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【読むラジオ】#020 小笠原へ移住して分かったこと

活気に満ちた「若い島」

今井)小笠原諸島にくらす貴重な鳥、アカガシラカラスバトの保護をめぐる動きと小笠原の暮らしを長年取材されているライターの有川美紀子さんに、元南極観測隊越冬隊員の村上祐資さんと一緒にお話を伺います。
前回、この鳥の保護活動に島の人が一丸となって取り組むきっかけとなったのが島で開いた国際会議だったという話を伺いました。

村上)僕は、聞けば聞くほどやっぱり不思議だなっていう感触が今も残っていています。その会議をきっかけに、どうしようかと皆さんが話し合われて、少なくなっていたあかぽっぽが増えてきたという話はすごく繋がります。でも、もし僕がその当事者だったとしたらと想像してみると、二歩進んで三歩戻るようなことの繰り返しがずっと流れてきたんじゃないかと思います。でも、お話を聞くと不思議な感じで、すーっとうまく進んできたような印象がどうも残っています。その辺りについて、どうも島の皆さんの日常みたいなとこにヒントがあるんじゃないかなと思うので、そんな話も伺いたいです。

今井)有川さんは、30年前に小笠原に出会われたということなんですが、一番最初に訪れたときの印象はいかがでしたか?

有川)最初に行ったのが確か1989年か90年ぐらいだと思うんです。私はそれまでに、世界各国、また日本各地の島に、大体70~80ぐらい行っていました。
小笠原がほかの島と違うことは、一つは船でしか行けないことです。そのころは片道28時間かかりました。すごく長い時間、海を渡って、やっとたどり着いて港に入ってた時に、あまり見たことがない自然があるということと、とにかく垢抜けてるというか、人が活気に溢れてると驚きました。
日本の有人離島は420ほどと、結構たくさんあるんですけど、だいたい島はそこの歴史をすごく継続してきてるので、島の雰囲気を年齢で言えば70歳とか80歳ぐらいの人達みたいな感じがするんですね。もちろん活き活きしているところもあるけど。でも小笠原は本当に島全体が青年で、30代くらいの若い島っていう感じがしました。実際、今もですけど生産人口というか、40代ぐらいが一番多いんですよ。だから本当に活気にあふれていて、それがとにかくほかとちがうと思いました。

村上)入ってくる人と、出ていく人がいるのですか。

有川)入れ替わりがすごい激しいです。今まで知り合った人も、5割ぐらいが今はもういないかな。小笠原に住むために移住するというより、旅の途中に寄ったというような人が結構いるんです。何年か住んで、また次の旅に出るというか、ここで自分の歴史をずっとつなげていこうというよりは、すごく島と気が合って、ちょっと住んでみようみたいな感じで、そのままずっと定着する人もいますけど、また次の場所に行く人も多かったりします。後は人口の中の割合で、先生とか公務員が多いので、大体2年とか3年で変わっていくというのもあって、入れ替わりはとても激しいです。

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父島を出港する「おがさわら丸」(写真は2代目の船)。島の人はさよならとは言わず「いってらっしゃい」と見送る


村上)今は島に行く移動手段は船以外にも増えたんですか?

有川) 今も船だけです。「おがさわら丸」という船になってからだと、一代目が28時間、二代目が25時間半で、今のおがさわら丸、三代目は24時間で行けるようになりました。

村上)どっちが良かったんですか? もうちょっと長くてもいいとか、やっぱり早い方がいいとか。

有川)28時間が24時間に早くなって、1日が長く使えるようになったんですけど、一番重要なのは一晩海を越えていくっていうことです。日本の離島に行く船としては、ほかにないです。朝6時とかに目が覚めて、デッキに出ると、360度何もないんですよ。島影も何もなくて、そういう場所って多分日本であまりないと思う。あの爽快感で、昨日までの自分がリセットされるというか、あーもうこれから島に入るんだっていう気持ちにすごくなれる。それが小笠原に行く一番の良い所だと思います。

人口450人の母島へ

今井)日本の離島と比べて随分印象が違うんですね。一時期、島に住んだこともあると伺いました。暮らしてみるとわかってきたりする事もあるんでしょうか。

有川)私は人口が少ない方の母島に住んでたんですね。当時450人ぐらいだったと思います(編集部注:小笠原で民間人が暮らす島は父島と母島だけで、人口は父島2137人と、母島454人、2021年7月10日現在)。私の住む横浜との一番の違いは、全員と必ず挨拶することです。横浜に帰ってきた時には、横断歩道で向こうから人がわーっとたくさんやってきて、誰も知らない人だということにすごいびっくりしました。母島ではすれ違う人全員が顔見知りなので、嫌いな人だろうが嫌な奴だと思っていようがとりあえず挨拶はするんです。
あとお店が3軒しかないんです。農協と漁協と、個人商店があと一軒。だから品揃えとか父島に比べると母島はすごく少ないんですけど、何かがどうしても欲しい時って、どこかから出てくるんですよ。持っている人が貸してくれる。だから本当に足りないものはないです。それも驚きでした。

