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【自問自答】飼っている動詞について考えたら、肩の力が抜けたかも。

こんにちは。飛騨高山の自問自答ガールズ、かわのはしです。

って感じの定型文でnote書くの、なんかいいなと思って試してみました。もし他に高山在住のガールズさんがいたら再考するので教えてください。
あと良かったら友達になってください。


さて、こちら↓のnoteを読んで、パッと思いついたのは「読む」。

子どもの頃から読むことが大好き。

本はもちろん、お菓子のパッケージや旅先の看板まで、書いてあれば何でも読むタイプの文字好き。

幻冬社大学講演会をアーカイブ視聴していて、あきやさんに「みんなインプットしすぎです」と言われてドキッとしたものの、読む量を減らそうとは思わなかった。
私にとっての文章は、テレビや音楽と同じように大半が流れていくもの。たぶん、インプットとは呼ばない摂取方法をしている。
あきやさんの話の趣旨は「何でも真に受けすぎないでください」ということだった。と、思う。
私としては「もし無責任に攻撃してくる文章があったとしても、さっと流せるので傷つくことはあんまりないし、読む量を減らさなくても別にいいんじゃないかな」という受け止めだった。

小説やマンガで、知らないストーリーを夢中になって読むのが好き。
エッセイや実用書も好き。noteも好き。
人が何かを伝えようと、自分の思考をギューっと絞って、ああでもないこうでもないと悩んで整えた文章が好き。
SNSも好き。好きな人たちの文章がそれぞれのタイミングで届くから、みんな生きて暮らしているんだな〜と感じられて味わい深い。


でも最近は、真剣に受け止めたい文章が多くて、ちょっと今までと様子が変わってきた。

全部読みたい。でも時間が足りない。読みたい文章がChromeのタブに80個くらい溜まっている。
これが本なら積読と呼ばれる状態。私の人生においては初めてのことだ。

3月の自問自答ファッション教室で「お金も才能もあって、なんでも出来るとしたら何がしたいですか?」と聞かれて、最初に思い浮かんだのは「ひたすら本や漫画やTwitterやnoteを読んでいたい」だった。
(余談:先日、夫も出かける用意をしながら「一日中アニメ見てダラダラしたい…」とこぼしていて、「分かる」と深くうなずいた)

でも、それだけでは人生つまらなくなりそうだし、読むだけの職業なんて思い浮かばない。
「読む」は将来に渡って目指したい「コンセプト」ではなく、単に「今の私がしたいこと」だ。

じゃあ読むこと以外で仕事にするなら、と考えたのが「レストランオーナー」だった。
理由としては、今までに携わった仕事の中で一番楽しかったのが、レストランのホール担当だったから。
でも、ずっと接客をしたいかというとそうでもなくて、自由に店を離れたい。知らない物や新しい物を見るのが好きだから、お店を見に行ったり、食材の仕入れに行ったりしたい。それに誰かの下で働くのではなく、決定権を持ち人に頼られる立場になりたい。だからオーナー。
これを動詞で表すなら何だろう? 私に合っているのかな?

そこで思考が止まっていたら、ポッドキャスト「となりの雑談」でEP.41「アガる動詞、ほどく手段」が配信された。

ジェーン・スーさんの場合、
アガる動詞:分かる
ほどく手段:一人で何もしないで過ごす
で、その他の得意なこととして「話す」「ひらめきが早い」などがあるという。

普段は「得意なこと」が目立つけど、本人が喜びを感じるのは「分かった時」なのだと言う。

なるほどなるほど、それで言うなら私にとって「読む」はほどく手段だ。
考え事を全部ほっぽって目の前の文字に集中するのは、プールでざぶざぶ泳ぐみたいに気持ちいい。良い文章を読んだあと、心地よい疲労とともにボーっとするのもプールに似ている。

アガる動詞は何だろう?

