想像して再びの眠りについたのである。

 しかし眠りに入ったらまた、いや今度はよりリアルに古武者の幻影が浮かんできたのであった。古武者はさらに私に顔を近づけて兜の下の素顔さえ見えそうだった。古武士は先程と同じように刀を私に突きつけ、さらにもう一方の手にどんぶりを持って電車を降りねば切るぞと脅してきた。こうもしつこく夢に現れるとは此奴は何者と思いながら目を覚ましたのだが、奇怪な事に先ほどまでいた他の乗客が皆消えていたのである。皆はどこへ行ったのか。スマホの時計を見ると先程からいくらも経っていないようだし、通り過ぎる窓景色はネオンサインが煌めいていて、それなりに栄えているだろうに乗客が誰もがいない事なんてあり得るのか。車両は蛍光灯が点いているのに不思議と薄暗いし、おまけに車両にはやたら生暖かい空気が充満している。私はふと人の気配を感じて誰ぞいるのかと慌ててそちらを向いたのだが、そこにはなんと夢に出てきた古武者が刀とどんぶりを手に座っていたのである。私は古武者を間近で見た恐怖に震え耳が潰れるほど大声で叫んだ。

「うるせいな静かにしろ!バカやろ!」

 と、隣の古武者が私に向かって怒鳴りつけてきた。そのあまりに普通な怒鳴り声に私は逆にあっけに取られてしまった。

「なんだよ、俺さっきからお前のそばにいるんだぜ。ビビって固まってんじゃねえよ」

 まったくこの古武者の声は亡霊とは思えぬぐらい普通であった。とはいえ、よく考えれば亡霊といえど元は人間であるから人間の喋りをしていても不思議はない。私は恐る恐るこの古武者に自分になんのようかと尋ねた。

「お前さっきの俺の話聞いてなかったのかよ。俺何度も言ったじゃねえか。今すぐ電車から降りろって。お前に連れて行ってもらわなきゃいけないとこがあんだよ」

「はぁ、なぜ私なんかに……」

「うるせい!テメエ誰に向かって口聞いてんだ!俺はな……」

 と古武士が言った瞬間電車が突然キィーと耳を逆撫でするあの不快な音を立てて止まった。私は耳を抑え目をつぶってどうにか耐えたが、音が鳴り止んだ後顔を上げると、古武者が床にバッタリと倒れ、こめかみのあたりを抑えて絶叫して暴れているではないか。私は何事かと思って古武士に大丈夫かと呼びかけた。すると古武者はジタバタしながら頭に刺さっている矢を抜けと喚き出したのだ。

「このバカヤロー!頭から矢を抜けって言ってんのがわかんねえのかよ!早く抜かないと俺死んじまうだろうが!」

「失礼ですが、頭に矢なんて刺さってませんよ」

「はっ?」

 と古武者は呆けた顔で起き上がるとこめかみに手を当ててホントだ、刺さってない!とかブツブツ言い出した。私ははっきりと兜の下に見えたその顔が私のうどん好きをバカにしている年の離れた部下にどこか似ていて、見ているとなんだか腹が立ってきたのでこう言ってやった。

「あのね、アンタコスプレイヤーだかなんだか知らんけどね、もういい年なんだから公共の場でそんな恥ずかしい真似するんじゃないよ」

 私の言葉を聞くなり古武者は車両なのに思いっきり地団駄を踏んで怒り出した。

「コスプレイヤーだと?この俺がどうしてコスプレなんかしなきゃいけないんだ!畜生千年以上彷徨ってこんな事言われたのは初めてだぞ!お前を今すぐ叩っ斬ってやりたい所だが、悔しい事に今お前を切ったら取り憑いた意味がなくなる。よし、今回に免じて許してつかわす。おい、お前。いいから俺に触ってみろ!」

