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【エッセイ】初めて借りたあの部屋

厳密に言えば、自分の名義で部屋を借りたことはない。会社の借りたアパートを3軒回って、今は旦那と借家に住んでいる。次は家を建てるだろうから、離婚でもしない限り私の人生に「部屋を借りる」経験はないことになる。なんだか世間知らず感があってシャクだが、多少ままならない事を抱えていたほうが禍福のバランスが取れている気がして落ち着く。

さて、初めて住んだ部屋について。

就職と同時に家を出て、秋田県秋田市に住むことになった。3月末、埼玉を出発して北上していく途中で路肩に雪が現れた。父は「標高が高いから」と言ったが、残念ながらアパートの前の歩道にも雪はあった。

貧乏症で、光熱費に怯える私はエアコンをあまり使いたくなかった。食事以外は布団にくるまる生活。朝起きると体はガチガチ。
それだけしたのに1ヶ月後、諭吉が三人引き落とされていた。

これは、服や膝掛けを買い足さないといけない。
いやむしろカーペット? 布団?
しかしその頃はもう5月、さすがに寒さも遠ざかっていたし、今から買い物に行っても良い物はないだろう。仕事も忙しいし。と、また寒くなってきた頃に対策を考えることにしたが、この選択は正解だった。

職場でハロウィンの飾りつけが始まる頃、雪国で生まれ育ち、豪雪地帯に就職したツワモノとお付き合いを始めた。
彼は私の部屋を見て、分厚いカーペットとこたつと電気毛布をおすすめしてくれた。普段の私は気が強くて、人の言いなりになることなど滅多にないが、この時ばかりは言われるがままに買い物をした。
エアコンの設定温度を下げて生活できるようになり、朝までぐっすり眠れるようになった。
冬仕度でも諭吉は旅立っていったが、物の形をとって、力強く温めてくれるのが頼もしかった。

このときに買った物のうち、ほとんどは彼の故郷である雪国へ来るときに手放したが、電気毛布だけは今も私の寝床を温めている。



隣の部屋には私と同じ新入社員の女の子が住んでいた。短大卒で二つ年下で、目がぱっちりして色の白い美人さんだった。夏のボーナスが出た日、二人でケーキを食べて上司の愚痴を言い合い、社会人らしいとはしゃいだのを覚えている。
以降、夜が長くなっていくのにつれて彼女の帰宅も遅くなり、すべすべだったお肌は吹き出物とクマで隠されていった。冬のボーナスを何に使ったのか、言い合うことはなかった。
3月になって、私に転勤の辞令が出たことを廊下で報告すると、彼女はここを辞めるつもりだと言った。それがいいね、元気でね、と答えた。
数ヶ月後、SNSに友達と遊んだらしい投稿が上がっていた。私は転勤先でそれを見て、ああ良かったと思い、プリンを買って帰った。

初めて住んだ部屋は窓からラーメン屋が見えた。味よりも脂とボリュームを売りにしている店で、夜になるとビカビカした電気の下にステッカーを貼った車が並んだ。
彼氏はそれを格好悪いと言った。
車はプロの、凄腕のデザイナーが作り上げた作品であり、何も飾っていない状態こそが至高だという事らしい。
私は父の車に水曜どうでしょうのステッカーが貼ってあり、弟のギターケースにはライブハウスのステッカーがベタベタと貼ってあるのを思い出して、「価値観が違う」としみじみした。
(2022年8月13日追記:ちなみに、彼が乗っている車は変わらないが3年前にウイングが追加された。一般人の美学なぞ、ひとえに風の前のチリに同じ)

ある朝、昼近くなっても布団にいたら消防車のサイレンが立て続けに通って行った。外を見ると、真っ青な空を煙が横断している。思わず写真を撮って母に送った。送ってから、心配症で過保護な母の返事とそれを落ち着かせる手間を想像して、失敗したと思った。
しかし返ってきたのは「洗濯物はしまいなさいよ。今日は休み?」という二文だけで、身構えていた私は拍子抜けした。
ベランダに出て、まるで雲のようにのんびりと流れる煙を眺めながら、ベランダが窓から離れて飛んでいく童話があったなと思った。私のベランダはまだ部屋にくっついている。でもこの部屋は? もしかして、今、ちょっと浮いてたりして。

6年経って思い出すあの部屋は、ちょうどあの煙のようにプカプカと、空に浮かんでいる。


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