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【小説】 のがれ

「謝りなさいよ!」
すごい剣幕で怒鳴りつけてきたかと思えば、上から手が出る。「ごめんなさい」が小さいと、また怒鳴り声が上から降ってくる。所狭しに罵られた言葉を頭の上から浴びながら、ひたすら耐える。正直、耐えるのは慣れっこだ。相手の気が済むまで、こちらが待てば収まってくれるはずなのだ。
相手が飽きるまで終わらないから、ただ殴られる。暴言をめいいっぱい浴びる。心に刺さる言葉を機関銃のように打ち込んで勝ち誇ったように罵る。こちらが涙を堪えている姿がさぞお気に召したみたいで、そうすると少し弱まる。
修行僧もこんな気持ちで滝に当てられているのかなとか妄想していた自分が懐かしい。
ま、こんな感じだからまた怒られるんだけども。
怒られる理由は様々だ。
洗った皿の洗いが甘いだとか、炊いた米を混ぜていないからだとか、カーテンを閉めていないからだとか、掃除をしていないからだとか。
「あんたってほんと、ダメね」
何ににつけても言われ続けた耳タコの言葉を聞きながら、笑って返す。
「そうだね」
そういうと、また相手の癇に障ったのか、怒り出す。
「笑ってるんじゃないわよ!」だとか「笑い事じゃないんだけど?」だとか。
ああ、いつになったら終わるんだろう。
いつになったら解放してくれるんだろう。

「被害者ぶってるんじゃないわよ」
「そんなこと、思ってないよ」
そう言っても、信じてもらえなかった。
「誰かに言ってないでしょうね?」
「⚪︎⚪︎ちゃんのお母さんから聞いたんだけど、あんたまた余計なこと言ったでしょ!!私が暴力振るっただとか次言ったら許さらないからね!?」
「ほんと、うちの子すぐ話を盛りたがるので困っちゃいます。聞き流してくださいね」
「お母さんは優しいって言いなさい。いいわね?」
そうだった。この人は体裁が大事だったのだ。私ではなくて、社会的体裁。社会的立場。母親という評価。
「夜中に足が攣るたびに叫ぶもんだから、困ったもんだったわよほんと。虐待を疑われるんじゃないかってヒヤヒヤしたもの」
そうだね。虐待なんてしてないのに、そう周りに思われるのは嫌だもんね。
「周りの評価>子供」
だという不等式に気づいていても、気づかないふりをするのは少々骨が折れたよ。
脳内では「うっせえわ」が流れるばかり。

「何でお父さんとばっかり話を進めるの?そうやって私を除け者のして楽しい?」
こうなると面倒なので、説明が必要になるわけだけど、残念ながらこちらが説明しても全く話を聞いてくれない。こちらの説明を聞かないで勝手に本人の妄想だけで話が膨らんでいってしまう。
「どうせ私が悪いんでしょ!そうやって私を悪者にすればいいじゃない。みんなのために身を粉にして色々してるのに!」
ヒステリックになると手がつけられない母に寄り添う父。そしてまた、対立構造になるのは私への視線。変わらないね、昔も今も。
時々、この人と同じ血が自分にも流れていると思うとゾッとする。
自分はこうならないようにすると神に誓いたくなるくらい、嫌だった。
人の振り見て我がふり直す
ことわざの意味を刻み込んで身支度を整えると私は家を出た。
清々しいくらいすっきりとした晴れた日だった。

「今は何してるの?」
「仕事は順調?」
「子供は早く産んでおいた方がいいわよ、体力勝負だからね」
「⚪︎⚪︎ちゃん覚えてる?もう結婚して2児のお母さんなんですって!いいわよね。この前お母さんに会って、今は孫のお世話で大変ですって」
どこか、物理的に離れれば干渉もなくなるものだと思っていたけれど、その考えは甘かった。
恐ろしいほど、母親という存在は何も変わらなかった。
母親という生き物は変わらずに私を支配しようと言葉をかける。
巷では「毒親」なんて言葉が出てきているけれど、本人は全くその自覚がない。自分が該当しているだなんて、微塵も思っていない気がする。
「あんたも母親になればわかるわよ」
仮に物申したところで、そう一蹴されてしまいそうだが。

死ぬまで永遠にこの人たちから逃れられないなら、いっそ。
そう思い詰めてしまう波が幾度となく押し寄せては引いていく。
人生を賭けて、私に向けられた呪いのような言葉を自浄しながら生きることが、私に課せられた問題のようだ。
植物は二酸化炭素を吸って、酸素を排出できるのだから、私も過去の嫌な感情を吸って浄化した気持ちを出せればいいのに。
どうにかしてこの、苦い思いから逃れたいだけなのに。
この問題の問いを探しに、私はまた本を読む。
同じような考えを持つ人を探しに。

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