「何故触らなきゃいけないんだね。女性だったらともかく男の体なんか触るのはあまり気が進まないのだが……」

「いいから触れ!でないと俺がコスプレじゃないって事が証明出来ねえだろうが!」

「触ってどうしてコスプレじゃないって証明できるんだ?それに私は君がコスプレイヤーだろうがなかろうがどうでもいい」

「このクソジジイ!本気でぶっ殺すぞ!いいからさっさと俺に触れ!」

 全く気が進まなかったが、刀を首に突きつけられたのでしょうがなく古武者の方に指を近づけた。しかし指は彼の鎧をすり抜けて空を切ってしまった。この古武者はやはり幽霊で、先の彼の言葉によるとどうやら私に取り憑いたらしい。普通ならパニックで確実に腰を抜かすのだろうが、私はこれまでの彼との珍妙なやり取りですっかり冷め、いやすっかり慣れてしまったので、自分でも驚くほど冷静にこの非常事態を受け入れたのだった。

「実体がないという事はやはりあなたは幽霊なのですね」

「ムムム……。お前俺が亡霊と知ってもなおそのように冷静でいられるとはなかなか肝っ玉のある奴。さすが俺が取り憑きに選んだ男よ。だがそのお前も俺の正体を聞いたらびっくりして腰を抜かすだろう!」

 そう言うと古武者は立ち上がって腕を広げて高らかに自分の名を名乗った。

「何故なら俺は、あの日ノ本一の大悪党の平将門なのだからなっ!」

 私は昔から平安の大悪党の将門が好きだったので彼のためにもこの思わぬ正体に驚いてあげるべきだったのだろうが、しかし先程までの珍妙にもほどがあるやりとりと、目の前の当人のあまりのオーラのなさに戸惑い、どう反応していいか迷ってしまった。するとこの自称平将門はその私の反応を察したのか悲しげな顔をして言った。

「なんだその訝しげな顔は!さてはお前、俺が平将門の名を騙っていると思っているな!いや、確かに今の俺は将門を騙っている落武者にしか見えぬか。だがそれも仕方あるまい。思えばこの平将門が今天下に名をなしているのは俺一人だけの力じゃなく、俺を慕ってくれた家来や民、それと平将門伝説を語り継いでくれた後の世の者たちのおかげだ。俺自身は討たれた瞬間に平将門ではなくただの屍人となってしまったんだ。その通り。確かに今お前が見ているのはただの落武者だよ」

 私はこの達観し切った物言いを聞いて目の前の古武者が平将門その人に思えてきた。その客観的に自らの事跡を語る顔は大人物のそれである。しかしその将門が何故私のようなただのうどん好きに取り憑いたのか。私は彼に尋ねた。

「あなたが平将門だという事は承知しました。してその将門さんが私になんのようなのでしょうか?私はこう見えて忙しい身で、何しろ今から北へ……」

「そう、俺はこうしてお前に取り憑いたんだ。おい、いいから次の駅でこの列車を降りろ。そして今から俺のいう場所に連れて行け」

「申し訳ありませんが、お断りします。先程も申しましたが私は忙しい身であなたに付き合っている暇はないのです」

「なんだと!この将門が取り憑いているのによく拒否なんか出来るな!今すぐ叩っ斬ってもいいんだぞ!」

 全く今日は厄日である。昼は所沢のヤクザ気取りの息子に包丁を突き立てられ、夕方は自称平将門の亡霊に刀を突きつけられる。だが、私はそれでも北へと行かねばならぬ。

「殺すのだったら殺せばいい!それでも私は北へと行かねばならぬのだ!」

 私がこう言い放つと将門は歯噛みして刀を振り上げたが、何故か放り投げて代わりに先程手に持っていたどんぶりを私に突き出した。

「このどんぶりを見ろ!お前ならば俺が何をしたいかわかるはずだ!いいから、今から俺が今から案内するうどん屋に連れて行け!問答無用だ!早うせい!」

 将門からどんぶりと共に語られたうどんという言葉を聞いて私は目を瞬いた。まさかこの天下の大悪党平将門もうどんを食べるのか!もしかしてそのうどんは将門が生前食べていたうどんそのものなのか?私は一瞬にして将門の命を受け入れ知らず知らずのうちに平伏していた。

