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遺書No.755 ネット依存の女。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.8.1
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こんばんわ、みーくんです。




俺はPCを購入したばかりの頃、
実はタイピング練習の感覚で始めたのがチャットだった。
するとそこでは、
年齢的にも職業的にも、
日常生活なら絶対に関わる事のない人達との会話が多い為に、
感性や価値観にもそれなりの刺激があって得るものがあると感じていたし、
そこそこに楽しかった。

そして不意に気が付くと、
俺は毎日のように恋愛やその他の相談を受けるようになっていた。
ある意味「相談サイト」を経営する、
管理人のようなポジションだ。


それから数年たった今、
最近になって別れた女みたいにしつこくメッセしてくる女性が一人いる。


彼女は旦那と子供を持つ30代後半の女性で、
勿論チャットで知り合ったという意外は、
特にこれといった関係がある訳でもない相手だ。

だがこの女性が、
正直いって、ウザい。

(※誤解の無いように先に言っておくと、
別にこの女性は俺に対して恋愛感情の意味で連絡してきているのではない。)


元々当時から公言していた事ではあったが、
俺はネットの中で構築された人間関係には、
基本的に一線を引いて接していた。
生活への直接的な影響という意味での「非日常」の世界、
日常生活と同じようなしがらみや束縛を得ていては、
利用する意味が全くない。

あくまでも「娯楽」だ。

なのでどんなに利用していようとも、
それなりに「絆」と呼べるものがそこにあったとしても、
面倒臭い思いやネガティブな思いをする状況・相手になるのであれば、
躊躇せずに断ち切るだろう。

いわゆるネットの人間関係においては、
「いつ如何なる時も煩わしさを伴うならば一切をお断り」
と考えている。

(今では若干の変化もあり、そこまで線を引いているとは決して言えないが。)


知り合った当時の俺が色々な相談に応じてた事も大いにあると思うが、
当時チャット以外の場(メッセ等)で俺に連絡をとろうとする人は、
動機は別にしても一番の理由はおそらく共通だ。
それは、俺が「マメ」だという点。

「何らかのアプローチをかければ、ほぼ必ず何らかのレスポンスを返してくれる」

ここがネットワークの世界で重要な鍵になっていると思う。
またこの女性が連絡を取ろうとする行為には、
明らかに面倒臭いというか、
俺にとって何の生産性もないであろうオーラがプンプンと漂っていた。

それでも彼女は、
余りにもしつこくメッセしてくる。


「悩んでいる」と。


いや、悩んでいるというのは本当なのだろうけれど、
俺にしてみれば余りにも対話の意欲が沸かない内容である事は想像がつく。
ここで文字にすれば極端に冷たい言い方になるだろうが、
その女性の話しを聞く事で、
俺自身にもたらされる刺激や生産性などが全く感じられない。

俺の価値観や視野に影響を与えるだけの、
変数としてはどうかなって話だ。

とてもじゃないが、
よほど暇を持て余していたり気紛れが起きない限り、
真面目に応えてやれる気にはなれない、
というのが本音だったんだ。

それでしばらくは、
申し訳ないとは思いつつもサディスティックな対応をとっていた訳だが、
彼女が余りにも切実に投げかけてくるので、
ある意味根負けしてしまい、
遂に話を聞く事にした。


特別サービスだ。


「悩みというのは?」
俺は単刀直入に要点を聞き、
個人的な回答を簡潔明瞭に返して終わりにするつもりだった・・・。



「ブログってあるじゃない?」
彼女が携帯ブログの話をしはじめた。

「あるね」
「そこで知り合った人達がいるんだけど、」
「うん」
「実はあーでこーでそーでどーして・・・」

・・・まどろっこしい。
要するにこういう話だ。

この女性には旦那がいて、2歳になる子供がいる。
旦那の帰りが遅く、子育てにも熱心ではない。
いわゆる仕事人間だ。
転勤した土地では、親しい友人などいるはずもなく、
愛情に悩み、育児にも悩んでいる。
・・・と同時に、
「女の幸せとは一体何なのか?」
と考えるようになったという。


哲学に目覚めた訳だ。


「このまま不足はないけれど、
 刺激のない不毛な生活を何年も送らなければならないのか?
 専業主婦はつまらない。
 私に耐えられるだろうか?
 ううん。
 耐えられるはずがないわ・・・。」


・・・そこで現在、
辿り着いたのがここだ。

「で、あたしはブログに愛を感じる訳なの」

・・・やっぱりね。
案の定、先に懸念していた通りの内容レベルだ。
別にその哲学自体が下等な悩みだなんて、これっぽっちも思わない。
家庭に入り同じ状況の女性なら少なからず抱く、大きな命題だと思う。
ただ、問題はその後だ。

