夏への扉を探す理由があるとしたならば それはどのような時なのでしょうか? 私は一番好きな季節である夏をいつもいつも探しています。 夏雲が流れる音が聞こえてくるような気がしました。それはただの風音だったのかもしれませんし、もしかしたら波の音だったのかもしれません。それでも私には雲の流れる音に聞こえましたし、それは即ち光が流れる音でした。 夏が来ると直感したのはその後です。音は光となり、光は私のまなことフィルムに確かに定着されたのですから。 それでも私は今も、それで
半径1キロ少々の空間に封じ込められた さまざまな事象を同時に定点観測できたとしたならば、それはどんな群像劇として私の網膜に記憶されるのでしょうか。喜劇たる狂言でしょうか? それとも悲劇たる能なのでしょうか? そのようなことはありえないのですが、半径1キロ以内の空間、前後1時間以内の時間が刻み込まれた36枚を内包した1本のモノクロフィルムを俯瞰して見た時、それは白昼夢として私の脳内に再記録されるのでした。 村田和人の「一本の音楽」ではないですが、1本のフィルムが私にそう
夏になると海のにおいが恋しくなります。 潮が「朝」のもので、汐が「夕」のものだと先日知りました。なるほど、文字ってすごいなあ。 私は朝の海も、ゆうやけこやけな海も好きですが、遅い昼の海も好きなのです。でもこれって汐・・・ってコト!? 違いますよね、通常は1日2回の高潮と低潮があるそうなので。 汐までもう少し待てば良かったですね。でもその前にタイムオーバー。遅い昼の海を散歩して、数回シャッターを押して、私は後ろ髪をひかれつつ帰路につくのでした。 Fantôm
耕作地を大きくカーブした道の向こうには、 そこにはただただ「コウヤ」が広がっているようでした。それは西部劇で見るような広大にして荒涼とした空間ではありませんでしたが、荒野にして広野と呼ぶには十分に思えます。 どうやら昔は田畑だったのではあるまいか? と、私は独りごちました。タバコを吸うことはありませんが、タバコをふかしたい気分に襲われます。もちろん心の中でふかしただけで、肺には煙を入れないチキンです。 荒野を前にして味わう、この孤独感がたまらないのかもしれません。私は
あてもなくドライブする目的があるとするならば それは、夏かしい風景を探しているからなのかもしれません。私の記憶にあるはずのない風景。それでも心にはある風景。 記憶にない風景とは、忘れているということではありません。いままで一度も経験したことが無いであろうということです。 それでも心にはあるのです。あの夏かしい懐かしい風景は。おそらく口伝を聞くことで、もしくは小説や映画を観ることで、あるいは前世や来世の記憶なのかもしれません。 兎に角、私は、それらの風景を探
早苗は日の光の中、ペリドットのように透明だった 向こうには、新幹線の高架橋が見えていました。 この時期、水田の里には、人工の湖が出現します。その水面の煌めきに魅了されて、貴方が近づいたとしたならば、今度はそこに可愛らしい萌黄色の早苗たちを発見することになるでしょう。 ※このnoteは他ブログに令和5年5月12日投稿した記事の転載です。現在他ブログから記事を移送作業中なので、タイムリーではありません。 はやくの夏の到来を祈願して・・・ 新幹線からも見えるでしょう
去年の桜は風のように頬を撫でてゆきました ことしもここで逢いましょう。 camera:PENTAX 645Nii film:FUJICOLOR PRO400H
モノクロフィルムで海を見る カラーフィルムで撮れば、いいではないか。とは、言わないでください。それで物語は、終わってしまうのですから。 スマートフォンやデジタルカメラで撮って加工したら、いいではないか。とも、言わないでください。白黒フィルムを自分で現像している時間が、ただ好きなのです。 じぶんでもよくはわからず、私は、だれかにこの海の色をおしえてあげたいのに、今日も黒白フィルムで海を撮っています。 でもそれは、多分、可能なことなのです。なぜなら、 ひとは、文字
ある春の一日 青い空と、梅桜。 また、あの日に出逢いたいと思う今日の青空でした。 camera : PENTAX 645Nii film : FUJICOLOR PRO400H
その雪も、一夜の夢 少しだけ昔の話。それは2022年、4月30日のことでした。 突然の春の嵐、目覚めればユキハラ。 しかしそれも一夜の夢。昼前には名残り雪は逝き、変わらぬ春の日差しが訪れたのでした。 それでも、目に焼きついた光景は数年経っても脳裏からは消えず、ただ「雪とチューリップは苺のショートケーキ」というイメージだけが、私の中に残ったのです。 film : Kodak Color Puls 200
桜の海をさまよう、そんな日でした その日は桜を求めて、どこまでも歩いていたい気分でした。空気は清浄だったと思います。桜の木には、なにか浄化する装置でも内蔵されているのかしら? どこまでも歩いていると、そこはどこにでもあるような、でもどこでもないような、そんな時空に変質して行きます。迷い込んだ先にはまた桜。でもそれはとても心地の良いことなのです。ピンク色のようで白く、白いようで透明色の花びらたちは、なんの歌を歌っているのでしょう? 私はそっと聴き耳をたてました。 ※このn