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この坂道を下ると何が見えるのだろう

「どうでもいいじゃないか、そんなこと」

本当に面倒くさそうに父は言った。暑い夏だった。

そのとき私は模試の結果を握りしめていた。同じ志望校を目指す友人が成績優秀者としてランキング上位に載っていた。彼女は授業中いつも寝てるのに!と自分と比較して落胆していた私に父がつぶやいた言葉がそれだった。

あれから20年経ってようやく理解できた気がする。

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できていたことができなくなっていく。

最近そんな夢を見るようになった。仕事で資料を作り終えられない。言葉が出てこなくて会話が続けられない。相手の反応が痛い。突き刺さる。嫌な夢だ。

きっかけは妊娠によるホルモンバランスの変化だったのか、産休で時間ができたことなのか、はたまた加齢なのかもしれないけれど、後味の悪い夢を見るくらいには自分が前と同じことを同じようにはできない現実に直面していた。


初めて変化に気づいたのは、妊娠するより遥か前の30代前半の頃だった。

おおむね20代までは、できることが増えていく一方だったと思う。しかし30代になってしばらく経って、以前のような記憶力ではなくなっている自覚が徐々に生まれた。頭のキレ、体力、集中力などふとした瞬間に気付かされた自分の変化。体型や肌質、お酒の残り方、疲労。以前とは違うとあるときから急に気づくようになった。

何の変化が受け入れられる範囲内で何は受け入れられないのかは人によって様々なのだろうけれど、私の場合は特に仕事に関する「できて当たり前」だった物事ができなくなっていく現実というのは、なかなか受け入れ難かった。せっかく身につけたはずだったのに。私はこんな簡単なこともできないのか。こんなことで人に怒られるようになったのか。

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思い出す風景がある。

32歳かそこらの頃だったと思う。とある50代の社員について話していた。アポに向かう途中のタクシーで、同い年だった男性の同僚はその50代社員についていぶかしがっていた。前職では数々の成果を残し、伝説の人となっている50代社員。鳴り物入りで転職入社し、人柄もいい。ただ、その同僚からすれば話のテンポが遅すぎると感じたり、同じ話を二度三度しなければならない上にその度初めて聞くかのような反応を示されることに驚きと疑わしさを感じていた。バカなのか?と。

時がめぐり、私も違う職場で一回り以上若い社員たちと一緒に働くようになり、ふとした会話の中で私だけが「この前の話」を覚えていないことがあった。今聞く話は私にとってだけ新鮮だった。以前ならこうじゃなかったはずなのに。なんで忘れちゃうんだろう。

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できていたことができなくなっていく。

誰しもがいつか自覚する道なのだろうと思う。30代の私にとってはこれからますます切実な問題になるのだろうし、最終的には開き直って受け入れるしかないこともわかっている。

だけど、なかなか踏ん切りもつかない。本当は、失う代わりに何かを手に入れられたと信じたかった。今までの調子で未来に向けて成長曲線を延長したかった。昔と変わらない状態を維持するだけでも努力が必要だなんて、誰も教えてくれなかった。全然意図してなかったけれど、私は人生の新しいフェーズに踏み出していたらしい。ここは、ゆるやかな下り坂だ。

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一方で、興味深い発見もある。

「できない自分」を受け入れてみると、何かが変わった感じがした。そもそも「できる自分」だったのかそれ自体が疑わしく、同様に、ある分野において「できない自分」というのも思い込みだったかもしれない。

一喜一憂するほどのことではなかった。他人は他人で自分は自分というだけであり、過去は過去で未来は未来なのだ。ある種の劣等感やプライドが自分を駆り立ててくれた時期もあったけれど、今はもっと穏やかな感情が原動力になっている。連続する運や縁や巡り合わせの果てになんとなく連れてきてもらった偶然を、素直に受け止めている。目の前の偶然からメッセージを感じて、背中を押されてやってみる。続けてみる。あるいは、やめてみる。


今の私はあの頃より劣化しているのかな。私はあの頃50代社員より優れていたのかな。

どちらだとしても、「どうでもいいじゃないか、そんなこと」と、父の声が聞こえる。

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