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震災をきっかけに変容するネパール

復興が望めない人たちによる意識の変化

今井 ドキュメンタリーフォトグラファーであり、ネパールでThe 3rd Eye Chakra Field Bag Worksというアウトドアバッグ作りをされている。門谷JUMBO優さんにお話を伺ってきました。ジャンボさん今回もよろしくお願いします。

JUMBO よろしくお願いします。

今井 これまで3回にわたってThe 3rd Eye Chakra Field Bag Worksというアウトドアブランドについてお話を伺ってきたんですが、2015年にスタートしたこのプロジェクトがどのように生まれたか、あらためてお話伺えますでしょうか?

はい。そうですね。ここまでお話を聞いていただいた通り、僕は元々すごくネパールの人たち、それからネパールのコミュニティにお世話になりながら、今の自分のフォトグラファーという仕事に就けているっていうところがあって、そのための恩返しではないですけれども、何か彼らとの繋がりをキープし続けるためにできることっていうふうに考えたのがThe 3rd Eye Chakra Field Bag Worksっていうブランドのプロジェクトの一番根っこの部分にあるところなんです。それともう一つ別に、自分自身がヒマラヤの近くに秘密基地みたいなものが欲しかったっていう、自分自身が楽しみながら何かをしたいっていう気持ちが一番の根本にあると思います。

村上 秘密基地がだんだん大きくもなってきたと思うし、みんなの基地にもなってきたと、これまでのお話を伺いながら思ってますけど、どうですかプロジェクト立ち上げを構想したときから、今の姿ってのは想像できましたか。

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JUMBO いや全く想像できなかったですね。もちろんコロナの影響であるとか、ネパールの政情的な、またいろんな不安定な要素がたくさんあって、なかなか先が見えていないっていうのもあるんですけども、そもそも、まずはトライしてやってみて、できたところは伸ばしていく。出来なかったところは改善していくっていう、トライアンドエラー前提で、なおかつそれを楽しむ心を持ち続けられれば続けようっていう、そういう思いで始めたものですから、将来的にすごく稼いでやろうとか、大きなブランドにしてやろうとかっていう目論見とか野望があって始めたことでもないので、ただただ、今自分はこれをやることに楽しめているという実感もありますし、これからも向こうの人たちと一緒に楽しんでいけるようなプロジェクトを続けていければなというふうに思っています。
また、うちのThe 3rd Eye Chakra Field Bag Worksのカバンを使って、自然やフィールドに出ることを楽しんでもらう、そういった道具を提供できれば、いろんな方向に対して楽しむっていう連鎖を提供できるんじゃないかなと思って、それだけを考えてやってる状態ですね。

村上 プロジェクトを立ち上げるときに、これまでJUMBOさんがネパールでいろんな現地の人たちと出会ってきたと思うんですけど、そういった方々にも相談したりとか、聞かれたりしましたか。

JUMBO はい、たくさんの人にどう思うって聞きました。

村上 当時はどんな意見をもらったりとか、どんな手応えだったんですか。

JUMBO 特に現地の人たちの感想でいうと、多くの人たちは、「現実感が湧かない」とか、「何言ってんだこいつ」「何を夢みたいなこと言っているんだ」みたいな、そんな反応でしたね。

村上 そういったときに心が折れたりしませんでしたか。

JUMBO 特に心は折れなかったですね。そもそも現地にないものをやろうとしてるので、現地の人たちに現実感が湧かないのは当たり前だろうなと思ってたので。

村上 そんな雰囲気が徐々に徐々に変わってるんだと思うんですけど、この辺りで変わってきたというきっかけ、節目がもしあるとしたら?

JUMBO 一番は、おそらく2015年4月25日に、ネパールで大きな地震が発生したんですけれども、そのタイミングが、ちょうどこのブランドのプロジェクトをスタートし始めようと現地に一つ工房を作って、職人を養成しようとし始めるタイミングだったんですね。

地震が起きてみて初めて、ネパールの人たちも自分たちの土地っていうのが、地震っていう危うい災害の起きる可能性のある場所に住んでんだなっていうことを現実感を持って、知るきっかけになったと。
そのときに、今まで彼らが生活の糧として頼っていた観光であるとか農業であるとか、その他もろもろの仕事っていうものが、ある日突然途絶えてしまうかもしれないっていう現実にぶち当たったんですね。向こうの社会は、もちろん環境であるとか、ITであるとか、海外との繋がりを持てるような仕事であれば、どんどんどんどん変わってきてるんですけれども、それでもやっぱり生活の根幹になるような農業であるとか、物作りであるとかそういったものは、カースト制度っていう身分制度のしがらみをどうしても大きく受けるので、なかなかある家に生まれついたら、その家の仕事しかやらない、できないっていう、その考え方が根強く残ってたんですよね。

ところがそういった地震・災害によって、そういったものが一瞬にして変わってしまう可能性があるっていう、それを目の当たりにして、何かちょっと自分たちも違う仕事を身につけなきゃいけないんじゃないかなみたいな空気が流れたのかな。

あと自分たちの住んでいる土地が地震によって壊滅してしまうことで、そこに住み続けられなくなってしまった。だから、カトマンズというような人がたくさんいるところに移動せざるを得ないんだけれども、人がたくさんいるってことは仕事を見つけるっていうのもまた難しくなってくる。そういう現実にぶち当たって、みんなどうしようかなって思ってるときに、このプロジェクトを立ち上げたものですから、何か地震が、こういうスタイルで仕事を覚えてもらうっていうものをより現実感を持って気づいてもらうきっかけになったのかなっていうのは、一つ思います。

