写真にだけ写る

こんにちは。ぱるむです。
今回は写真についてお話しします。

私はクリープハイプというバンドが大好きです。
曲の中でも好き嫌いがあって、
セフレ、好きでもないのに、体の関係、などの
所謂クズのような、一方通行のような関係性を描いた曲は苦手です。
フェミニストぱるむが出てきてしまいます。
人生に行き詰った時、恋人への愛が溢れたときなど私の支えになってくれる曲たちに救われてきました。

クリープハイプの曲に「写真」が出てくる曲があります。
今回は2曲ピックアップしてお話ししようと思います。

一曲目は「幽霊失格」
「まるでこの世のものとは思えない写真にだけ写る美しさ」

私は写真が好きです。
友人の写真も、恋人の写真も、何でもない瞬間をなんとなく写真に撮ります。
一眼レフなんて持っていないし、全てiPhoneで適当に撮っているだけですが、忘れたころに見返してみると
その時の空気感、温度や雰囲気や音がすべてよみがえります。
その一瞬を切り取る作業は立ち返って考えてみると、高尚な作業だなと感じます。

二曲目は「君の部屋」
「写真に撮った瞬間に何故か凄くショボくなるのは生身のアタシを愛してっていう事でしょう」

この曲を聞いて涙をこらえるのは難しいです。
空の写真を撮ることが好きです。
でも、写真に撮った瞬間に色あせて、実際に目で見ている色は画面の中に無くて、その瞬間を切り取る作業がどうでもよくなってしまいます。
好きな人だって私は彼が好きだからカメラを向けて写真を撮って、
彼が画面の中で笑っていて、
それよりもこの目で彼を見届けたい気持ちが勝ってしまって、
そっとiPhoneを机の上に置いてしまいます。

写真とは不思議で、実際の光景以上に美しくおさめることができる一方、シャッターを切った瞬間に驚くほど平凡で平面的な写真になることがあります。
目の前の人を見るためには、様々な方法があります。
例えば、目の前の人の服装を通して見る、目の前の人の言葉を通して見る、目の前の人の行動や表情を通して見る。
写真を通して目の前の人を見るということは、切り取られた一瞬一瞬を分けてみるということなのでしょうか。

「君の部屋」を聞くと、過去の私の「愛して欲しい」という欲求が、愛に飢えていた感覚がよみがえり辛い気持ちになります。
生身のアタシを無条件に愛して欲しい。
だからこそ、写真で切り取らないで欲しい。
醜いアタシがばれてしまう。一瞬のアタシじゃなくて連続的なアタシを見て欲しい。

キリスト教と仏教で「愛」というものについての評価が真逆な理由が理解できる気がします。
愛は人を豊かにする一方、滅ぼしうるものです。


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