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逃げるは恥だが役に立った(中学校へ)

地元の小学校での6年間を全うした後の進路。
自分の学区にあたる中学校でも設備面を含め前向きに受け入れる姿勢でいてくれていたが、養護学校(特別支援学校)に進むことを決断する。
そこには色んな理由があった。
小学校の仲間もだんだん相手にできなくなるのでは、親に頼りっきりなのを誰かにバカにされたり不良にイジメられるのでは…
何よりも病気がどれぐらい進行するのだろうかと想像すると、3年間を全うできる自信が持てず単純に怖かったのだ(逃げたとも言える)

特別支援学校というと勉強のレベルが低かったり結果的に社会から遠ざけてしまうのでは…という否定的な意見も少なくない。
特に日本においては(言葉は悪いが)区別してしまう傾向が強く、その存在意義の議論をなされている昨今である。
今の時代だったら自分自身もどうするかは分からないが、そこは度外視して約25年前に経験してきたポジティブだった部分にフォーカスして書きたい。

自分が通っていた学校は障害の度合いで3クラスに分けられ、新たなクラスメイトはたった3人だった。
大半の生徒が隣接の病院に入院しながら登校していたが、自分は親に送迎をお願いできる環境にあったので家から車で登校していた。
小人数とはいえ全く知らない場所に行く緊張はあったし、当時の肥えていた感じが自分と似た同級生と出会い、初めて同じ病気の人間を意識する。
建物自体は新しくはなかったが、当然バリアフリーでスロープでどこまでも行けるようになっているのがシンプルに嬉しかった。
先生たちも言わばプロなのでパワーがあってそれなりに介助も上手いという安心感があった。

授業のレベルは先述の通り確かに低く、初めのうちは真面目に勉強せずともテストでも余裕で無双していた。
小学校でふざけていたノリを踏襲するだけで結構ウケちゃうこともあったりして、まあ調子をこく。
とにかく大人たちに無駄に褒められるのが気持ちよくなり、決して前に出るタイプではなかった自分がイキッて何でもやりたがるように。
歩けるツレ(ボキャブラ天国で意気投合)もできて、もう1人の脳性麻痺の入院組の同級生もたまにひがみを見せつつも動けない自分を助けてくれた。
この2人で良かった、きっとこれは悪い選択じゃなかったんだと思えるまで時間はかからなかった。

つづく

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