今までに経験した仕事から考えてみる。
学生時代、レストランのバイトをしていた時は、混み合うランチタイムを無駄なく回すのが快感だった。料理ができたらすぐ運び、席が空いたらすぐに片付け。
朝の仕込みも、開店時間に間に合わせなきゃというヒリヒリ感は苦手だけど、まだ静かな店内の雰囲気は好きだった。一人黙々と手を動かしていると、「これから来るお客さまや同僚のために大事な仕事をしている」という厳かな気分になれた。
これを書いている今も、朝日に照らされるテーブルの艶や、古い掃除機の排気の匂い、レモンの薄切りをついぞ上手く作れなかったことを懐かしく思い出す。

毎週末、開店と同時に来てくださる常連さんと会うのも楽しみだった。オススメしたケーキはお口に合わなかったようで、その節はすみません。
他のお客さまから、たまに声や表情を褒めていただくこともあった。その頃は…というか中学生の頃からずーっとニキビが酷くて、いじめに遭っていた時期もあり、人前に出ることに若干の苦手意識があった。
でも、ルミネのレストランに採用されたことで自信は少し持てていて、働いてみたらお褒めの言葉までもらって、「なんだ、私、大丈夫じゃん」と思えた大事な体験だった。

新卒で就職したのは赤紫色の大型スーパー。
混み合う時のレジ応援も楽しかったし、商品が減って穴だらけになった売り場に補充をするのも、繁忙期前に届いた大量の在庫をバックヤードにきちんと並べて戦闘体制を整えるのも気持ち良かった。

今やっている保険の仕事では、勉強会で話して「説明が分かりやすかった」と褒められたときが一番嬉しい。聞いている人がストンと納得した顔になってくれるのも。質問にパシッと答えられた時も。
あとは勉強会の告知チラシ等を作るのが好き。弊社では、ずっと昔のチラシを使い回しているので古臭い印象のものが目につく。それを作り替える作業は延々とできてしまうし、スッキリしたデザインに仕上がったときは気持ちがいい。

こうやって並べてみると、「整える」が私のアガる動詞かな。
整える。あるべき物をあるべき所へ。
単なる掃除や整理整頓でも、後片付けでもなく、これから来るお客さまや繁忙期のために、「きっと役に立つぞ」とワクワクしながら、整える。

経験してきた仕事のジャンルがバラバラで、何が向いているのかよく分からなかったけど、「私は整える人」と思ったらめちゃくちゃ納得だ。
そしてこの答えにたどり着いたら、未来がパーっと明るくなる気がした。

夫の家はとある事業をしていて、私も近い将来、総務・経理に入ってそれを手伝ってほしいと言われている。
長年続いている事業で、経済的にも人間関係も安定しているようだけど。辞められないこと、しかも家族と共に働くことには不安があった。

「でも総務・経理って、やったことないけど整える仕事だよ…ね。じゃあ、大丈夫なんじゃない?」
と言う自分と、
「33歳なのにその気軽さ…というか図太さ、どうかと思うよ」
と言う自分が脳内にいる。

「もし今度の仕事が上手くいかなくても、辞めるなり離婚するなりできるじゃん。死にはしないよ」
そうだ、レストランのバイトで失敗した時、次のお客さまは笑顔でお迎えしなきゃいけないから、私は「死にゃあしない」と気持ちを立て直していた。そんなガッツがある20歳の自分を久しぶりに思い出した。

アガることを仕事にしていいのかな?

「好きなことを仕事にすると、仕事で辛い目に遭ったときの逃げ場がなくなる」という説が、平成にはあったと思う。
「一番好きなことは趣味にして、二番目に好きなことを仕事にしなさい」とか。

それと、私は長らく美輪明宏さんの「乙女の教室」を心に置いていた。

この中には「お給料はガマン料」という一文がある。
他に「歯ブラシひとつでも『自分がなりたい姿の人はこれを選ぶかな?』と考えなさい」という、自問自答に通じる内容もある。
けど、どうしても納得できずにいた。このへんの考え方、令和はどうなんだろうな…と思っていたら、「となりの雑談」でまさにそんな話があった。