「うん、それで?」
「だから~ブログってコメントがつくじゃない?」
「うん」
「あたし、それが生甲斐なの」

説明しよう。要するにこういう話だ。

暇を持て余したこの女性は、
ある日に思い立ってノートパソコンを購入した。
インターネットに目覚めるまでさほど時間は掛からなかった。
俺を含めチャットで様々な人と会話を交わした事で多少寂しさも紛れた。
そこで今度はブログという記事投稿型のサービスがある事を知り、
ブログを始めた・・・と。

そしてそこで目にしたモノは、
新規に記事を投稿する度に寄せられる見ず知らずの他人からのコメント。
温かい言葉。
凍える夜のパンとスープ。


もう一人ではない、という多幸感・・・。


ここまでは良かった。
でも、ネット型のコミュニケーションの実態を知らなかったんだよね。
大抵の女性ユーザーが初期に遭遇するように、
同じような気分の男性が取り巻きとして現れた。
あとは想像できる。


美辞麗句の数々。
優しい言葉。
積み重なり連立するコメントと記事。
文字による不確かで曖昧な説得力と温もり。
かつ具体的で事実そこにある思いやりの単語の羅列。
失っていた恋愛感情の芽生え。
たった数行のコメントを待つ日々。
次々に寄せられる新しい言葉達とそこにいる明らかな存在感・・・。


ネット依存という中毒との危険な背中合わせの癒し。
儚い弱さを持った者がかかる甘美な罠。
そして同じ状況の声が背中を押し盲目にする。

「もう旦那なんて要らない。
 ブログさえあれば。
 でも冷静さはくれぐれも維持しなきゃダメ。
 若い男には気を付けて!
 彼らは白い膿が溜まる病気なのよ!」

誤解しないで欲しい。
別にそれが間違いだとか悪い事だと思う訳でもない。
ただ、いずれ気づく事だろう。


「あたし今、ブログが生甲斐なの。」
「・・・うん、それで? 結論は?」
「マキシも、私のブログに書き込みして盛り上げて欲しいの。」


── ちがうよ、それ ──


この女性は今やブログ信奉者で、
幾つものブログを掛け持ちしているらしい。
で、悩みというのは要するに「コメントのお返し」があるかないからしい。
こっちがトータルで10回コメントしたのに、
向こうはトータルで5回しかしてないとか、
そーいう話だ。


「・・・くだらない。」


皆さんならご存知の通り、
俺にその気持ちが理解出来ない訳がない。
だが、あえて一言で言い切った。

すると、その女性はこう言った。
「くだらなくないわ。マキシもブログをはじめれば分かるわよ。
あたしがいいところ教えてあげようか?」

「やらねーよ!」
「とても簡単なのよ」
「うるさいよ!」
「クリック一つで出来るのよ」
「うっせ、頭にテポドン撃ちこむぞ!」
「更新は携帯からも出来るのよ」
「人の話聞けって!」
「私のお気に入りのブログはね…」
「うわぁぁあああああああ!」


・・・俺が最初に生産性を感じない、嫌なオーラ、懸念していた嫌な予想、
って言ってたのは、正にこれな訳だ。

こういう状態が一番嫌だったんだよね。
言ってしまえば、
宗教やネットワークビジネスにハマってる状態の人と同じ匂い。

彼女は俺がブログをやってないと思っているらしい。
彼女は俺の事をなにも知らない。
勿論、話した事もないしわざわざ話す必要があるとも思えないが。
「PCを購入したばかりでタイピング練習でチャットを始めた」
彼女の中の俺はこのイメージのままなのだろう。

・・・違うさ。
いつか分かるよ。
その状態は理解は出来るし、俺は寂しがり屋だからその感覚も分かる。
だからこそ偉そうに言える言葉でもないんだ。

だけど初めてマイクを向けられた人間が、
高揚感から自分のいる場所が冷静に見えなくなったり、
視野が狭くなっている姿というのは見るに耐えない。

切実過ぎて詰め込み過ぎて行間がなく、息が止まりそうだよ。



・・・本当の楽しみ方というのは、裏読みだよ。



こんな事に本気になっちゃいけない。
もっとも、初めはなんでも楽しいんだけれどね。
下ろしたての下心は不潔ではない。

今度、mixiをはじめるのだとか。

絶対、呼ばないけどね。

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2022.8.7
毎日遺書を書き始めた当時755日目の投稿内容。
妻の誕生日を迎えた本日、パートナーに恵まれて幸せを改めて実感します。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。