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【日曜小劇場7】友達の定義&二度結婚した女性のその後

4年前の夏の終わりのことです。
神戸旅行のついでに大阪に立ち寄って、霊感系統のスピリチャル女性に鑑定をしてもらうと「恋愛より友情を重んじたほうが幸せになる」とアドバイスされたのです。

当時の私は、別れた男性からストーカーされるのではという心配から鑑定をお願いしたのですが、「男性は(私に)未練があるけどストーキングまで至らない」にほっとすると、畳み込みようにスピリチャル女性が「これからは恋愛より友情よ」と意味深な発言。
これからは恋が少なくなっていくからという意味を含めたアドバイスだったたのでしょうか。

東京に戻ると、私は体調を壊して入院し、復帰した翌年にはコロナ禍。
自粛期間が長くなると、新しい出会いも少なくなって次第に恋愛から遠ざかかる。21年にはそれなりの出会いがあったのに、恋愛に発展しなかったのは何ともふがいがなかった。同時にコロナ禍で人との距離を取りながら生きていく時間が長くなると、友達との関係も考えてしまうことも増えたのだ。

友達の定義

20代の頃はちょっとしたことですぐに悩むと友達に電話したり、会って恋バナを語り尽くすことが当たり前だった。27歳を過ぎたあたりから友達なしでは生きていけなっていたほど、様々なことが立て続けに起こった。

その前は毎日のように恋愛のことで忙しかった。男と一緒に過ごす時間を大事にしていたせいか、女友達のことは二の次。27歳までに結婚していたら女友達との関係も変わっていたかもしれない。

30歳を超えると恋愛だけでなく、仕事や人生の悩みも増えてきて、友達はもちろん大事だけど、多くの人との出会いを求めるようになっていく。
それは果たして良いことだったのだろうか。視野を広げるという意味では良かったかもしれないが、様々なものの見方が考え方、それぞれの価値観を知れば知るほど迷いが生じ、その都度出会った人たちに振り回されたこともあった。
そのため「人を見る目がない」という陰口まで叩かれたこともある。
それって、自分が悪いのだろうか。自己責任という言葉で片付けられないもどかしさがさらに私を苦しめ、次第に自分の不器用さもわかっていった。
「私って、イケてないなあ」。
かっこつけない素のままの自分を見つめたいと思ううちに、ふと気づいた。

「心がすりきれるほど、仲良くしなくていいよ」

何も言わなくてもいい瞬間(心の余白)を共有できるのが、友達だと思う。
コロナ禍が過ぎて再会した友人たち。
たくさんのお喋りをしながら、肩に力を入れなくても、心の余白を共有できるから、続いているのかもしれない。

不幸な結婚を乗り越えて再婚。その先にある試練、愛のかたち

前回の続きです。
私に離婚の相談をした30代のバリキャリ女性は、私が勝手に作った離婚のシナリオ通りではなかったのですが、アドバス通り「プライドが高い男は、立てておいた方が良い」というスタンスで別れることができたそうです。
後日、彼女は私に「これまで人との縁を自分から切ることはなかったけど、離婚したらお互いに連絡がなくなった。結果的に縁が切れたのかな」とぽつり。
私は「仕方がないよ、別れたら他人なんだから」とありきたりの言い回しで励ますと、「そうだね」とやっと彼女が頷く。
これまで結婚も離婚も経験したことがない私ですが、他人ごとではない気がしたのは、男女の機微をテーマに、コラムやブログを書き続けてきたせいでしょう。

彼女が再婚した男性は、前の夫とは真逆なタイプ。「特に仲が良いわけでもないのに困っていたら手を差し伸べる」優しい人だそうす。彼女のように強いタイプの女性が寄り添いたくなるような男性でしょう。
ところが不幸な結婚を解消して再婚したからといって、すぐに幸せが用意されるとは限らないもの。
時どき神様はまるで試すように試練を与えますね。その試練の乗り越え方に、人間性や人生の歴史が見え隠れします。

私は彼女の再婚当初から、少し心配でした。
というのは再婚後、すぐに彼女は「子供が欲しい!」と目を輝かせていたからです。当然といえば当然ですね、前の結婚では夫の言動に振り回されることが多かったため、子供のいる家庭をおそらく想像できなかったことでしょう。
やっと幸せな家庭を持てる。そこには夫と子供がいる。子供を望む女性のごく当たり前の幸せの光景が目の前に描かれていたのでしょう。

ところが、彼女が妊活しようとしたときに、夫が心の病気になってしまったのです。仕事や会社の人間関係が原因で一種のうつ状態になり、通院しながら治療をすることに。ここで彼女は自分の夫婦や家族のプランの変更を余儀なくされたことでしょう。

彼女に訪れた変化は感動的なものでした。
私が主催したイベントに彼女が訪れたときのことです。
休憩中に彼女の携帯に電話がかかり、電話に応じるために慌てて彼女が外に出たのです。ちょうど私が備品を取りに行こうとして、外に出ると偶然に電話をしている彼女の声が聞こえてきたのです。
相手はどうやら再婚夫。話を聞いてあげながら、「うんうん」と頷いて共感したり受け入れたり、時には子供をあやすような優しい口調でなだめすかしているのです。

驚きから、やがて感動に変わりました。精神が疲弊して病気になってしまった再婚夫に献身的になる妻というのは、これまでの彼女から想像もできなかったからです。
愛は人を変える。いえ、もともと備わっている「愛する力」が覚醒されたのか、あるいはもともとある愛の力がさらにパワーアップしたのかもしれませんね。

俳優で芸術家、そして愛の伝道師である美輪明宏さんの
「恋は自分本位。愛は相手本位」という名言をもじると
自分の結婚に対する期待と願望より、再婚相手の幸せを優先したといっていいでしょう。
相手のためを優先する。そこにはかつての不幸な結婚生活における彼女の姿はみじんもなかったのです。
「自ら選んだ結婚」というアクティブさは、彼女の性格そのもので、とても頼もしく感じたものです。

その後、彼女の口から子供に関する話題は消え、代わりに夫の親族のことを口にする機会が増えてくると、妻として一生懸命にやっているんだなあと感心しながら、
私も結婚したら、夫のことや親族のこと等、友達に話すんだろうなあという、妙な感慨にふけったり。結婚にもロールモデルがいるというのは本当かもしれませんね。

先日のことです。
彼女に「もし3度結婚したとしても、私は驚かないよ」と軽く言うと、
「夫と死別したら、それもありかもしれないけどね。夫を尊敬しているから(別れることは)ないよ」と、結婚生活を続ける意志の表れがにじみ出ていました。。

とはいえ、知り合ってから20年以上経つのに、理解できないことやミステリアスなこともある二人。それでも互いに夫婦を続けていくというのは、家族としてかけがえのない存在になろうとしているのかもしれません。

ところでかけがえのない家族って、なに?

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