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寒い冬をこえる赤松・唐松の森で林業を営む

信州・松本の森には、寒い冬に耐える赤松や唐松といった木が多く植えられてきました。その木を切って、運び出し、製材所に渡す「素材生産」の仕事を続けてきたのが株式会社柳沢林業。代表取締役の原薫さんに、信州の林業の仕事と、その時間感覚について聞きました。

育った木を切って製材する「素材生産」

村上 今回は信州の松本市から、株式会社柳沢林業で代表取締役をされている原薫さんにご登場いただきます。原さんと初めてお会いした時に、なんというか、すごくゆったりとした時間が会話の一つ一つや、何かリズムがある感じがするなというのが最初の印象だったんです。その後いろいろお話をしていくたびに、やはり山のリズムというか木のリズムというというのと一緒に生活してるからこういう雰囲気になってるんじゃないかなと、僕はいつも思っているんです。今日はちょっとそんなお話も伺えたらなと思います。

今井 原さん、柳沢林業は、どういうお仕事をされているんでしょうか。

原 基本的に林業は、木を植えてて育てる「造林」の仕事と、その木が育ったものを収穫する「素材生産」、つまり伐採して搬出する仕事に大きく分かれるんです。そのうち柳沢林業は「素材生産」をしています。株式会社になったのは10年くらい前なんですが、それまで柳沢と現会長が、個人事業として木を切り出す仕事を主にやってきたんです。

村上 お仕事の範囲としては、基本的にはずっと山にいらっしゃるのですか。

原 うちの会社も今はいろんな事業を始めています。私が代表になったのは10年くらい前なんですが、それまではもうみんな毎日朝から夕方まで山にいる現場だけの仕事でした。

村上 ちなみにお住まいは山の中なんですか、それとも山を降りた所なんですか。

原  松本は山岳都市と言われるんですけど、「松本平」という言い方をするように平らな部分も非常に広いです。私はそのちょうど境くらいの岡田という所に住んでいます。なので街といえば街ですね。理想は山の中に住みたいんですけど。

村上 山って、1週間見ていても僕は変化が分からないんですけども、みなさんからしたらどういうスパンで、どういうところを見ていらっしゃるんでしょうか。

原 最初に村上さんに初めての印象が「ゆったりした流れ」と言っていただいたのは非常に嬉しいんですけど、そうありたいなって思ってはいながらも、やっぱり今は社長業というか、それに付随して色々な仕事を依頼されちゃうので、四季の変化をもっとじっくり味わいたいなって思いながら、なかなか出来てないのが現状ではあります。
ただ私は、山に行くことでなぜか幸せを感じます。山はそこにいるだけでいいなと思える場所なので、自分なりに四季の変化などは感じているのかなと思います。

村上 そろそろ冬の季節に入ってくると思いますが、そういった時の山はどんな山なんですか。

原 紅葉も終わって、葉っぱも落ちて、冬の山はなんとなく寂しい感じもあります。私は落ち葉を踏むのがすごく好きです。夏の葉にはすごくいい香りがする葉っぱがあったりするんですけど、落ち葉にはみずみずしさはないけれども芳醇な香りがあって、私は好きだなって思っています。

村上  木が育っていく時の中でいうと、秋の終わりはどういう風景なんですか。

原 木の成長のスピードはすごく落ちるので、それが年輪の色の違いになります。木は夏にたくさん光合成をして年輪の幅が太くなりますが、冬は成長しないのかというと、そうではなくて、成長のスピードが非常に落ちるものの、年輪に幅があるように、太ってはいるんです。
 ただ信州はかなり寒さが厳しくなるので、水分を落とさないと「凍裂」といって、木の中の水分が凍って裂けちゃうんですね。なので落葉もさせながら水分を落とす。まあ、じっと冬を越えるための準備なのかなと思います。

今井 柳沢林業さんの森はどういった木が多く、どんな特徴がある森なのでしょうか。

原 私たちは林業が生業なので、木を切ります。ただそれは勝手に育った木ではなくて、植えて育てられた木です。日本全国でいえば杉とかヒノキが多いんですけど、信州は寒さと乾燥が厳しいので、ちょっと植えられてる樹種が変わるんです。ここには唐松や赤松が主には選ばれて植えられてます。唐松や赤松は、松ヤニが多いという感じは想像できるかと思います。先ほど「冬に木が水を吸っていると凍裂しちゃう」と言いましたが、唐松や赤松はヤニという油を持つことでそれを防いでいるです。その分、材木としてはちょっと使いにくい木ではあるんですが。

