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町に残る古い映像をアーカイブして残す活動

映像を通して見える町の暮らしと過ごし方

今井 石川県加賀市の大土町は、山の中に囲まれた元炭焼きの町だったということで、まるで日本昔話に出てくるようなイメージを僕は思い浮かべているんですが、木村さんは今、この町の様子をアーカイブする市の事業をされていると聞きました。具体的にどういう活動をされているんでしょうか?

木村 市からの委託事業として受けているものとしては加賀市全体の範囲にわたるんですけれども、そもそもその委託前の段階で僕が自発的にやっていた活動がありまして、それを引き継いで、加賀市全体に広がったっていう経緯があります。
まずそこでやってるのは昔の写真とか8ミリとか16ミリとかっていうフィルムが、フィルムとしてはもう限界の状態なんですね。そこで現在残っているものを修復して、デジタル化してみんなが見られるようにするっていうのが僕たちのやっていることです。

村上 一番初めは加賀のどこから始めたんですか。

木村 それがまさに大土から始めたんです。

村上 大土っていうところで言ったら、結局のところ、声掛けする人は二枚田さん。とっかかりはそこしかないってことですか。

木村 何をするにも、まずは二枚田さんですね。二枚田さんが持っているものはまず全部やって、二枚田さんの紹介してくれた、既にもう移住されてしまっているんだけれども、「あの人は確かカメラを持っとったような気がするな」みたいな方を多く当たっていって、アルバムを見せてもらい、お借りするみたいなことが何件かありました。

村上 大土だけじゃなく、日本の歴史も含めてだと思うんですけど、カメラっていうものが入ってきて、普及していって、それこそ大土という山奥にまで持ち込まれるという、カメラの普及されていく流れという視点から見ると、大土に写真が残っているっていうのは珍しいことなのか、どういうふうに感じますか。

木村 やっぱり基本的に、60年代70年代80年代のものは残っているとしても、ほとんど集落の中で撮ったものってないんです。他のところに旅行に行ったときに撮ったものみたいのは出てくるんです。その中で、ある時期、二枚田さんが小学生のときになるんですけど、その3~4年ぐらいだけ、ものすごいいっぱい出てきました。何なんですかって聞くと、二枚田さんの小学校のときの先生で、カメラやオートバイが好きだったりして、大土町に文明を運んできた人かもしれませんね。

村上 その先生が持ち込んで、ちょっとおもしろいなみたいな感じなんですかね。逆にその先生以外のその後の人たちが、カメラってものを知って撮った写真はどういうシーンが多いんですか。

木村 婦人会で鎌倉の大仏を見に行ったとか、新幹線で京都に行きましたとか、

村上 町のはやっぱり撮らないんですね。お正月ぐらいとか撮るんですか、七五三とか。

木村 ないですね。もう一つは、三八豪雪っていうのが、こちらではものすごく有名な豪雪の年があって、そのときの写真はわりと出てきます。

村上 やっぱりそうすると、カメラっていうのは非日常を写すものっていうふうな存在だったということなんですかね。

木村 そう思います。

村上 今は僕らは、スマホの中にもカメラがあって、当時と違って日常的にすぐそこにあるし、撮っても別にフィルムを焼いてとかみたいなこともないので、撮っては消し、撮っては消しみたいなふうになってるわけですけれども、当時の人たちはどういうふうにカメラを持って、どういうふうに写真を撮って、どういうふうにカメラとともに生きてきたって想像しますか。

木村 やっぱり、その赴任してきた若い先生以外の使い方としては、基本的には普段は家の一番貴重な物が置かれているような場所にしまっておくようなものだったんじゃないかなと思うんですよね。ここぞというときは大切に首から下げて持って歩くみたいな感じだったんですけど、やっぱりその中でも赴任されてきた若い先生のように、日常的に使うっていうこともやっていた人がいたんだっていうのは僕は驚きというか。

村上 木村さんは映像作家として撮っているわけですよね。その撮っているっていう立場からすると多分その先生とはお会いしたことはないと思いますけれども、どんな気持ちで撮ってたんだろうなとその写真そのものを見てどう想像しますか。


木村 そうですね。失われていくんだろうなっていうことを、なんとなくこの先生は意識していたのかもしれない。いや、わかんないけどそれは僕が見る鑑賞者としての立場ですけれども。今はもうない分校がどんな形をしていたのか、中がどんな状態であったのか、子供たちがどういうふうにそこで遊んでいたのかということが、手に取るようにわかる。客観的でありつつも、自分もちょっとかっこつけて中に入っていたりとか、すごいライブ感もありつつ撮られていて、撮影者として羨ましくなるような腕前の持ち主ですね。

村上 その先生はどんな方だったっていうふうに写真を通して感じますか。

木村 もう人気者。人が集まってきちゃう人。写されている被写体のみんな、なんか怖がっていないんですよね。写されること自体、嫌がっていないというか、なんか楽しげにみんなしているような、そのカメラの後ろに立っている人の方への信頼が表れているものが多いですね。

今井 写真を掘り起こしていくだけで、カメラに対する時代ごとの使われ方の違いだったり、たくさん撮られたときには、その写した人の人柄まで想像が、2020年代の今にもよみがえってくるような感じです。写真が町の歴史を今に伝えるというのは、直接建物や風景が映像として残っていなくても、様々な写真を通して、カメラの使われ方の違いなんかからも想像することができるんだなと思いました。
木村さんは、写真や映像を掘り起こしていく事業を今されてるということですが、集めた映像や動画などを見る人には、何を伝えたいと思って活動されてますか?

