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100以上の民族が暮らす多様なネパール

ネパールでニレカアドベンチャーズというガイド会社をされている代表サティス・マン・パティさんにお話を伺っています。

歩いて出会った民族、味、暮らし

今井 前回なんですけれども、ネパールには100以上の民族がいると伺いました。特にサティスさんは、西から東までネパールを横断するような形で歩かれたということなんですけれども、どういう人たちがいらっしゃって、それぞれどんな特徴がある人たちなのか、教えていただけますか。

サティス そうですね。西から東まで横断したときですが、グレートヒマラヤにアッパーセクションというのがあります。ネパールは標高70メートルから8848メートルまであって、4000メートルまで人々が生活してるんです。そこにはいろんな民族がいます。

旅のスタートは、カンチェンジュンガです。チベットが近い場所です。昔、チベットからネパールに入ってきた人たちが生活しています。チベットに近い文化が結構見えるんです。例えば標高4000メートルもあるので寒いので、あんまり大きいが家がなくて、小さいです。一階は倉庫とか動物を入れ、2階が自分たちが寝る場所です。昔の日本みたいに、真ん中で火を焚いてご飯を作ったり、その周りに寝たりとか、そういう生活を見ながら歩きます。

ボーテというチベットまで歩いて4時間でつくような場所では、木の家とか建物があったりします。ネパールでは最近少しずる道路ができていますが、町から荷物を運ぶのは大変です。彼らの場所はチベッド近くなら4時間で買い物できるのに、ネパールで買い物をするのは大変です。そんな感じなので、自分たちで農業をやる人が多いですね。

例えば毛の長い山のウシの仲間「ヤク」を飼い、その毛をとってそれで絨毯を作ったりとか、いろいろ作って売ったりとかしたりとか、あと牛乳をとってバターをつくったりして売ったりとかしています。最近では、標高4000メートルで生活してるので体力を持ってるし、ヤクに草を食べさせるためあちこち歩いてるので、すごく体力を持ってるので、最近はエベレストなどの8000メートルの山でガイドをする人たちがすごい多いんです。

グレートヒマラヤを横断したとき、ネパールをいくつかの地域に分けてあったんです。カンチャンジュンガ、マカルー、エベレスト、ロールワリン、ランタン、マナスル、ムスタン、ドルプール、ジュムラ。

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エベレストはすごい有名な山の地域です。そこもほとんど山の上の方は農業なんです。この地域にマカルーがあってエベレストがある。そこのクライミングシェルパは6000~8000メートルの山にガイドする人がたくさんいるんです。エベレストでも標高3000~4000メートルまで人々が生活しています。でもマカルーとは食べ物がちょっと違ってくる。同じシェルパでも、マカルーのシェルパの言葉と、エベレストの言葉、方言はちょっと違ってくるんです。

一番東に行ったら全然また違うんです。ちょっと砂漠みたいなところがあったりとか、言葉も違う、家も違ってくる。少し暖かいところなので、ちょっと違うなっていう感じが出てくるんです。
南に行くとインドの近くだから、向こうは農業やってる人もいるし、いろんな商売やってる人もいるし。暖かい。インドの近くの生活とか、文化とか見えるんです。寒さにも暑さにも強い、そういう家が結構多い。モノも何でも買えるんで、カレーの味がそっちのは多いですね。

ネパールではダルバートという食事を、1日2回食べるんです。

村上 豆定食、豆ごはん、ですね。

サティス そうですね。これも家ごとに全然味が違っていくんですね。あとその場所ごとにも味が違って、その場所の味が出てくるんですね。こういう感じです。
民族性で変わっていくんです。
私はネワール族です。ネワール族は、商売する族なんですけど、カトマンズの族なんです。昔、チベットやインドと交流した商売人なんです。
私がどうして山に入ったかわかんないんですけれども、一応うちのバックグラウンドは商売人なんですね。うちの族もまた全然文化が違うんです。食べ物も違うんです。

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大きく変わりつつある暮らしや文化

村上 なんかずっとサティスの話を聞いてると、ネパールっていう国は土地の大きさだけで言えばそんなに大きな国ではないけれども、いろんな色があって、いろんなものが複雑に絡み合いながら、そこではやっぱりその足で歩かなきゃいけないっていうところで、くっつかないところがあって。
サティスは北から南、東から西って全部歩いてる。いろんな民族をそこまで見てる人は少ないんじゃないですか。

