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【読むラジオ】#022 変わりゆく小笠原に通い続けて


旅人ではいられなくなった瞬間

今井)有川さんはそもそもどうやって小笠原と出会ったんでしょうか。

有川)私の先輩が受けるはずの仕事だったんですけど、ちょうどご出産されたということで、私関わりに受けたんです。それはライターの仕事じゃなくて、観光プロモーションビデオに出演するっていう仕事だったんです。それで父島と母島に行ったのが最初でした。

村上)いずれはライターの仕事で何かできるかなと思いながら行かれたんですか?

有川)もうその時は、行く機会があまりない所に行けるっていう、わくわくだけだったんですけど、行って兄島っていう父島のすぐ北側にある島に空港を作る話があるのを島の人から聞いて、こんな凄いところにいらなくないですか?って言ったら、その島の人もね「おかしいよね」って。このことを帰ってからどこかに売り込んで、記事にして、今後ちょっとここには通わなきゃいけないなって思ったのが小笠原との出会いです。

村上)ライターの仕事はいろんなジャンルがあると思うんですけども、自然についてはもともっとターゲットにされてたんですか。

有川)そうですね。自分のテーマとして自然環境問題みたいな事を一つ上げていました。ただしスキューバダイビングが結構ブームだったんですけど、そのインストラクターやインストラクターを束ねている指導団体で、スキューバダイビングの中で環境教育を普及できないかっていうことをやっていたんです。そう言う意味で、スキューバーダイビングの行き先って、島が必然的に多いので、島にあちこち行っていて、その中で出会ったのが小笠原でした。

村上) 世界遺産っていう文脈は空港の次になるんですかね

有川)1989~90年ぐらいは世界遺産という言葉は日本では全然知られてなかったです。その時はまだバブルみたいなもので、空港を作るということで小笠原の環境が大きく改変されてしまうかもということが、まず一つの問題提起というか、何とかしなきゃっていうことで、すごく小笠原と縁が深くなったのもこの空港問題を通してでした。
あるとき島のほうから電話かかってきました。「自分達は住民として空港問題を考え直すっていうことをしている会を作っている。また小笠原をフィールドにしている生物系の研究者も、ここに空港ができたらもう本当にこの島は駄目になってしまうという提言をしている会がある。あと足りないのは旅行者として言ってくれる会だから、有川さん作ってくれ」って言われて、そこで小笠原ネイチャーフォーラムという会を作って、そこから単なる旅人じゃなくなったって感じでした。


これまでの小笠原、これからの小笠原

村上)今、もしくはこれから先、どうなると思っていますか?

有川)小笠原についてはまだまだ追いかけたいことが色々あって、何回目かに、小笠原は島の人の入れ替わりがすごく激しいと言ったと思うんですが、だからこそ島の気質がどんどん変化してるんです。それはちょっとやっぱり続けて見たいなって思います。あともう一つ最近思っているのは、比較対象を持たないと、あまり小笠原だけ見ているとその変化だけを追いすぎると世界の中での小笠原がわからなくなるから、もう一つ比較対象を持って、対照させながらずっと見ていきたいと思ってます。 

アカガシラカラスバトの次に、オガサワラカワラヒワっていう本当にあと200羽と言われる小さな鳥たちが、今まさに絶滅に瀕しています。その鳥を守る動きもまた始まっているので、引き続き自然保護については取材していきたいと思っています。

今井)今の小笠原の姿を通して発信できることについては、有川さんどのようなことをお考えでしょうか。

有川)コロナになってから小笠原に行けてないので、現地の空気感が肌では感じられてないのがちょっと残念なところですが、ちょっと引いてみると、小笠原が返還されたのが1968年。ということは、そこから歴史を作ってきたようなものなので、若くて生き生きしているのが私が最初に出あった30年前だとすると、徐々に青年から中年とか、もうちょっと上に、島自体も成熟し始めているところで、それをどう捉えるのかっていうのが、自然保護の問題以外の私の今のテーマであったりもします。

村上)現時点ではどう捉えているんですか?

