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【読むラジオ】#005 一瞬の動きと、積み重ねてきた時間


カンボジア中部のサンボ―・プレイ・クック遺跡を中心に現地で旅行会社を運営している吉川舞さんに、地元の人から学ぶ「暮らしの意味」についてお話を聞いています。

身体に体感値を蓄積していく


今井) 今回は吉川さんが普段から関わっていらっしゃるカンボジアの人たちについてお話を伺っていきたいと思います。僕たちのこのポッドキャストは「ネイティブ」という名前がついますが、地域に暮らし続けて暮らしをずっと長く続けている人達に敬意を表したタイトルなのですが、カンボジアの人たちの魅力とは吉川さんから見てどんなところだと思いますか?

吉川) 私がいるのはかなり地方の田舎の方なんですけど、本当に「地に根を張る」っていう表現がすごくぴったりくる人たちだなといつも思っています。もちろんみんながそうではなくて、そういう感覚を失っている人もいるけれど、そういう感覚を宿してる人たちに出会う率が、この地域はすごく高いです。もう弟子入りしたいなぁこの人に!っていう人たちが結構いっぱいいるんです。
その人たちに共通するエッセンスを探して行くと、自分たちの足元のことを自分たちで手を動かすことで何とかできるっていう揺るがなさみたいなのを感じるんです。

村上)自分の身の周りの世界の範囲をすごく知ってる人、そういう感じなんですか?

吉川)自分が生きている環境とか、世界に対する観察ですね。観察して、それと共に歩んで行くことを、吸収するように自然に行ってるんです。
 例えば、何かが壊れちゃったとき私たちは、専門の人に聞かなきゃ、みたいに思っちゃうじゃないですか。水道が壊れたら水道屋さん、みたいな。ですがカンボジアの人たちはまず自分で見るんです。どこ壊れてんのかな?とか、どのくらいの壊れ方なのかな?ということをまず観察して、これは自分の手に負えるな、誰々さんの手を借りればできるな、これはいよいよ無理だ……みたいなことを、自分の手足と、目と、生物としての感覚器全部使ってちゃんと観察して、それから導き出すみたいなプロセスをふみます。これは私が12年研究してすごくよくわかったんですけど、その土地で生まれてずっと過ごしてくる中で、いろんなシーンのいろんなもので、身体に体感値を蓄積してるんですよね。
 例えば、カンボジアには40センチくらいになるサヤインゲンがあるんですけど、このあいだそれを食べさせてもらいました。そしたらその家のお姉さんが「これ、裏でなったのよ」といい、ほかのお姉さんが乾燥させた豆を持ってきて、さやから豆を出して、それを一晩水につけて、朝方、水につけていた布をめくって、「あー、いい感じ」って言ってるんです。それは「植えてもいい頃合だ」ということなんですけど、そのツンツンして「いい感じ」と言ってる時間って、実質1秒か2秒です。だけどその1秒2秒で判断できるその瞬間までの間に彼らが重ねてきた時間みたいなのがそのとき見えて。これはかなわんなと思いました。

村上)そういう意味では9歳の女の子と、40歳くらいの僕くらいの世代と、またもっと上の方で、重ねてる時間っていう意味では、そこに住んでいる人でも、見方が変わってくるんですか?

吉川)変わってくるんじゃないかなあ。だけど、一般的に今の現代的な考え方で言うと、知識とか経験値みたいなことは、やっぱり年齢が上がっていくほうが形成されると思うじゃないですか。だけど体感とか、感覚って、最初にセットされたものが自分の基準になっていて、それって結構ずっと変わらなかったりするんじゃないかなと思ったりもします。特に自然とか、暮らすということを作る部分においては。

村上)前回かな、地元の おばちゃんの「9歳になったらもうほとんどできるから」みたいな話をしていただきましたが、そういう意味では「三つ子の魂百まで」じゃなく三つ子が9歳なのかもしれないけど、カンボジアでも、あるときまでに培ったその関係は、ずっと変わらずに続いてくっていう感じなんですかね?

吉川)それを失わなければ、ですね。面白いのは都市に出てきて仕事をするスタッフとかでも、「この子、よく見てるな」と思う子は、やっぱり小さいころに家業の手伝いとか、農作業とかをしていたりするんですね。

自分から意識が離れるような時間を持つこと

今井)僕は、どうしたらそういうカンボジアの人たちの「地に根を張った生き方」を学ぶことができるのかなと、すごく気になりました。吉川さんご自身も、カンボジアで生活する中で変化してきたことは、どういうところがありますか?