「将門様、私めがあなた様の先導をさせていただきます!」


 というわけで私は将門こうをうどん屋に連れてゆくために次の駅で降りる事にした。将門の行きたがっているうどん屋は古川市にあるという。そこまで電車を乗り継ぐと遠回りになってしまうのでしょうがなくタクシーを拾う事にした。しかし何故公は古川市のうどん屋に行きたがるのか。タクシーに乗って運転手に一通りうどん屋までの道を説明した後、私はその事を聞いた。公は私の問いに頷くと遠い目をして語り始めた。

「その古川市の昔幸島村と呼ばれた辺りは俺が討ち死にした場所でな、その辺りに俺が昔召していたうどん職人の末裔がやっているうどん屋があるんだ。俺は亡霊となって千年以上こうして今も日ノ本を彷徨っているが、それは別に謀反が失敗に終わった事の口惜しさからでも、朝廷や藤原忠平への恨みからでもない。それはあの討ち死にした朝に最期のうどんを満足のいく形で食べられなかった事への未練からなんだ!」

 私は満足のいくうどんと聞いてそれは……と口にしそうになったが、しかし誤解だったら変に怒らせて命にかかわるかも知れぬと慌てて口を噤んだ。

「だからうどん好きのお前に取り憑いたってわけだ。確かに千年以上日ノ本の移り変わりを見るのはそれなりに楽しくもあった。だけど俺はそろそろ成仏がしたくなったのさ。だけどいくら成仏したくてもあのうどんを満足のいく形で食えぬうちは決して成仏できん!お前なら俺の言っている事わかるよな?」

「わかります!」と私はきっぱりと将門公に答えた。うどんを愛する私には将門公の気持ちは痛いほどわかる。ああ!自ら新皇と名乗り朝廷に刃向かった大悪党がこれほどうどんを愛してくれるとは!もしかして将門公の満足のいくうどんが私の愛するあれであったら……。

 料金メーターが振り切り確実に多額の金が飛ぶタクシーの車内で将門公は私に実にいろんな事を話してくれた。まず将門公は今世界中で人気の某少年漫画に自分がでない事に文句を言った、ら

「日本三大怨霊のトップは俺だろうになんてあんな文弱野郎の菅原道真ばっかり出るんだよ!おかしいだろうが!」

 私は三人めの亡霊が絶対に漫画に出せない人物であるのに思い当たり、将門が先祖を辿れば三人目の人物と同じ血族である事を考え、多分大人の事情じゃないかと思ったが、そんな事を口にしたら命に関わるのでひたすら文句を言っている公に相槌を打ってやり過ごした。

 次に将門公は同じ武士である源頼朝や徳川家康が自分の果たせなかった関東政権を作った事を誇らしいと褒め称えたが、その彼らがかつてライバルであった源氏の子孫である事を残念がり、自らの夢を継ぐものが平氏に現れなかったのを悔しがった。私は公を宥めるつもりで、でも平清盛がいるじゃないですかと言ったのだが、将門公は私の口から清盛の名を聞いた途端激怒して怒鳴ってきた。

「清盛だって?アイツはコソ泥の国香貞盛親子の末裔じゃねえか!俺は秀郷だって許すがあのコソ泥とその末裔だけは絶対に許さん!その清盛の平家だってコソ泥みたいに天下を盗ったようなものだ!あいつの息子たちが壇ノ浦に沈んだのは天命だ!」

 将門公は先程の達観の境地はどこへやら、今は感情をむき出しにして清盛と平家を罵倒しまくった。私はその怒りに過去に怨念などないといいつつ、それでもそこに囚われてしまう人の性を見た。歴史上の人物とはいえやはり我々と同じ人の子。死しても容易に煩悩から抜けられないものなのだ。


 それからも将門公はいろんな事を話したが、その中には当然ここでは書けぬこともある。もう私が将門公の話を公にしてしまえばおそらく日本の歴史の教科書を丸ごと書き換える事態となることは確実である。ああ!あんなことやこんなこと。え~、うっそ~、あの人があんな事をしていたなんてという話が目白押しだった。そんな話で盛り上げっている時、急にタクシーが止まった。私はうどん屋についたのかと思って周りを見たのだが、辺りはすっかり日が落ちていてうどん屋の姿は確認できなかった。私はさてはこの運転手迷ったなと思ったが、その時将門公が歓声を上げてここだここだと言い出したのである。私は喜ぶ公にうどん屋がどこにあるか尋ねた。すると公は道路わきを指さしてあれがうどん屋だと答えた。だがこの暗闇の中目を凝らして見てもうどん屋らしきものは見えない。私はとにかく降りて近くまで行ってみようと思い、ドタクシーから降りるためにドアを開けようとしたのだが、固くロックされていて力を入れても開かなかった。