村上)行政のサービスとか何かそういうものも含めてですか

有川)そういう部分では、やっぱり横浜と比べてないものがたくさんありますけど、島に住んでいる時に、横浜に用事があって出てきた時があったんです。一週間ほどで島に帰ってきた夜に郵便物が届けられたんですけど、その前にすでに届いてるものもあったので「あれ、これ戸口とかに置かず、今届けてくれたんだ」って言ったら、配達の人が「あ、いらっしゃらないのわかってたんで」と言われて驚いたこともありました。

村上) 僕の個人的な経験からで申し訳ないんですけど、閉鎖空間、例えば南極とかに長い時間住むときにすごく壁になってくるのって、これがない、あれがないという、ないものに気づくことが、すごくストレスなんです。たとえば醤油がなかったりとか、七味がなかったり、どうでもいいものがいったんないということに気付いてしまうと、次に補給が来るまで絶対埋められないわけです。醤油や七味がなくたって大丈夫なんですけど、ないことに気づいてると今日も七味がないのか、ないのか、ないのか、と蓄積していってしまいます。これは人間関係も含めてなんですけど、「ないこと」の蓄積がすごくストレスだなと思ったんです。今、有川さんの話を伺ってる限り、探せばないものいっぱいあると思うんです。そのないものに気付いていないっていうところと、ないものがどこかから出てくるという安心について、さらっとおっしゃったんですけど、すごいことだなって思ったんです。

有川)南極とかと違って、週に1回は必ず補給があるので、どうしても欲しければその日が来るまで我慢すればいいんです。だけど例えば私は保育園のアルバイトしないって言われて一時期、保育園でバイトしていたんです。そして卒業式に出席してくださいと言われました。でもそんなドレスコード的なもの何も持ってないんですよ。その時も、ストッキングから靴、鞄、服など全部その辺の人が持ってきてくれて、有ちゃんこれ着れるんじゃない?靴はこのサイズで大丈夫よね?ストッキングはこれがあるよ、とか、全部違う人が持ってきてくれたんです。だから「ない」が本当にストレスだったっていうのは、何だろう・・・。一度パソコンが壊れて、それはすごい困りましたけどね。

村上)そういうことが当たり前にあることが本当に魅力なんだなと思いますね。人間関係っていう意味ではどうですか? やっぱりいろんな人がいると思うので、集まる人もいればそうじゃない人もいると思います。

有川)小笠原に住むと決めた時、私は島と出会って17、18年は経ってたんですね。なので仲間や知り合いもいっぱいいました。それまでは取材者という立場でいつも入っていたので、外からの情報をいっぱい持ってきてくれる人みたいな扱いをされてたんです。でも住んじゃうと1番下っ端からやり直しなんですよ。何にもできない。
島で暮らす人は、ないものを作ったりする技術を身につけています。例えば物干しざおがなければ、その辺の竹を切るとかですね、そういう知識も技術もないので、そんなの知らないの?とか、いきなり下っ端になり、結構凹みましたね。

村上)今のお話って、価値の交換みたいなものだと思うんですね。今まで有川さんが持ってきてくれたその情報から、その島の中で生活者になった時に、実際やらなきゃいけないことや起きる出来事に何ができるのか、できないのか、持ってないのか、みたいな話なのかなと思います。また僕の話なんですけど、昭和基地の越冬で後半になってくると、たまたま持っていた個人的な缶コーヒーの価値が爆上がりするみたいな、そんな話と似ているなと思いました。

有川)私は取材して小笠原の文章を書くときに、自信を持って最後の句読点を打てなかったことがいくつかあったんですよ。やっぱりこれは四季を通して暮らしてみないと駄目だなと思って、最初から1年と決めて移住したんです。一応住民票も移して。なんですけど、その態度をまた気に入らない人もいて。いずれ帰るんでしょと。まあ、最初から帰ることを表明してるわけですから、相手にしない人とかもいましたけど、 NPO小笠原自然文化研究所の人たちは、取材対象者でもありつつ時には慰めてくれたりとか、そういう感じで助けてもらいました。

村上)ちょっと話が戻ってしまいますが、1週間に1便っていう、補給の頻度はどんな実感でしたか?

有川)それはそうでしかないので、慣れるしかないですね。あと1年に1回ドック入りといって船が修理に入るんです。その時は1か月間来ないんですよ。その時はさすがに「今日の店の商品がなくなったら次はもうないないんだ」って思うとやっぱりみんながわっと買いますけど、住んでる人はわかってるのでドック入りの前から着実に備蓄していくのです。そういうものだと思って生きている感じですね。

今井)足りないものを補い合ったり、時には次の補給まで待ったり。船による補給によって支えられている小笠原の暮らし。品ぞろえは限られていても「本当に足りないものはない」というお話が印象的でした。本州で暮らしていると、つい「物にあふれた暮らしをしてる」と思ってしまいがちですが、この暮らしだって世界中のあちこちからの補給で成り立ってることを想えば、小笠原と同じなのかもしれないと感じました。

(文・ネイティブ編集長今井尚、写真提供・有川美紀子)



次回のおしらせ

次回も貴重なアカガシラカラスバトの保全について長年取材を続けてきたライターの有川美紀子さんにご登場いただきます。ラジオネイティブ #021「引き継いだ、小笠原を守る熱量 」をお楽しみに!

The best is yet to be,次回も、お楽しみに!

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