吉川)そうですね、私は農作業してるわけでもないですし、村の人達みたいに自分の家の敷地でいろいろ育てているわけではないんですけど、身の回りにある自分以外の「モノ」との関わりを通じて、成長させていているような気がするんですよ。
それは土や作物、魚、もしかしたら風とか雨とかかもしれないですけど、それをインストールさせてもらうためには、自分から意識が離れるような環境が必要かなと思います。
私が好きなのは、森の中とか視界がとても広い場所に身を置くことです。ついつい毎日の生活の中では全部自分のサイクルで回っていて、それに周りがついてきているような感覚に陥りやすいんですけど、でもそうじゃなくて、この大きな全体の中にいるあくまで一人の生物なんだ、みたいなことを思い出せる時間が、私がカンボジアの人たちを観察していて習いたいなと思って、やってみていることです。

今井)カンボジアっていう国は、そういう事が感じやすい国って言えますか?

吉川) 本当にエリアによって違います。首都のプノンペンは東京とかに近いのですが、ただラッキーなことに私は地方の街を選んで住んでいて、自転車で5分走ったらもう川がドーン!空がバーン!みたいなところにいます。それも選択ですよね。自分はそっちのほうが心地いいと思って、その中にいたいと思ったから選んだ。私はお客さんとも話すのですが、「選ぶこと」とか「本当にこれかな、と問い直すこと」って、入り口になると思うんです。何かを取り入れていくための。

異世界がこすれ合うエンターテイメント

村上) 僕ら目線、つまり「訪問者」としていえば、プノンペンにも行けるし、吉川さんのいる場所にも行けるって選べるけど、地元の今そこに生きている人達はどうなんすか?選ぶっていう選択肢をハナからなくしているのでしょうか。

吉川)村の人って言っても本当にいろんな人がいます。あとカンボジアってすごいく変化の早い国なので世代によっても基本的な思想の違いがすごく大きいんです。
ですが、村のお母さんがある時ポロッと漏らした言葉ですごくハッとと思った一言がありました。それは出稼ぎに行く人たちの話をした時だったんですが、「出稼ぎに行ってる子達が帰ってきた時に故郷がなかったら悲しいでしょう、だから私はここにいるというの今選んでるのかな」みたいなことを50代くらいのお母さんが言っていたんです。それを聞いて、そういう意思決定があるんだって思って、すごくグッときましたね。
あと、全然違う局面なんですけど、よく「地元で仕事ができる幅が広がったらいいよね」みたいな話をするんです。私たちのナプラワークスの旅の主役って地元の人なので、そういう意味で地元の人たちに活躍してもらえる機会が旅は多いなと前々から思っていました。さっき村上さんから出た「自分はそこを動くことを選べない」って言ってるお父さんお母さん達ですが、「ニワトリもいるし、牛もいるし、自分たちは旅行にいけない」っていう人達が、私たちがお客さんと泊まることをすごく喜んでくれる理由の一つが、私たちがもう異世界なんですよね。みんなが来ると面白いって言ってくれるんです。いつもと違って面白いっていう。こちらがそこを楽しませてもらうっていうよりは、村の人達にとっても、なんか違う世界の人が来てねっていう、お互いがエンターテイメントというか、そこに異世界がこすれあうことによって生まれるエンターテーメントみたいなのが旅の面白さです。こうなんですって何かを教えるスタンスはまったく違っていて、みんなが何かを掴みとっていくっていう感じが面白いなっていつも思うんです。

村上)うかがえばうかがうほど、吉川さん自信に興味があって、やっぱり異世界の人でありながらずっとそこにいる人、「自分がカンボジア人にもなりたいって思ったこともあればなれないと思ったこともある」という話もあったんだけど、そういう「自分は何者なんだろう」っていうところに行きつくような気もするし。そうした時にどう感じながら柔軟でいたのかなって、是非次回聞きたいなって思いました。

(文・ネイティブ編集長 今井尚)
(写真 Kimura Ayako)

次回のおしらせ

ラジオネイティブ #6 「人間が長く重ねてきた時間の中に生きるということ」
次回も、カンボジア中部のサンボ―・プレイ・クック遺跡を中心に現地で旅行会社を運営している吉川舞さんにお話を聞きます。

The best is yet to be, お楽しみに!

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