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ゆりかごは必要なかった

以前から何度か書いている通り、私は夫と契約結婚をしている。
たまに「仮面夫婦ってことね」と理解されてしまうが、少し違う。

私は夫に好きなことをさせてあげたいと思っているから、たとえ寿命を縮めることになろうとも、彼が吸いたい限りはタバコを吸わせてあげたい。
そして夫も私が身体を壊す危険性を知りつつも、好きなだけ酒を飲ませてくれる。

こうした関係は、子供がいないからこそ成立していることだ。
実は私たちの契約書には次の一文がある。

「子供は作らない」



子供を産みたくない

人間には遺伝子レベルで子孫繁栄のプログラムが組み込まれている。
自分の子孫を遺したいと思うのが自然であり、遺したくないと願うのはプログラムエラーだろう。

私は中学生の時、子供は産まないと決めた。
自分の中から人間を産み出すという行為に嫌悪感を持つ出来事があったのだ。

ビッチとして数々の男と性行為をしてきたが、絶対に妊娠だけはしないように注意を払ってきた。
もしもそのようなことがあれば、私は確実に胎児を殺してしまう。

自分の子供に、もう二度と私のような体験をさせたくない。
だから生命として誕生しないように遮断してきた。

しかしいざ結婚となった段で、迷いが生じたのだ。
夫に自身の子供を抱かせてあげなくても良いのか、と。



子供のいない人生

夫はバツイチであり、前妻との間に子供もいなかった。
「もうこんな年だし、子供なんて要らないよ」と言う彼の言葉を真に受けて私は結婚したのだが。

義母からの「うちの息子は子供が好きだから、凛ちゃんとの間に早く出来るのを楽しみにしてるわ」の言葉に気圧けおされた。
もちろん相手の両親から子供を望まれることは想定内だったが、夫が「子供好き」とは知らなかったので。

動揺した私は、夫に内緒でひとり婦人科へ行き、不妊検査を受けた。
結論だけ言うと「妊娠可能」だった。
この結果を受けて、私は安堵ではなく、やるせない気持ちになったのだ。

問題なく子供を産める身体でありながら、自身のワガママから、夫に子供を抱かせてあげられない。

もしも子供を産んだら。
確実にその子を不幸に陥れる。
たまに流れる虐待死のニュースは私にとって他人事ではない。
自身のされてきたことを子供に繰り返す虐待の連鎖は断ち切らなければならないのだ。



社会的責任を果たせない

子供を産める身体でありながら産まない。
少子化の世の中において、こんな罪なことがあろうか。

そこへ来てLGBTの流れである。
「結婚=子供を作ること、では無い」ということを主張していらっしゃるのだが。

彼ら・彼女らの中には、自身が子孫繁栄に貢献していないことに罪の意識を持っている人もいるのではないか。
本来なら取り組むべき人生最大の仕事から目を背けてしまった、という罪悪感。

同性婚問題を目にする度、私は身につまされる。
子供を産み育てなくてごめんなさい。
里親にもなれなくてごめんなさい。

私はきっと、血縁に関係なく、子供を育てて幸せにすることが出来ないから。



ゆりかごのない人生

夫は私の背景を理解した上で結婚し、契約書にもサインしてくれた。
だから、彼が死ぬまで私はその生涯を見届ける義務があり、それが彼へ返せる愛の全てなのだ。

一度だけ、夫に聞いたことがある。
「本当に子供がいなくてもいい?」と。

「いいよ。子供がいない分、ふたりで好きなことを自由に出来るんだから。俺は子供が欲しくて結婚したんじゃない」

彼は契約を守り、今も私の自由奔放さに苦笑しながら見守ってくれている。
大丈夫。
あなたの死の間際、何人もの愛人が現れたとしても、私は面会謝絶なんかにしない。

だって、みんなあなたに愛を注いでくれた人たちだから。
そして、もしも彼女たちの間に子供がいたとしたら、私は全力でサポートします。

それも私に出来る社会貢献のひとつだから。



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