話しがすれ違う

こんにちは。ぱるむです。
今回は、会話をしていて話がすれ違っていくときの違和感についてお話しします。

私は会話をする際に、ある程度筋道を立てます。
旅行で言うなら、大まかな行き先を事前に決めます。
目的地を3つ設定したのなら、それに行くまでにここのお店に寄り道してみよう、ここが有名なスポットらしいので時間があれば寄ってみよう、など簡単に計画を立てます。

会話も同様、ある程度このような流れになるだろ、彼女はこのような発言をするだろう、
など予想立てて話します。

時々、その予想が外れるときがあります。
それが面白い外れ方だと、自分の中に無い価値観や考え方を得ることができ、知的好奇心がくすぐられて面白いと感じます。
また、相手の考えが明瞭になったとき、相手のことをより知ることができたときにも面白いと感じます。

それがつまらない外れ方だと、会話を自分の思い通りの方向に進ませるか、相手が立てた新たな道に沿ってみるか悩んでしまいます。

先日、友人と「人の性格は遺伝子によるか、環境によるか」という議論をしました。
そもそもこの議論になったのは雑談の延長線上だったのですが、私はこの議論をすることを望みませんでした。
性格の形成が遺伝子によるか環境によるかは、対照実験のしようが無いため図りようがありません。
どれだけ議論する意味が無い議論かと言うと、無いものを証明しようとするのと同じくらいです。

私が人と話していて面白い、と思う瞬間は先ほども述べたように自分の中に無い価値観が与えられたときです。また、相手ことをより深く知ることができたときです。

「人の性格は遺伝子によるか、環境によるか」という議論をしようとすることが私の中で理解しがたいことだったのです。

この人は、この議論を経てどのような結果を望んでいるのだろう。
この人は、この議論を意味のあるものだととらえているのだろうか。
もし意味のあるものだととらえているのなら、私と価値観が違うな。
と思ってしまいます。

私って面倒。
最近よくこの思考に陥ります。
自分の価値観を基に相手へ失望してしまう、つまらないと思ってしまうことはとても心が貧しいなと思います。


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