有川)30年前は本当に珍しいだけの島だった、っていう言い方だとちょっと語弊がありますけど、行くのに28時間とかかかっている時代に、そこに行くそれ自体が変わりもんじゃないですか。だから観光客同士も同じ匂いがする人間達だったので、すぐ仲良くなったんです。島全体がマイナーであり、すごいローカルで、変わり者がいっぱいいる島だったところが、世界遺産っていうことで一気に名が知れて、今は本当に普通に自然が好きとか、イルカが好きみたいな人も多いし、島の住民もすごく入れ替わって島の気質も変わって小笠原の何を見ていくのか、実はこの数年、自分の中でテーマだったりしますね。

村上)この先、小笠原はどのようになっていくと思いますか。人間に例えるんであれば、若い頃はいろんな道筋がイメージできるけど、中年とかそういう年齢になり、行き着く先がなんかこうなのかなと見えてますか。

有川)なんとなくの印象で、あまりいい言い方じゃないですけど、前はあまり聞かなかったなって思うのが「内地と同じになりたい」っていうようなことを言っている島の人が結構いるなと思います。前は週に1度しか船がないとか、そういうことがここが好きな理由だというような人が多かったと思うんですけど、いろんなやっぱり離島ならではの不便って絶対にありますから、そういうものをどんどん改善したいという人もいます。ですから例えばこれまでもいろんなレベルでの空港の計画がありましたが、ずっと頓挫し続けてきました。でももしかして今後、空港が欲しいという人たちが大半になって、また島が変わっていくっていうような感じもしなくもない。予想はなかなか難しいです。

村上)そうなると、オガサワラカラスバトが40羽から500羽まで増えてきたっていう当時の小笠原と、これから例えばオガサワラカワラヒワの保護を進めていく時に、同じ島でありながら、また別の全く違ったドラマが起こるのかもしれないなっていう気がしますね。

有川)カワラヒワについては、アカガシラのワークショップの時とかはまだ住民じゃなかった人たちにも関わって中心になってやってたりするので、それは世代的には小笠原自然文化研究所の人たちにより若い世代だったりするので、また新しい形での自然保護の取り組みっていうのがこれから生まれてくるのかなっていう期待はすごくありますね。

今井)最後にお伺いしたいんですけれども、訪問者ではなく、そこで暮らしていく一部になる「ネイティブになる」っていうことについて、有川さんのお考えを伺いますでしょうか。

有川)いろんな島関係の人がいてその先輩達から、私は住んでないんだから口を出さないほうがいいっていうふうなことを言われてたんですけど、私は逆で、住んでいないから見える視点から意見を言ったり活動をしようと思っています。ただそれをするからには、言った以上責任を持って、ずっと関わり続けていかなければなりません。最初の頃に空港のことで活動を始めた時に、「お前らみたいな奴がいるから困るんだ」って言われた人から、20年ぐらい経って初めて「いやぁ、あんた達もよくやってるよ」って言われたことがあって、そのぐらいやって初めてネイティブっていう言葉がちょっと身近に感じられてきたかなと思います 。責任もって関わり続けるということですね。

今井)本当に長い取材を通してこそ語れる言葉があるんだなって感じました。

村上)そうですね。すごく変わっていく島なんだなっていうふうに思うし、やっぱり不思議な感触がやっぱりあるなって思いました。ちょっと強引かもしれないですけど、これから人が月に住む時代が来るというときに、ある意味、人間がたどってきたモデル、短いスパンの中でしがらみも歴史の空白みたいなものもない、真っ白なキャンパスの中で、今人間が自然と命とともに共存していくっていうことの何かヒントがあるような気が僕はすごくしていて、ぜひ足を運んでみたいなと思いました。

(文・ネイティブ編集長今井尚、写真提供・有川美紀子)

次回のおしらせ

これまで5人のネイティブを知る人にお話を聞いてきたラジオネイティブ。次回から2回は極地建築家・村上祐資と今井尚がこれまでの話を振り返ります。#023、#024をお楽しみに!
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