木村 そうですね、そこに関して僕は今まで4年間やってきて、変わってきています。例えば大土町自体に対する思いとすごく似ていて、当初は住もうと思って大土町に行きました。でも住めませんってなったときに、しばらくはモヤモヤとして、どうしたら住めるのかと考えちゃうわけですよ。でもだんだん自分の立ち位置が変わってきて、あそこ住む場所じゃないんだよなというような考えになってきました。限界集落っていう言われ方自体がちょっとしっくりこなくなってきたというか。仮に二枚田さんが1人、例えばいなくなっちゃったことで廃村状態になったとしても、別に俺にとってあんまり関係ないなと思う、というか、誰も住んでいない場所がある、そことの関係を自分は持っている。そういうことで何か今は十分。それはまた写真や映像に対しても同じような立ち位置で、それを何とか後世に面白がってもらおうとか、かつてこういう風景がありましたっていうことを後世に伝えなきゃとかってあんまり今は思っていなくって、今自分がその写真とか映像と関係していて、その中に悪いところなり良いところなりを、自分の中で見つけられている状態が楽しいんです。

村上 なるほど。具体的には、変わってきてるということですけども、最初に大土で撮られた映像を修復してっていうのは、アウトプットの形としてはどこにどういうふうに見せる形として出していったんですか。

木村 基本的にはうちのホームページに行くとそれが見られるようになっていたみたいな感じです。

村上 これはある意味その網羅的にというか、整理していくのか、それとも何か断片的にというか、どういう見せ方になっていますか。

木村 僕らはなるべくウェブサイトで見せるときは、網羅的にというか、辞典みたいな感じでただそれがあります、それは何年何月に撮られたものです、おそらくここで撮られたものです、っていうような基本情報みたいのと、画像なり動画なりがあるという状態をずっと続けているっていう感じです。
例えばそれが今になってきて加賀市全体に領域が広がったときに、今やっているのは、Wikipediaみたいな感じ。検索すれば何かが出てくるっていうような状態を今作っている状態なんですけど。逆にそれらを使って、イベントをやるっていうことをここ3年ぐらいはほぼ毎月のように1回ずつイベントとして、それをどうやって面白がるかみたいなワークショップとしてやってきたりしています。

村上 アーカイブするところと、それを使って何かをするってとこには、明確な線引きがあるっていう形なんですかね。

木村 今のところ、そうです。


主観を入れないアーカイブ。いつか、そこから何かが生まれるかもしれない

村上 今伺った僕の印象だと、アーカイブしてきたものって網羅的に並べるっていうところにある種、主観的なものをなるべく入れない、客観的に残していくっていうスタイルだと思うんですけど、その理由というか、それはなぜですか。

木村 映像ワークショップを一緒にやってる妻の明貫紘子がそもそもアーカイブっていうことを自分の研究分野としている研究者なんですけれども、そのスタンスを借りているっていうのがまず一つはあります。
もう一方で、僕はそのアーカイブを作るときに、そこに表情がない辞書のようなものだからこそ、自分で見つけていく楽しさを、映像制作者としてはそういうような楽しみ方を自分自身で経験してきたので、それを見る人にも味わってもらいたいなっていう思いがあるかもしれないです。

村上 さっき木村さんが、元々住むというイメージで来たけど、もう今はそんな気持ちではなく、住む場所じゃなくて、なんなら二枚田さんがもしいなくなったときに、廃村ゼロ人になっていくってところも、ある種その客観的に見られるのかな。そういうふうにおっしゃっていたんですけど、多分木村さんが映像をこうやってアーカイブする前にゼロ人になるのと、アーカイブした後にゼロになるっていうのは僕、結構大きく違う気がするんですよ。
本当になくなってしまうのと無いんだけど、あったっていうことがわかって無くなってる状態って、全然意味も違うような気がするんですけど、そういう影響ってありますかね。

木村 確かにそう言われると、今それを言われてすぐに思い出すのは、大土町の隣、歩いておそらく20分ぐらいのところにあった村はもう既に廃村になっていて、そこに関してはやっぱり特にアーカイブとかが残っているわけではない。
僕らには本当に何の想像力もかきたてることができないっていう状態なんです。確かに全然違いますね。

今井 アーカイブ自体は主観を排して客観的なスタンスで集めているということですが、そこから今後何が生まれてくるかは、未来の人たちがどう使っていくのかということなので、そういう意味ではすごく将来が楽しみなプロジェクトだなと感じました。

(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 木村悟之)

次回のお知らせ


引き続き、石川県加賀市にある「人口が1人」という大土町に関心を寄せ、定点観測をしたり、元町民から過去の映像をお借りしてアーカイブするプロジェクトに取り組んでいる映像作家の木村悟之さんに登場いただきます。

The best is yet to be!

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