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村上 すごく腑に落ちるというか、理解できる話なんですけど、逆にこれが日本だったら、災害が起きた直後っていうのは、多分復興、元に戻るっていうところにフォーカスがいくかなと思うんですけど、今の話だと災害があってそれで仕事を作っていくと新しいことにやっていくっていうその雰囲気があるような話に聞こえたんですけど、その辺はどういった空気が流れてたと振り返りますか。

JUMBO そうですねまず、ネパールっていう国がどれだけ政情的に落ち着いていて、経済的に強い国なのかっていう部分が問題になってくると思います。日本はもちろん経済的に何だかんだ言って、とても強い国ですし、政情もすごく安定してます。

ネパールに関しては、そもそも国自体にお金がないですし、また政情も安定しない。そういった国で一度大きな災害が起きてしまうと、復興っていうものに対して政府主導で取り組むことができないんですよね。
そこに暮らしてる人たちも、そんなことはもうわかっているので、基本的に政府に頼り切ろうっていう気持ちがないんですよね。だから、村が地震によってなくなってしまったら、もうそれは誰が立て直してくれるわけでもない。

もうそのそれによって生活の糧がなくなってしまったら、もう自分たちでサバイブするしかない。そういう意識がやっぱり強いと思います。そういった中での意識の変化を感じました。

村上 なるほど、そういうタイミングでの差が愛着があったわけですね。

「彼ら」と「外の世界」の間に立つハイブリッドなマインド

今井 今回の話だけではないんですけども、これまでのお話を振り返ってみてもやはり、復興一つをとっても、ビジネスについても、日本とはずいぶん国に対する向き合い方が違う国なんだなっていうことがすごく伝わってきました。
ところで、我々の番組では長く暮らしを続ける人のことを「ネイティブ」と呼んでるんですが、この会社が今後もネパールの社会で続いていくネイティブになるにはどういうことが必要だと思いますか。

JUMBO そうですね。働いてくれてるネパールの職人たちは現地のネイティブで、ブランドのベースにあるバックグラウンドっていうのも、ネパールにあるネイティブのブランドってあると思います。
ただ一方で、物を作って、それを使ってもらう先には、ネパールだけではなくて、海外の人とか、そのネパールの人たちと価値観を共有しないような人たちにも使ってもらえる、そういったもの作りをしていかなきゃならないと思います。

そういった意味では、そのブランドの中で、デザインであるとか、運営であるとか、そういったものを担っている僕の立場としては、僕自身がいたずらにネイティブになろうとするんではなくて、ネイティブとその外の世界との橋渡しになるような、ハイブリッドなマインドを持ち続ける。それを自分の中でしっかりと構築することで、何とかこのブランドを長く存続させていく、そしてできることであれば成長させていく、そういった方向性を見出していければなと今考えています。

村上 なるほど。今ハイブリッドっていうふうにおっしゃったんですが、僕は人間っていうのはどんどん同化していくとか共感していく、そんないい面も悪い面もあると思うんですけど、ハイブリッドを保つってすごく難しいんじゃないかなって思うんです。それについてJUMBO流みたいなのがもしあれば、教えていただきたいです。

JUMBO そうですね。本当にこれは試行錯誤の上での話なので、まだまだ自分流っていうほどうまい手法を見出せてるわけではないんですけども、一つは、常に楽しむ心を忘れないというか、自分がどうしたいか、自分がどうありたいかっていうものを軸として据えるっていうところ。いたずらに現地の人たちがこんなふうに考えてしまうだろうからとか、現地の人たちが怒ってるから、喜んでるから、こうしてほしいって言ってるから、という方向になびかずに、まず自分がどうしたいのかを考える。その上で自分がどうしたいのかという中に、現地の人たちにどうなってほしいとか、そういったデマンドが生まれてくる。それに従って物事を進めていく。そういったところがハイブリッドになっていくっていう、自分の一つの過程なのかなと考えています。

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村上 あともう一つJUMBOさんは、もう一つライフワークとしてドキュメンタリーカメラマンとして作品を撮るっていうところの部分もネパールでもう一つあると思うんですけど、その存在があるっていうことは影響がありますか。そのハイブリッドでいられる、保てるっていうことと。

JUMBO 僕は今追いかけている被写体というのは、一つの場所に定住せずに、ずっと移動を繰り返しながら生きている遊動民族なんですね。彼らの存在自体が定住をして農耕してそれをベースに生きているネパールの人たち、もっと言うと、僕たち日本の生活っていうものも定住をベースにした生き方じゃないですか。そういう人からするとかなり異質な人たちなんですよね。
でもそれが良くない存在なんではなくて、彼らの姿を見て得られるものとか、自分の生きるヒントになる部分とかたくさんあるんですね。なのでそういったものを僕は今、写真や映像で取り集めて、作品を作ることをやっています。

その遊動民族の人たちと行動を共にすることによって、今まで自分が気づけなかった自分の行動の、ある意味合理的なんだけど違う見方をするとすごく不条理や矛盾をはらんだ部分、そういったものが感覚として見えてくるものがある。そういったところですごく勉強させてもらっています。

今井 4回にわたって、JUMBOさんのネパールでの活動の半分を伺ってきたわけなんですが、ぜひまたお越しいただいて、もう半分の話を伺えたらなと思います。ぜひまたよろしくお願いいたします。

JUMBO ナマステ!

(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 門谷”JUMBO”優)

次回のおしらせ

門谷 "JUMBO" 優さんのもう一つの仕事、ドキュメンタリーフォトグラファーとしてのお話を伺います。JUMBOさんが追い続ける、ネパール西部で移動しながら暮らすラウテの人たち。今回はちょうど取材を終えたばかりのタイミングとのことで、ネパール・カトマンズとつないで最新のお話を伺いました。
The best is yet to be!

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