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【小説】 ご自由に

「東京の最高気温はこの時期としては暖かい23度となりました」
「暖かいですね〜もうすっかり春ですね」
そんな会話を耳にしながら、朝食のパンを食べる。
いつの間にか雪が降った日は過ぎ去り、梅があちらこちらで咲いている。
そろそろ春になるならコートもクリーニングに出さないとなーなんてぼんやり考えながら、皿を洗う。さっき淹れたコーヒーが冷めかけていたので慌てて飲み干すと、カバンに必要な書類やPCを入れた。もうそろそろ出かける時間が近い。
鏡の前で最後にメイクをチェックしたら、時計をつけて扉を開ける。
ふわっとどこからか香った梅の香りが春を告げていた。

「私、妊娠しました〜まだ性別はわからないんだけど、予定日は今年なんだ。またみんなで会おうね〜」
帰宅中に開いてしまったLINEの文面を見ながら、今ここで見るべきものではなかったと後悔した。なぜなら、ここは満員電車で同じく別の要因であろうと不快に思った人で溢れていて、不快な気持ちは伝染してしまうからだ。
社会構造はなぜ変わらないのか。

結婚の次は妊娠ラッシュが始まる。
生まれたらみんな「おめでとう」と言うのが礼儀だし、事実おめでたいことには変わらない。変わらないのに私が歪んでいるせいか、どこかこう思ってしまう自分がいる。
「また子供マウントか」
そう、思ってしまうことがよくあった。
「妊娠したら偉い、すごい」
「よく頑張ったわね」
そう褒めてもらえることに優越感に浸る。

「あー子供がいるから難しいかな…」
って理由にもなるし
「うん、もう2歳なんだ」
って自慢にもなるし
「だよねーナコも産めばわかるよー」
ってマウント取れるし
「早いところ産んでおきなー子供は体力勝負だからー」
ってアドバイスもできる。
何かと一言一言を聞く度に自分の歪みを痛感するから、最近はもう子供づれのお母さんと関わるのは辞めた。
ひどい気持ちよね、向こうはそんなつもりはなかったのに!って言えるし、ごめんねって謝りながら裏では笑ってるんだから。
SNSのアカウントで回ってくる情報には陰口が回ってきたかと思えば、口伝えに好き放題言う。あの子は不妊だの何だの尾鰭をつけて。
言葉とは、恐ろしい。
勝手に一人歩きしたら最後、本人にまで歩いてやってくる。
純粋なフリして笑顔で刺して、お前は何をしてるんだ?って問いかける。
時間が私をせき立てるように。

「おめでとう!ベビーに会えるの楽しみにしてるね☺️」
そう返信すると、別のSNSを開く。
自分の中に湧き上がった黒い感情の処理する為だけに、ものすごい勢いで画面をスライドしていいねをつけていく。
今の自分に不足しているのは、何か他のことへの興味・関心だから。
直視したら壊れるって思うくらいの気持ちと向き合う余裕はなくて、自分を保つための処世術にしがみついている。どんなに醜かったとしても。
神絵師さんと呼ばれる人の絵は、こうして多くの人を救っているよと思いながら、今日もたくさんの創作物にいいねをつけていく。
自分の好きを大事にしたいし、他人軸でない生き方をしたいと心の底から思った夜だった。

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