人間関係における損害保険

こんにちは。ぱるむです。
年末年始は人間関係がうまくいかず、全く関係のない方々へも多大な迷惑をかけてしまったことを深く反省しております。本当に申し訳ありませんでした。
社会人になると、例外を除いて仕事に私情を持ち込むことが許されません。
もう子供ではないので、24年は自分を鼓舞していきたいとおもいます。
本当に申し訳ございませんでした。


人と深い関係を築くとき、といってもほとんどの場合無自覚なので「築くとき」という表現がしっくりこないのですが、両者は大きな信頼によって結ばれます。
それは友達、親友、恋人、家族、動物、あらゆるものに共通しています。

その反面、人に過度な期待をすることにより関係が終わってしまうことがあります。
相手を信頼しているがゆえに自分が相手に求める要件が増えていき、相手がそれに応じてくれなくなったとき、裏切られたと感じます。
もちろん、相手になにも求めていないのに理不尽に自身の心が傷つけれられるときも裏切られたと感じます。
裏切りは理不尽に自分の気持ちが傷つけられるときと、相手に必要以上に期待をしてしまったがゆえに自分の気持ちが傷つけられるとき、感じるものです。

私は人と親密な関係を築きたいと思ったとき、相手に大きな信頼を置きます。
この人なら私の子どもな部分も、良くない部分も、醜い部分も批判してこないだろう、と思ったとき私の言葉を聞いてほしくなる。
この人なら私の行動や考えに素直な言葉をかけてくれるだろう、と思うと素の自分をみせることができる。

普段頭の中でぐるぐると廻る私の言葉は、脳みそから飛び出したくてたまらないらしく、いつも喉の奥につっかえています。
いつも私のそばにいてくれている人は、その高エネルギーな私の言葉を聞いてくれます。

ここでいう「聞く」という動作は聞き流す、でも聞く、でも聴くでも何でも良い。ただ私の言葉を馬鹿にせずに口から出ていくその様子を見守って欲しい。
これがこの記事のタイトルにもある損害保険のひとつでもあります。

私は誰かと会話をしていて鎌をかけることがあります。
頭の中で悶々としている言葉たちの一部を吐露したとき、それを馬鹿にしてきたり、笑いに消化してきたり、興味が無さそうだったりするのであればそっと喉の奥に飲み込んでしまいます。
でも、良い意味で面白がってくれたり、私はこう思うんだとエネルギーの高い言葉を返してくれるととても嬉しくなります。
それが信頼したいなと思える人の無自覚の中の条件なのかもしれません。

相手に大きな信頼を置くのと同時に、相手に期待をしないように意識しています。
友達だからこれくらいしてくれても当然だろう、なんて思った暁には、自分で自分の首を絞めることになります。

裏切りリストがあるとします。
一つ目の項目に「貸した金が返ってこない」とあるとします。
自分が信頼している相手にお金を貸して、それが返ってこないとなると相当な裏切り行為だと思います。
二つ目の項目に「共通の友人に自分がいないところで自分の悪口を言っていた」とあるとします。これも相当な裏切り行為です。
もし、このリストにこの二つの項目しかなければ、人間関係が円滑に、ストレスなく築けると思いませんか。

そもそも人のお金を奪ったり、裏で悪口を言うような人とはそもそも親密な関係を築こうと思わない。
反対に、お金をきちんと返してくれたり、嫌なことは表でまっすぐに伝えてくれるような人であれば人間関係に悩まないということです。裏切られないので。
でもこれが人間の愚かなところ。自分が相手のことを好きであればあるほど、相手と親密な関係を築きたいと願えば願うほど、裏切りリストに掲載される項目が徐々に増えていきます。

その裏切りリストの三つ目には「私を一番に考えること、私を最優先にすること」
四つ目には「毎日私に連絡すること」
五つ目には「連絡を1時間以内に返事すること」
六つ目には「何をしているか随時報告すること」
こんな過激な項目を裏切りリストに書いてしまうと何が起こるでしょうか。
それは、簡単に裏切られてしまうというという事態に陥ります。
相手への要求が高まり、相手がそれに応じれなくなったとき、「信頼していた人に裏切られた」と悲しい気持ちになります。

