言葉との距離

こんにちは。ぱるむです。


私は「九月」という芸人が好きです。
Twitterの「九月の『読む』ラジオ」というアカウントで彼を知りました。
質問箱に寄せられた悩みや相談を、華麗にさばいていくスタイルです。
まさに読むラジオ。
彼は日本語がとても上手なので、読んでいてとても爽快です。
先日、彼のもとに寄せられたお便りがとても印象的でした。



私は12年間女子校に通っていたこともあり、大学生になって初めて男性がいる場で戸惑うこともありました。
そして、女として生まれてきた自分について考えることもありました。
彼女の主張に同意できる部分がありましたが、どこかに違和感がありました。

SNSでは「女は~」「男は~」と主語が何億人も含まれるような文章を、それも皮肉が効いた言い回しで表しているものをよく見聞きします。
時に核心をついたような投稿が、多くの人にいいねされています。
男性経験、恋愛のみならず人間関係においての経験が少なかった大学1,2年生の頃は、このような投稿を見て妄信してしまった自分がいました。
1万人以上のひとにいいねボタンが押された投稿の信ぴょう性の高さに、何も考えずに鵜呑みにしていました。
大学3年生になると、そういった主語が大きい言い回しで、特定の区分の人間を揶揄する投稿を鼻で笑って楽しめるようになりました。
思うに、お便りを寄せた彼女はこういった投稿を鵜呑みにして、実体のない敵を作ってしまったのではないかと考えました。

九月さんは「君、たぶん言葉との距離がいちいち近すぎるんだよ。」と表現されていました。

別にさ、敵なんてはじめから一人もいないよ。同様に味方もいない。みんなそれぞれに生きてるだけだよ。性別がどうとか、セックスがどうとか、あんまり神話じみた言説に躍らされちゃだめだよ。どうせ全部の言説がちょっとずつグラデーションで嘘なんだよ。君が信じてることもそうなんだよ。君、たぶん言葉との距離がいちいち近すぎるんだよ。

九月の『読む』ラジオ(2024.4.11)

言葉との距離が近いと、全体を俯瞰することができません。
例えば、「煙草を吸う男はクズだ」という投稿があったとします。
言葉との距離が近い人は、「煙草を吸っている男は問答無用で、仕事も、生活も、女関係も全てだらしなく不誠実である。」と認識します。
けれども、一歩下がってみると「私の知り合いで、煙草を吸う男の中には煙草を吸っていて女関係にだらしないバンドマンに憧れている人がいる。だから不誠実な人が多いように見えるのかもしれない。」と、自分の体験と結び付けてみたり、あるいは「なにをいっているんだ。」と軽い気持ちで馬鹿にしたりすることができます。

私は3年生の中盤から、白黒はっきりつけることよりも、グラデーション的な見方をするということを意識し始めました。
それはその当時であった友人が、白黒はっきりさせるようなものの考え方をしていたためです。
この場面で断定する必要はあるのだろうか…。と幾度となく悶々としたことを覚えています。
友人のおかげで自分の中の潜在的な価値観に気がつくことができました。


この九月さんのラジオを拝読したのち、大学で一番仲の良い友人と人間関係について話す機会がありました。
彼女のサークルにお騒がせの後輩君がいるそうです。
彼女は「後輩君は人の好き嫌いについて短絡的だ。だから私と価値観が合わないのだと思う。
『Aさんのこういう面は尊敬できるけれど、こっちの面はどうかと思う。』
『Bさんは全く仕事ができないけれど、人間的に大人な人だから自分が悩んだらBさんを頼っている。』
のように、人のことをある程度多面的に見ている。ある一つの部分が嫌いになったからと言ってその人のすべてを否定することは無い。
けれども後輩君は、仕事ができないから人間性もクソだ、のように非常に単純に考えているように見える。
そういった価値観の違いで、私の精神がすり減るので疲れてしまった。」
と言っていました。

すぐさま九月さんのラジオを思い出しました。
あのお便りを寄せた彼女も、一面的にしか物事を見ていないのではないかと思いました。
人の良いところも悪いところもグラデーションです。
だから、黒い部分を見たからと言ってその人のすべてが真っ黒ではありません。

私は物事を一面的にしか見れない人を見下しているわけではありません。
ただ、友人と盛り上がっているときについつい棘のある言葉を多用してしまいました。
その言葉を発するたびに、「自分は大丈夫だろうか」と自省していました。
言葉との距離が近いと感じたためです。
一歩下がって、この言葉は自分にも言えることではないだろうか、自分も一面しか見ずに妄信していることは無いだろうか、と怖くなって考えます。

言葉だけでなく、人間にも同じことが言えると思います。
人との距離が近すぎるがゆえに、お互いの関係が破綻することはしばしばあります。
私は2023年の夏ごろから2024年の冬終わりにかけて、完全に縁が切れた男性が3人います。ヤバすぎ。
この経験をもとに、いい意味で人間不信になることができました。
今までは、お便りを寄せた彼女のように一面的な部分を信じ切ってしまう部分がありました。
最近は、本当に白一色なのだろうか?と程よく疑心暗鬼な気持ちで対応することができます。


人間関係について、居酒屋で深夜まで語り明かせる友人がそばにいてくれて嬉しい。
彼女はよく考えて、それを丁寧に話してくれる人だから飽きない。
恵まれています。

ちなみに、九月さんのライブは2月に参加させていただきました。
7,8時間ぶっとおしのトークライブ。九月さんのお笑いの世界を覗くことが楽しかったです。
メタ認知の巨匠が好きです。


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