交換日記
交換日記をしたことはありますか。
1980年。そう、佐野元春がアンジェリーナでデビューした年。まだ夏が夏らしく、冬が冬らしい年。僕らよそ者が暮らす新興住宅地、ニュータウンに越してきた彼女と僕は交換日記をすることになった。
僕らは昔からそこで暮らす子どもたちとは違う子どもだった。いや、違って見せると思っていた。だから交換日記は誰にも見せないよう鍵付きのものにした。お互いに一つずつ鍵を持って、書いたら友人を通して彼女に渡し、翌日、彼女の友人から交換日記はぼくに帰ってきた。それが毎日繰り返され日々は続いていった。夏の終わりごろ、ぼくは彼女から嫌われた。理由はよくわからない。交換日記は帰ってこなかった。それが彼女の意思表明。わかりやすい時代だった。
それから10年の時が過ぎ、僕らは大学生になった。何の拍子か、”友人”としての交流が始まった。主に電話。会うことはほとんどなかったように思う。
彼女と電話で話していたある時、僕は聞いてみた。「ね、あの頃やってた”交換日記”まだ、持ってる?」
電話口の向こうの彼女から返ってきた答えはこうだ。
「あ、え~と、あげた。」
「へ?・・誰に」
「ん~、しをりちゃん。ほら、あなたのこと好きだったでしょ彼女」
「あ~、そうね。そんなこともあったね」
「彼女、私たちが交換日記やめたって知ったらしくて、あのあと私の家まで来たのよ。私たちの交換日記を貰えないかって。君のことをもっと知りたいからって」
「で、君はそのコに渡したと?」
「そう」
「あ~、、そうなんだ」
「いけなかった?」
「ん、いや、そんなことない」
悪気も無く言ってのける彼女。そんなとこも含めてぼくは彼女の魅力だと思っていた。いや、今考えれば”きれいなコは何でも許される”ってことだろう。
どちらにしろ、”交換日記”は消えた。彼女が、そのコに渡さなくても10年前から僕のもとからは消えていたのだ。自分が何を書いたかなんて覚えているわけもない。ぼくが彼女に向けてその時その時書いたメッセージは、彼女が永遠に葬り去った。
デジタルではない世界では、誰かにメッセージを出すということは、永遠に自分の手元には残らないということだった。
でもそれは、儚くもあるけれど、永遠の美しさを帯びた光のような記憶になった気もする。僕の言葉、彼女の言葉。永遠に宇宙を彷徨う光。
おおげさだろうか。ぼくらの交換日記、しをりちゃんは捨てただろうか。
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