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収穫までの50年、100年という時間軸

村上 林業って、例えば工場とかで何かを作るのとは違って、植えた後、待っている時間が長い印象を僕は受けるんですけど、どういったスパンで動いてるんでしょうか。

原 農業は1年で収穫しなきゃいけないという意味で慌ただしいんです。それに比べて林業はちょっと放っておいてもいい側面もあるんです。ただ日本は高温多湿で、雨も多いので、植物が成長するにはすごく良い環境になってるわけです。なので植えて育てた木以外のものも、かなり生い茂ってきちゃうんですね。だいたい植えてから5年くらいは、植えたものがちゃんと頭を出してくれるように、下草刈りという作業をするんです。その作業は真夏の植物が伸びる時期に炎天下でやらなきゃいけないので、結構厳しい作業です。いま、そこの省力化も研究はされているんですが。
 そして植えてから10年くらいすると、ちょっと放っておいてもよくなるんですが、ここから先の作業は木の種類によって違ってきます。「枝落とし」「枝打ち」と言ったりするんですけど、10年もすると葉っぱが生い茂ってきて、光が入らなくなると、下の方についてる枝が枯れてくるんです。スギとか唐松はそれが自然に落ちてくれるのですが、ヒノキはすごくその枝が強いので、人間が枝を切って落としてあげないと、ずっと枯れたものがついてい状態になるんです。
 なぜそれがいけないかというと、木を丸太のまま使うのならいいんですが、今の木は製材して使いますよね。枝が生きていたところは「生き節」といって強くなるんですけど、枯れた枝の部分は製材した時に節が抜けちゃうんです。材木に穴が開いてしまうので、やっぱりそういう枝は丁寧に落とす必要があります。
 また今はあまり求められなくなってますけど、昔の日本人は無節の木を求めました。自然素材しかなかったので、その自然の素材を意匠とか見た目、化粧にも使ったからです。無節の木を作るためには、やっぱり適切な太さの時に枝落としをしてあげないと枝が出ちゃうんです。
 さらに、枝を落とさないと森に光が入りにくくなってしまうので、林の中に植えた木以外の植物が生えなくなってしまいます。それはちょっと生態的に問題が起きてしまうこともあるので、そういう意味からも枝打ちは必要なんです。

村上 長く木が育って、最後に製材をし、恵みを与えてくれるところが終着点だとすると、枝打ちとか、そのプロセスの時間でも、何か森は僕らに恵みを与えてくれるものなんでしょうか。

原 今言ったような「下草刈り」とか「枝打ち」という作業ではあまり得られるものはないかもしれないです。ただ、その後には「間伐」という作業をします。木は最初にたくさん植えて、その後に間引いていくんですけど、昔はそういった間引いた木もいろんな資材に使ったんです。田んぼに収穫した稲を干す棒を「はざかけ」って言うんですけど、そういうものになったり、足場の木になったり、いろんな使い方ができたんです。でも今はそういうものがみんな鉄のパイプになったり他の資材に変わってしまったがために、利用できなくなり、それで間伐が進まないという状況もあるんです。最近は若い人たちがいろんなアイデアを出して、間伐材をちゃんともう1回使えるようにしようという動きも出てきてるので、いいなと思ってます。
 最終的に何年で木を切るかにもよるんですけども、50年とか100年の間、あんまりそこから収入っていうのは、木材からはない、あるいは少ないかもしれないです。

今井 一口に林業と言っても、信州の気候条件によって、その地域ならではの樹種があることや、その木材の使い手の都合によっても様々な作業に違いがあるということを初めて知りました。それにしても50年から100年っていうと、今の私たちのビジネス感覚からすると、途方もない時間ですね。
(文・ネイティブ編集長今井尚、写真提供・吉田亮人)

次回のおしらせ

次回も長野県松本市の柳沢林業・代表取締役の原薫さんに、信州の山で先人たちが育ててくれた唐松、赤松といった木を届ける仕事について聞きます。人の一生をはるかに超えた時間の中で、何を受け継ぎ、何を伝えていくのか聞きました。お楽しみに!

The best is yet to be!

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