サティス もう本当に少ないですね。自分がラッキーかなと思っているんです。自分の国でもガイドしながらいろんなことを見ることを経験できるということは、すごい良いなと思ったんです。このグレートヒマラヤ、西から東まで歩くというのはすごい少ないですね、ネパールの中でも。遠いっていうか、自分の足でぐるっと、ある時は2000メーター降りて、また2000メートル上がって、というように歩いていった。いやー遠いなって思った・笑。


村上 今は100年前と比べたらそれでも、セスナが飛ぶようになって、2015年に地震が起きた後は道路もたくさん通ってきて、サティスはそういうネパールを見ていて、その辺はどう見えていますか?

サティス 今はすごい変わってきてますね。もう山の奥にも道路が作られ始め、自分が歩いたところに今は車で行けることになって、いいなって思う。でも自分はもう山が大好きだし、山だけじゃなくて人々も好きなので、私は前の方がいいなっていう気持ちもあるんです。でも実際にそこの人たちには、いいっていうことも大事かなって思います。でも、しっかり作ってないから、今は雨期で、大きい道路が山崩れで止まったりとか、そういうことたくさんあるので、しっかりした道じゃないんですね。まだ大変なところは大変ですけども、一応雨期でないときは、結構他の山の中まで四駆で入ることはできます。前より結構楽になってきました。

村上 僕は全部の民族を知らないので、僕の知ってるネパールの人たちの話になっちゃうけど、結構10代後半とかになってくると、みんな村を出て1回カトマンズとか別のところに移動してきて働く若者がすごく多いような気がするんだけれども、そのあたりはどんな様子ですか。

サティス いや今すごいですね。村には年配の方がいる感じで、若い人とかは結構町で移動してるんですね。移動がすごい早いんです。町に来て学校行ったり勉強したりとか、仕事したりとか、あと海外に勉強とか出稼ぎに行く人がすごく増えてるんですね。
私は最近日本から帰ってきたばっかりなんですけれども、もう飛行機一便全部、ネパール人だけ。例えば学校大学に行ったりとか、出稼ぎにいったりとか、すごい増えてますね若い人たちが。

村上 ニレカのスタッフのみんなは、1回目の話のときに、モンスーンのときに村に戻っていって、それで登山シーズンになってきたらカトマンズのニレカに来て、そこからいろんなところあるんだけども、そういった意味では1回カトマンズには出てくるけど、またみんな村に戻って、また来てっていう繰り返しをしてるように思うんですけれども、他のガイド会社は結構何かガイドの皆さんも一つの会社にいないで、いろんなところを渡り歩いてるような話も聞くんですけど、なんかサティスのスタッフたちは1年をそういうサイクルで動いてたら、すごく居心地よさそうにも見えるんですけど、どうですかね。

サティス そうですね。ニレカとして、とにかくうちはスタッフなんですけども私的には家族みたいにやってるので、とにかくみんなで回してみんなで仕事をやる感じ。もし仕事が足りなければ、アシスタントガイドをやっていても荷物を背負って歩くというように、とにかく回してるんです。稼げるときは稼がないと大きい仕事がないときに大変になるので。ニレカに仕事がなければ、いろんな会社に行って働いてという話もしています。稼げることが大事なので。でも、できる範囲でこっちでとにかくやるっていう考え方を大きくしてるので、今はそういうふうに動いているところですね。

今井 ありがとうございます。前半ではサティスさんが、ネパールのたくさんの民族を楽しそうに、ワクワクしながら紹介していただいたのが印象的でした。そして後半もネパールの今の状況をすごくよく観察されてるし、よくネパールのことを見ていらっしゃるんだなって感じました。そういうところがきっとお客さんにも楽しいツアーに繋がっているんじゃないかなと感じました。
(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 サティス・マン・パティ)

次回のおしらせ

引き続き、ヒマラヤをはじめとするネパールの様々な山登りをサポートするネパールのガイド会社「ニレカ・アドベンチャーズ」の代表、サティス・マン・パティさんにお話を伺います。30年の経験の中で、ネパール全土を歩きつくしてきたサティスさん。ネパールの暮らしや文化など、楽しいお話をたっぷり聞きました。
The best is yet to be!

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