「お客さん、こんなド田舎まで運ばせてただ乗りはいけませんよ。代金きっちり払ってもらわないと」

 このタクシー代という平手打ちでハッと目を覚まされた私は、さらなる料金メーターと伝票という、月の給料の三分の一以上の金額が表示された代物という鈍器で頭をぶん殴られて目が半分以上飛び出てしまった。しかし将門公はそんな状態の私を気遣うどころか、さっさと金払えと私を急かした。私の言う通り泣きながらクレジットカードを出して代金を清算した。


 こうして私と将門公はうどん屋の前に立った。近くで見て確かにこの建物が飲食店らしきものだという事は分かった。しかし立て看板は折れて地面に倒れ、その看板の文字は見事に文字が消えていて見えず、本当に営業しているのかと怪しまれるものであった。店本体もボロボロで営業どころか人がいることさえ怪しいものである。私は店の戸の上に掛けてある小さな店看板からようやくこのうどん屋の名を知ることができた。店舗名は公の名前をそのまま使った『将門』である。将門公はその店看板に書いてある自分の名前を見て涙をぬぐってこう言った。

「千年以上待ってやっと奴のうどんが食べられる。今の世は戦もなく平和だから時間など気にせず心行くまでうどんが食べられるぞ」

 私は涙ながらにこう語る将門公を見て、もしかしたらここも公と同じ幽霊がやっている店ではないかと勘繰った。

「しかし、このお店はちゃんと営業しているのでしょうか。明かりなどないし、うどんどころか人の気配すらないような……」

「お前、何を勘違いしている。ここはれっきとしたうどん屋だぞ。店主もちゃんとした人間だ。大体化け物がやっている店に行くためになんでわざわざ人間のお前に取り憑かなくちゃいけなんだ。人間のお前に取り憑いたのはうどんを食えない俺に成り代わってこの店のうどんを食べてもらいたいからだ。ちなみにこのうどんは十時まで開いている。おい、今は何時だ」

「九時過ぎたところです」

「ならばラストオーダーまで全然余裕がある。さあ入るぞ。百聞は一見にしてしかず。早く俺のために千年ぶりのうどんを食え!」 

 私は将門公の言葉に納得のいかないものを感じながらとにかく店の戸を開けた。するとカウンターの奥にいたか弱そうな老人がこちらを見ていらっしゃいと声をかけてきた。だが、その瞬間老人は再び私を、いや私の隣にいる将門公を見とめたのか急に駆け寄ってきて平伏してきた。

「将門様、お帰りなさいませ!我々一族郎党千年片時も将門様の事を忘れることはありませんでした。わが父も、祖父も、高祖父も、その父も、平安時代から、今までどれほど将門様のご帰還を待っていた事でしょうか。ああ!あの世のわが先祖はきっと私を一族一の果報者と言うでしょう!」

「ふむ、千年以上の長きに渡って待たせてすまない。実は俺はこの地に何度も来ていたんだ。だけどここに入る勇気はなかった。ここに入ってうどんを食べたら俺は成仏しちまって二度とこの世には戻れなくなるからな。でも俺はやっと成仏の決心を固めたんだ。それで最期にうどんを食べようと思ってここに来た。さぁ、俺の前にあのうどんを出してくれ。お前もあのうどん職人の子なら何も言わずともわかるだろう」

「将門様、本当によろしいのでしょうか。最後の食事を私のうどんで締めて」

「良いのだ。俺は千年以上うどん職人とその末裔であるお前たちが作るうどんへの未練でこの世に留まっていたのだ。だから逆に俺はお前にこう命じるぞ。早く俺のためにうどんを作れ。さもなくばその首今すぐたたっ切ってやるぞとな」