相手への要求がどんどん増える理由は、相手への信頼が大きいことと(当然これくらいはしてくれるだろう)相手への愛が大きいこと(愛情の試し行動)の二つがあげられます。

愛情の試し行動とは、相手を束縛したり相手をあえて傷つけることで、自分がその相手に愛されているかどうかを確かめる行動です。
恋人関係で言うととても分かりやすい。
あえて「別れよう」と言ってみる。相手が悲しむ姿や、別れたくない!と懇願する姿を見て、「自分はきちんと愛されている」と確信できます。
あえて「この女優さん可愛いな」と言ってみる。相手が嫉妬する姿をみて満足感を覚える。
これは試し行動をする張本人のみが満たされ、相手は心に大きな傷を負います。そのため、本当にお勧めしません。
試し行動をするくらいなら、裏切りリストの項目を減らして、相手に全幅の信頼をおくほうが精神的に楽になります。

ここで、もっと人間関係が楽になる方法をお教えします。
それがタイトルにもある通り、損害保険をかけるということです。
相手に大きな信頼をおきつつ、「きっと裏切られるだろう」という保険をかけておくのです。
ここでいう裏切りは、相手に必要以上に期待をしてしまったときの裏切りと、理不尽な裏切りの二つを指します。
人間そんなもん、人はみな未熟、とどこか達観したような、諦めに近いような自分を心の中にそっと置いておきます。
大事なことは、その保険を相手に悟られないようにすることです。

例えば、恋人が自分に対して「ほんとうに好きだよ。でも、俺人間って裏切るものだと思ってるから、君が浮気しないなんて信じてないし、期待もしてないよ!」と言ってきたらどう思いますか。
興覚めしませんか。自分は浮気をするつもりなんてさらさら無いのに、まるで人間というおおきなくくりで考えられて、浮気するだろうと決めつけられているような気がして、悲しい気持ちになりませんか。

この損害保険は自分自身のためです。独りよがりな保険です。
だから、絶対に相手に気づかれないようにそっと持っておくのが重要です。

人間関係を円滑にするためには、裏切りリストの項目を最小限にすることと損害保険をかけておくことだと思います。

もちろん、自分の心をすり減らしてまで寛大な心を持つ必要はありません。裏切りリストは人それぞれです。多ければ多いほど心が狭い人間というわけではありません。
オーダーメイドの、自分だけの大事なリストです。


言葉の力は偉大で、私が異性を好きになるとき、見た目なんかよりも、肩書なんかよりも、ステータスなんかよりも、言葉で落ちることが多いと気が付きました。
魅力的な言葉の紡ぎ方や、自分の心の穴をそっと埋めてくれるようなものの言いぐさでいとも簡単に好きになってしまいます。

その反面、言葉は心にしっかりと刻まれる。
昔の恋人に言われた酷い言葉は今でも覚えています。
酷い言葉だけではなく、優しい言葉もときには棘となります。

今考えていることは、
元恋人に傷つけられて、最悪な終わりを迎えて、人間不信になっていた私を救ってくれた人の優しくて暖かい言葉に、裏切られたと。
損害保険のプランが甘かったみたいです。
人間関係に永遠なんて無いし、いつか終わりが来るという覚悟はしていたものの、こんなにも早く、そしてあっけなくその時はくるのか、と驚愕しています。

元恋人には自己肯定感が最底辺になるようなモラハラ発言を日々受けていました。
でも救ってくれた新しい彼のおかげで自分のことを好きになれたし、こんなにも誠実でまっすぐに付き合ってくれる人がいるのか、と人間に絶望せずにすみました。毎日が楽しかった。

彼と私の付き合ってからの日々を紐解いていくと、自分には熱い気持ちがあったのに、彼には冷めた心しかなかったのかもしれない、と推測できる時期があります。
何で気が付かなかったのかな。
何で自分の中の気持ちを伝えてくれなかったのかな。
私は君の暖かい言葉に惚れたんだよ。君の口から紡がれる優しい言葉によって、もう一度信じてみようかなと一歩を踏み出せたのに。

優しい言葉が呪いのように、呪縛のように頭にこびりついては、無意識に反芻してしまいます。
その言葉は確かにそこにありました。そして、確かに私が新たな一歩を踏み出すための大きな勇気をくれました。
だからこそ、徐々にその言葉の体温が無くなっていく感覚が悲しい。
あの幸せだったメッセージのやり取りや写真が色あせて、脈拍が無くなっていくさまが虚しい。

本当に諸行無常ですよね。

だからって人間不信にはなりません。
人は人とのつながりがあってこそ自分を確立できるので、ここでふさぎ込んでしまったら自分をダメにしてしまいます。
それに、私を大切にしてくれる友人は沢山はいないけど、確かにそばにいてくれています。

今年はもう一度自分を見直してみます。
振られたのはそれなりな理由があると思っていますので。

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