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北海道から富山へ移動し、大学の友人と合流

幼馴染に別れを告げ、1人富山へ。昨日写真に収めた余市蒸溜所の展示を飛行機の中で読む。

本日の北海道

竹鶴政孝は大学の醸造科で学び、洋酒を作りたい一心で社長に直談判して大阪の洋酒メーカーに就職。熱心な仕事ぶりを見た社長から「スコットランドで学んできなさい」とウイスキー留学を提案され、第一次世界大戦末期の不安定な情勢の中、5カ月かけて単身スコットランドへ。もうこの時点でバイタリティがすごい。

当然知り合いはゼロ。孤独を感じながらも学校へ行き、スコットランド各地の醸造所を周り、そこで学んだウイスキー造りの全てを報告書として2冊のノートにまとめ、現地で出会い結婚したリタとともに帰国。

政孝もすごいけど、リタもまたすごい。この当時、スコットランドで日本人と結婚し、日本に渡るというのはとんでもないことだったはず。

竹鶴ノート

帰国後、不況の影響で元いた会社を退職した政孝にサントリーの社長が声をかけ、国内初の本格ウイスキーを造る。蒸溜所の設計も政孝が手がけ、できたのが山崎蒸溜所。ニッカウイスキーのみならず、山崎の誕生にも政孝が関わっていた。

政孝が余市で独立したのは、山崎蒸溜所の竣工から10年後のこと。ウイスキー留学から20年後、ついに最初のニッカウイスキーが完成する。

余市蒸溜所の設備投資を全面的に支援したのはアサヒビールの社長。サントリーが政孝に日本初の本格ウイスキー造りをするチャンスを与え、アサヒビールが政孝の理想のウイスキー造りをサポートしたわけで、アベンジャーズ的なアツさがある。

妻のリタが亡くなって落ち込む政孝に「彼女のための特別なウイスキーを作りなよ」と息子が提案。そうして生まれたのが、無料試飲で飲んだスーパーニッカ。何も知らずハイボールにして飲んだスーパーニッカは愛の酒であった。

ラブリーな政孝

総じて、めちゃくちゃドラマチックだった。そりゃ朝ドラにもなる。宮城峡蒸溜所もあるので、今度はそちらに行きたい。

本日の富山

富山には何度か来ているが、飛行機は初めて。空港の荷物コンベアにはお寿司もくるくる回っていた。たしかに回転寿司と似ている。とてもすてきな発想。

本物の寿司も食べた

空港からのバスは本数がとにかく少なく、30分近く歩いた先にあるバス停へ向かう。あとで調べたら富山きときと空港は1日の到着便が5便くらいしかなかった。

しかもそのうち1便が新千歳空港で、残りは東京。当然のように北海道から直行便で富山に来たけど、実はなかなかラッキーなことだった。もし出発地が九州や沖縄だったら面倒だったのかもしれない。

空港から大通りに出る道はとにかく開けていて、抜けが良い。

そして暑い。昨日は厚手のセーターにマフラーを巻いていたのに、今日は半袖日和。自律神経がぶっ壊れそう。

歩道のわきにはねぎがどさっと放置されていた。よく見たら、どうやらねぎ畑。ねぎのお花を初めて見た。

ねぎ坊主

夜は大学の先輩と落ち合い、飲みに行く。めちゃくちゃ良いお店だった。富山の魚、個人的には北海道よりおいしいと思う。

ぶりしゃぶポン酢

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