 うどん屋の主人はその将門公の言葉を聞いて涙ぐんだ。私もまたその二人の古来から延々と続く主従の絆を見て涙した。ああ!うどんが結ぶ絆はここまで深いのか。うどんはその太い面で歴史を繋ぎ、それぞれの時代に生きる人々の心も繋ぐ、ああ!偉大なりうどんの力よと感激にむせんだ時、主人が私にこう聞いてきた。

「すみません。お連れのお客さんも将門様と同じうどんでよろしいでしょうか?」

 すると将門公が割って入ってきて主人に言った。

「いや、この男は俺がお前のうどんを食うために取り憑いた男だからうどんは一杯で結構だ。俺は幽霊だから食事は食えないんだ。だけど人に取り憑いてそいつの口を借りれば食べ物の味は分かる。だからこいつにはうどんはいらん。俺のうどんをこいつに食わせるんだ」

「なるほど」とうどん職人の末裔である主人はすぐに了解して私に深くお辞儀をして厨房に向かった。私は将門公の言葉を聞いてこれじゃ一種の間接キッスだと思ってなんだか不愉快になった。その私の表情を見て将門公が怖い顔でお前、食いたくないのかと聞いてきた。私は当然ながら間接キッスが嫌だとは言えず何もありませんと小声で答えた。

 私と将門公はカウンターで主人のうどんを待っていた。将門公は目を瞑って静かに最後の晩餐であるうどんを待っていたが、おそらく公は千年以上この世で過ごした日々を思い出していただろう。千年以上あったこの世への未練がうどんだというのはうどん愛好家の私にとって喜ばしいことであった。私は今その将門公のためにうどんを食べようとしている。確かに間接キッスになる。間接キッスとは女性とするもの。決して男とすべきものではないが将門公のうどんを食べるならば致し方がない。しかしそのうどんとはどのようなうどんなのだろうか。やはりと思った時、店主が盆にのせたどんぶりを丁重に私のもとにおいた。

「将門様。召し上がりくださいませ」

 カウンターに置かれたどんぶりの中のものを見て私はあっと声を上げた。そのうどんはあれによく似ていた。だが何かが足りないような気がする。それは何かとうどんを目の前にして考えたが、その時将門公がいきなり刀の鞘で地面を叩いて主人を怒鳴りつけた。

「なんだこのうどんは!一番大事なものが入っていないではないか!確かに生姜は大匙一杯丸々入っている。醤油も五回まわしで入っている。なのにどうして天かすが入っていないんだ!お前、先祖からうどんの作り方をちゃんと学ばなかったのか?こんなうどんは食うに値しない!」

 なんと将門公の食べたがっていたうどんはやはり私が日ごろから親しんでいたあの天かす生姜醤油全部入りうどんの事だったのである。おそらく主人もそれと同じものを出したに違いない。だが、将門公の言う通り目の前のうどんには天かすがない。将門公の言う通り先祖が天かす生姜醤油全部入りうどんの作り方を伝授しなかったのか。いや、眉間に皺を寄せた重々しい顔の主人を見るとそれは違う気がする。

「答えろ!何ゆえにうどんに天かすを入れなかったんだ!さっき俺が言ったようにうどんは天かすを入れた方が美味しいことを先祖は教えなかったのか?それとも別の理由があるのか?いいからはっきり言え!」

 将門公の詰問に主人は何も答えなかった。私は彼の苦しそうな表情を見てより深刻な理由があるのだろうと考えた。私はそれを尋ねようとしたが、この歴史を超えた主君と家来の対話に余計な口をはさむべきではないと自分を戒めた。そうしてしばらくの時がたった時、今まで黙っていた主人がとうとう口を開いたのであった。

「将門様、恐れながら申し上げます。うどんに天かすを入れぬというのはわが一族のしきたりなのです」

「なに?しきたりだと?」

「はい、しきたりでございます。わが一族はこのしきたりを将門様が討ち死にされたあの日から今までずっと守り続けてきたのです。そのおかげでうどん屋は一向に栄えず今もこのような見苦しい状態ですが、それでも戒めだけは解かずにいたのです」