コラムニスト&ラジオパーソナリティのジェーン・スーさんと、クッキー屋さん&「雑談の人」の桜林直子さん。
なかなか成功が難しそうな仕事をしているお二人の体感は「楽しいことをして、それが仕事になったり褒められたりする環境にいたら、不思議と稼げてるよね」だそう。

これを聞いたときに、めちゃくちゃ勇気が出た。嬉しかった。
しいたけ占いでも、自問自答ファッションでも、OVER THE SUNでも「好き・楽しいを大事に」と言われていて、ここでもか!
(まあ、OVER THE SUNのパーソナリティの片方はスーさんなんだけど)
こんなにみんなが口を揃えて言うなら、これはもう、今の世界の真理なんだな! と思った。

なぜレストランなのか

の答えがあるような気がして、映画「かもめ食堂」を久しぶりに観た。
食事シーンで私が目を奪われたのは、美味しそうな料理でも楽しそうな笑顔でもなかった。
無表情なおじさん達がガツガツもりもりと食事を平らげている。話に夢中のお姉さん達が半分無意識でフォークを口に運ぶ。
その手元にある料理が人それぞれ違うことに、私は心底「面白い!」と思った。

食堂に来る前、仕事をしていたのか休日なのか。デートかもしれない。おなかの空き具合もバラバラ、好みもちょっとずつ違う。そんな人たちが同じ時間に同じ店に来て、隣り合ったテーブルで食事を楽しむ。そんな偶然に、ドラマと豊かさを感じた。

私は胃腸が弱いのに食べることが大好きだ。
食べたい物を食べられるから、食事作りを担当することに異論はない。
そして出来上がったものは美味しい状態・温度ですぐ食べたい。多少子どもが泣こうが、食事を後回しにはしない(もちろん、泣かないように対策はする)。

でも美味しさを求めるって、思えば非効率だ。
仕事でも掃除でも、たいていのことは目標を決めてシンプルに実行するのが良しとされる。
一方、美味しさや楽しさを食事に求めるということは、「栄養を摂る」に色んなものをくっつける行為だ。
非効率といえばそう。でも「これこそが豊かさ」という気もする。

だから私のコンセプトは「インテリアコーディネーター」ではなく「レストランオーナー」なんだ。
食事そのものが好きだから。
食事の場で色んな人の好みや物語を垣間見ることが好きだから。
混雑を捌いたり、お客さんと話したりする、ライブ感のある仕事も好きだから。

でも、当面の予定は保険会社の社員。
その次は夫の家業の総務・経理。
それでええんです。
色んな人と付き合って、経営を近くで見る30代40代。いいじゃない。
その先、本当にレストランを開くかもしれないし、コンセプトが変わるかもしれない。
どっちでも良いと思う。

自分のここまでの人生を振り返ってみると、「流れに乗ってたらそこそこ上手く行った」という、なんだか後ろから刺されそうなまとめになる。

昔から勉強はできたけど、これといった将来の夢がなかった。そのまま就活をして、採用してもらえた会社で働いて、引っ越した先でまた入れた会社で働いて。
最後は家族の会社で働く、つまりは定年もなく融通の効く立場が約束された状態。もし体を壊したりしても、たぶん捨てられず生きられるだろう。
ありがたいけど、こんなことでいいのかしら…という気持ちがずっとあった。

でもこれって、前に書いたのと同じことなのよね。
(だいぶ後ろの方にあります)

「そういう人しか行けない場所があるから、そのまま進んでほしい」って、まだよく分かってないけど、とりあえず信じることにする。
それってどこ…?という疑問も出てくるけど、それはまたゆっくり考えよう。たぶん、人に言われて目指すものではなく、自分で決めるものだという予感がある。

住む場所も仕事も一生決まったような状態で、まだ「予定は未定〜」とうそぶく私が脳内にいる。
気軽で図太い。変わることが好き。なんか楽しげ。
そうそう、私、こんなだったわ。
久しぶりに20歳の自分と手を繋げたような、あったかい気持ちになる。


あきやさん、良きお題をありがとうございました😊


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