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わたしのすきなもの

こんにちは。ぱるむです。
今日は私の好きなものについて話します。
ポジティブな気持ちになりたい、わくわくしたい、そんなときは自分の好きをかき集めるにつきます。

私は冬が好きです。
誕生日は夏なのですが夏よりも冬の方が好きです。
冬には様々なイベントが目白押しです。
クリスマス、年末年始、お正月など一緒に過ごしたい人と特別を共有するのが好きです。

クリスマスの時期が近付くと街中は徐々に色づいていきます。SNS上では世界中のクリスマスらしい投稿が目に入るようになります。コンビニでさえもケーキやチキンの予約販売をし始めます。
世間がソワソワしはじめ、私はクリスマスのことで頭がいっぱいになります。

小学校から高校までカトリックの学校に通っていました。
毎年12月になるとイエス様の御降誕をお祝いするために、クリスマス会が開かれます。
キリスト教の教えは、子どもに道徳を教えるのにとても良い教材だと思います。新約聖書ではイエス様という神様の教えを説いて奇跡を起こす不思議な人物をとりまく物語です。
イエス様の教えはほんとうにやさしい。なぜ道徳心を持たなければいけないのか?なぜ人に優しくしなければいけないのか?という根本的な疑問を、全て「神様がみているから」に集約することができます。
もちろん、子どもたちのなぜ?に丁寧に答えていくことは大切です。
けれども、「神様がいつも見ていてくださるから」ということで、いったん逃げることができます。

人や組織や社会の中で上手に生きていくには、その枠の中にいる人と仲良くしなければいけないと思っています。
もし何か不満があるならば、その旨を相手を傷つけないように伝える必要があります。
もちろん、人に優しくすること、隣人を愛することは神に救われる手段であるというのがキリスト教の教えなのですが、
道徳的に言うと、人間社会の中でどう生きるべきなのかという教えなため、同義であることが分かります。

この「神」という大きくて、恐ろしくて、常に私たちを見ている存在が子どもに教えを説く際に分かりやすくて伝えやすいものとなります。
母校の友人は優しくて強い子が多いそうです。
それでも、キリスト教学校出身でない子も優しくて強い子がいます。
キリスト教学校出身だから道徳心をしっかり持っていると言えるかもしれませんが、道徳心を持っているからと言ってキリスト教学校出身とは限らないのだと、大学生になって初めて知りました。
どっちかいつも忘れてしまいます。必要条件ではないが、十分条件ですよね。

キリスト教学校出身だけれど、クリスマスは、街がソワソワしている雰囲気と、暖かい部屋で好きな人と過ごすあのあたたかい感じを求めています。
母には感謝しています。
高校三年生、18歳まで枕元にプレゼントを置いてくれました。
朝起きて、枕元に中身の分からない装飾が美しいプレゼントが置いてあったら、何歳になってもワクワクしますよね。
私も子どもができたら、子どもが家を出るまで毎年プレゼントを置きたいな。

といっても、大学一年生、19歳は元恋人と旅行したものの、その数日後に破局、大学二年生、20歳は元恋人に「クリスマスってただの日なのに、クリスマスってだけで特別なことをする意味が分からない」とロマンチックのロの字も無い、面白くも無い、しょうも無いことを言われ、友人と過ごしました。
ここ2年間、あまりいい印象がありません。二年連続で京都の寺町を泣きながら走り回った記憶があります。
今年こそは楽しいクリスマスにしたいな。久しぶりに教会に行ってみようかしら。
聖歌を歌うのはとても楽しいですよ。ハモリが美しいし、何かに身をゆだねて道徳的に正しいとされることを行うことで、救われるような気がします。



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