「なぜそのような戒めを自らに課したのだ!うどんは天かすと生姜と醤油があってこそ初めて天下に相応しい料理となるのに!」

「まさに今おっしゃったことが理由なのです!」

 主人は覚悟を決めた表情で将門公に言った。

「言い伝えによりますと、将門様が討ち死にされた後、初代は料理人たちに向かってこう言ったそうです。『将門様が天下を握らんと野望を抱いたのはワシがうどんにこの天かすを振りかけたが故じゃ。元々将門様の目の前で息子が天かすをうどんに天かすをこぼしてしまったのがきっかけ。将門様はこれを天下のうどんと笑って食べ、そしてうまいからこれから毎日作れと命じられたのがすべての始まり。じゃがそうやって毎日将門様に天かす生姜醤油全部入りうどんを召し上がらせているうちに将門様はいつしか天かす生姜醤油全部入りうどんに憑かれて天下の夢を見るようになってしまわれた。ワシがそれに気づいたのはすでに遅く将門様が謀反を起こした後じゃった。ワシは最後に将門様を救おうとして天かすなしのうどんを将門様に出した。だけどそれでも将門様は救えなかったのじゃ!じゃからせめて将門様の御霊を慰めるためにこれよりうどんに天かすを入れることは禁止するぞ』と我々一族はその初代の言いつけを今までずっと守ってきたのです。そうすればいずれ将門様も心安らかに成仏なされるだろうと思って……」

 私はこの主人の驚くべき話を耳を集中させて聞いた。将門公を狂わせた天かすの呪い。古代の人々の天かすに対する恐れ。それは確かに今では迷信に過ぎないとあざ笑われるものなのかもしれないが、私はとても笑えなかった。なぜなら私もまた将門公のように天かす生姜醤油全部入りうどんの魔に憑かれたものだからだ。私もまた天かす生姜醤油全部入りうどんを食べる度に自分が織田信長にでもなったような気がすることがある。太閤秀吉にだってなれそうな気がしたことがあった。確かに主君が天かすを食べすぎたがゆえに自己肯定の塊になりその挙句謀反を起こして討ち死にしてしまったら天かすを禁ずるのもむべなしとせざるを得ないだろう。

「それは違うぞ!」と将門公が私の天かすに対する思考をぶった切って叫んだ。

「やつは何を誤解していたんだ!奴はこの平将門をそのような弱い男とみていたのか!あの爺目!全くいつまでも俺を子供扱いしてからに!俺はこういっちゃなんだが、昔から、勿論天かす生姜醤油全部入りうどんを食べる前から天下取りの野心を抱いていた。天かすはそんな俺の野心を少しだけ後押ししてくれたに過ぎぬ。大体俺はあの大悪党平将門だぞ!その俺が天かすごときで己が道を誤るわけがないではないか!俺が天かす生姜醤油全部入りうどんを食いたかったのは、ただ単に天かす生姜醤油全部入りうどんが食いたかったに過ぎないんだ!それにもしかしたら天かすうどんが朝昼晩食べられる世だったら俺は天下取りの野望なんて抱かなかったかもしれないんだ!」

「申し訳ありませぬ!」と突然耳慣れぬ声が聞こえた。それで私が声の方を向くとそこに小袖を着たうどん屋の主人によく似た老人が平伏していたのである。

「お前、まさかお前もここに留まっていたのか!」

「そのようでございます。私は将門様に天かすを召し上がらせていたことを謝ろうと思ってずっとこの世に留まっていました。しかし今の将門様の言葉を聞いて長年仕えていながら自分がいかに将門様を知らずにいたかを知った今もう謝ろうにも言葉すら出てきません。いっそここで首でもくくろうかと思いましたが霊になっしまってそれもできません。ああ!私はどうしたらよいのか!」

「謝ることはない。貴様ごときに大悪党の俺の心が読めずともそれは当たり前の事。俺が今貴様に命ずるのはこの末裔に改めて天かす生姜醤油全部入りうどんを作らせることだ。わかったな?」

「御意!」

 初代はつかつかと末裔のところに歩いていき、一から天かす生姜醤油全部入りうどんの作り方を教えた。私はその間将門公に命じられて先に出された天かすなしのうどんを食べたが、やっぱり物足りなく感じた。私と一緒に味わっているであろう将門公も同じように感じたようで私に向かって早う食べよと吐き捨てるように言っていた。

