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もういちどうまれた。

「がんばれがんばれ」「こうしたら楽なんだよね」

真夜中、うすーい意識の遠くから大好きな看護師さんの声が聞こえた。
…ん?ここ、病室じゃないな…自分、飛んでたんだな…そうか、助かったんだな。
事態を理解するまでに時間はかからなかった。
0時を回る前の準夜帯、人工呼吸器を装着していても血中酸素飽和濃度が低下気味で酸素を流し始めていたからだ。
(ちなみに消灯前までは『あー、しんどい』と思いながらサ道を観ていた)

ほんの半日前の面会で「最近ちょっと体調イマイチでね~」と漏らしていたので、真夜中の電話には父もさぞゾッとしたことであろう。
ただ不幸中の幸いだったのが、偶然にも主治医が当直でいてくれたのと目覚めたくなる声が聞こえてきたことである。
何よりも亡くなって一年も経たない母から「まだ来るんじゃないよ早い」と追い返されたことが確実に一番だった。
結局のところしばらくスッキリせず苦しんでいた痰が悪さをして窒息で死にかけた(自分は1回ちょっと死んだと表現している)のだ。
マキシマムザホルモンっぽく言うと"ぶっ生き返った"のだ。

朝ちゃんと覚醒すると目の前には主治医と父がいて、「気管切開するでいいよね?」という問いに同意せざるを得なかった。
24時間人工呼吸器を装着しての生活になって10年とちょっとのタイミング、先のことをトータルで考えて早めに手術してしまう選択肢もこの一件と関係なく話には出ていた。
まだ粘れる可能性もあった半面で実際に急変を起こしたのは事実だし、いずれこの運命を辿るなら早めにアジャストしちゃえという決断に至った。
そして大半の人が声を失うリスクを伴う手術は成功した。
世の中はコロナによるパンデミック前夜、まさかこれからというところで誰にも会えなくなるとは予想できていなかった。

それでも苦しいけどこのアディショナルタイムを無駄にしちゃダメだと心に火が点いた。


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