 そうして改めて出されたのが、今度は天かす入りの正真正銘の天かす生姜醤油全部入りうどんである。このうどんが出された瞬間私が今さっきうどんを食べたにも関わらず涎があふれて落ちてしまった。私は早く食べんと箸でうどんを掴んだ。

 口に入れた瞬間古武者の幻を見たような気がした。一口一口麺を嚙むごとに騎馬隊が頭に浮かんだ。麺にまとわりつく天かすはまるで騎馬に生えた翼だ。翼を生やした馬は馬上の武者を乗せて高く高く運んで行く。生姜はその天の世界住まう天女が持つ琥珀色の饅頭だ。一口食べたら思わぬ刺激で目も冴えわたる。ああ!あの五回まわしで流れる滝を見よ。あれは五回周りでどんぶりに注がれる醤油だ。なんという美味さか、なんという深みか、なんといううどんか。私はあっという間に天かす生姜醤油全部入りうどんを食べきると主人と初代に向かってその感動を伝えようと口を開いたが、しかし私の声は将門公の感嘆の叫びによって遮られてしまった。

「おおお~!久しぶりだぜ!ああ!俺はもう何の未練もねえ!こんなに美味い天かす生姜醤油全部りうどんを食べてこの世に未練なんて感じられるかよ!俺はまっすぐあの世に逝くぜ。そこが地獄であろうが、天国であろうがどうでもいいぜ!どんと来やがれだ!」

「将門様、私もお供させてくださいませ!私はいつまでも将門様に仕えとうございます!」

「おういいぞ。あの世でもうどんが食えるならそりゃ結構だ。また天かす生姜醤油全部入りうどん作ってくれ」


 それから私と主人は二人で将門公と初代のあの世への旅立ちを見送った。それから私たちは共に経験したこの不可思議な出来事を語り合った。彼は私を将門公の末裔かと聞いてきたが、私はそのようなことがあるはずがないと答えた。すると主人はではどうして将門公はあなたに取り憑いたのかと不思議そうな顔で言った。私はたぶんと切りだして、一息おいてからこう言った。

「それは私が無類の天かす生姜醤油全部入りうどん好きだからでしょう」


 その後私はしばらく店で主人と話し込んでいたが、やがて主人が店じまいなんでと言って私に勘定をするように促した。私は今までの話の展開からなんで勘定なんてするんだと不平を言いそうになったが自分はあくまで客なんだと戒めてどうにか耐えて代金を払った。そして店にまた来ることを約束してこう付け加えた。

「あの、さっきの天かす生姜醤油全部入りうどんメニューに付け加えた方がいいですよ。もう千年の未練も、千年の誤解も解けたわけだしね」

「ありがとうございます。では明日からさっそく新メニューに入れましょう。ところであなたはこれからどこへ行くのですか?」

 私は主人の言葉を北へと旅立つ自分に対する励ましだと受け取った。それで私は振り向きもせずに店の外に出てからただ一言こう呟いた。

「北へ、そう日本のうどんを求めて北へ向かうんですよ」

「ああ、そうですか。それでは体に気を付けて。でも注意してくださいね。ここ辺には宿一つもありませんから。ではまたいつか」

 振り返る間もなく主人はさっさと戸を閉めて思いっきり音を立ててカギをかけた。


 その後うどん屋『うどん屋将門』は天かす生姜醤油全部入りうどんがメニューに追加されたのを機に『うどん屋天将門』を名を変えたが、その天かす生姜醤油全部入りうどんがあまりに美味いと全国に評判が広まってそれまでのぼろっぷりがうそのように繁盛した。店も改装され今は立派な店構えになっているが、もう一つこの店が評判になっている理由があり、それは店に度々古武者と小袖の従者の幽霊が登場するからである。この二人が将門公と初代であるかはわからない。だがもしあの二人だとするとそれは天かす生姜醤油全部入りうどんの成果と思われ、やはり天かす生姜醤油うどんとはいろんな意味で罪深いうどんだと思うのであった。

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