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【読むラジオ】#028 感じる経験をさりげなく しまなみ野外学校、がってんさんの伝え方


25年のカヌーガイド経験を生かして

今井 FC今治の夢スポーツで野外教育に携わる木名瀬裕さん(がってんさん)とのお話も最終回です。がってんさん、そもそも野外教育の世界に入られたきっかけはなんだったんですか?

がってん 今、52歳になるんですけども、もともと25年間ぐらい北海道でガイド業をやっていました。ガイドをやるきっかけがの一つが阪神淡路大震災だったんです。人と自然がもう少し近づけばいいなと思ってやっていたんですが、また東日本大震災があった時に、自分がどこまでそういうことを表現しきれていたのか、どこか世の中を変えたいという妄想があったんですが、変わっていないことにすごく気が付いたんです。
それと同時に、僕もだんだん年齢が上がってくる中で、自分が今後どういう表現をしながら人と関わっていきたいかと思った時に、数ではなくて、例えば10人と関わることによって、その10人がまた10人と関わってくれる方が、今の僕に合うのかなという思いがあったので、今治で活動を始めて6年を迎えています。

村上  がってんさんは小さいころ、野外と近い場所で暮らしていたりとか、どういった少年だったんですか?

がってん 家庭環境で言いますと、いわゆるサラリーマン層ですが、ただ父親も若干変わっていたんです。富士山の頂上にレーダーを設計したんです。なので自然の中で何かをやるみたいなのが多くてですね。そのかわり結構厳しかったかなと今でも思います。
ただそれよりも、自分の中の好奇心が強くて、もっと世の中には何かいろいろなことがあるんじゃないかなと、小さな頃から思っていました。中学校のころに夕日を見たいみたいなと思い、それをきっかけに日本を横断して歩いてみたりだとか、そういう少年でした。

薪に見えた柱、U字溝で煮炊き

村上 阪神大震災がきっかけということでしたが、具体的にはどんなきっかけだったんですか。

がってん 阪神淡路大震災のとき、僕は北海道の山の中で、凍った湖の上に氷で教会を作ったりすることをしていたんですが、そんなことをしてるところに神戸で大きな地震が起こり、知り合いが、どこでも生きていけるようなお前だからちょっと手伝いに来てほしいと声をかけてくださったんです。
 そこから山から降り、車でフェリーに乗って向かうんですけども、たどり着いてみると本当に大きな街がなくなっていた、あるいはそれに近いような状況になっていまして、寒さに震えてたりだとか、どうしていいかわからない人たちの状況を見た時に、申し訳ないけど僕には崩れた家の柱が薪に見えたので、その崩れた家の柱をチェーンソーで切って暖をとれるとか、U字溝を外してかまどを作ったりとか、そういうことをしているうちに、こういうことが僕には役割としてできるかな、仕事にしてみようってふと思ったんですね。
それでカヌーにテント、寝袋、鍋、釜、食器を積んで、5日間、毎週水曜日に出て日曜日に帰るという生活を業としてやろうと思って、その中でいろんな人と出会っていくようになりました。

村上 お手本のない世界のように僕は聞こえたんですが、答えのない正解のない。しかもそれが結構難しい問いだったりもするんですけど、それは迷われたりとか、止まったりしたこともあったんじゃないかなと思うんですけど、そういった時にこの人だったらどうするというような、先ほどお父さんの話もありましたけど、そういった誰かの後ろ姿みたいなものってあったんでしょうか。

がってん そうですね、迷いがあったかと言うと、それで食べてけるとか食べていけないっていう部分の不安は、もしかしたらなかったんです。そういう暮らしを始めた時に、僕はもう畑を作るようになってまして、食べると仕事は別。食べるものは作っちゃえ、みたいな。そういうこともあったし、お手本はもちろんなかったんですけど、いろんな方にお世話になって、期待をしてくれてはいるけどその期待に応えるということではなくて、やりきるから見守っててくださいみたいな、見守っている人がいてくれているから、僕はやり続けられる。そういうのは、いろんなところで出会った親方に、いつも感じてました。

今井 スポーツでの野外活動を始められて6年ということなんですけれども、がってんさんの発見はどういうところがあったんでしょうか。 

がってん 発見というところでは、ガイド業として自然と向き合って人をガイドしてくことが、こんなにも生きるんだなというところにまず気がつきました。野外活動って教育ととらえられることが多いんですけども、教えるとか教わる、学ぶとか、そういうジャンルよりも、感じるっていうことをさりげなく見せ、伝える。そしてその感じたものを共にシェアするっていうことを、ガイド業ではなく野外活動の方で感じたし、 そういった場の空間とか空気感を作り出すとか、そうなってくれたらいいなっていう運びはガイド業の技術がすごく生きてる。その二つがいま合わさって、とってもやりがいがある状況下にいます。

今井 一つのツアーが終わった時に、成功したなと思う時はどういう時でしょうか。

がってん そうですね。まずは単純ですけど、みんな元気に帰っていった後ろ姿が一番いいなと。実はプログラム終了した時に僕、満足したことがないんです。もうちょっとこういうところをゆっくり進めてあげたら、あの子もうちょっと笑顔でとか、悲しかったことにもうちょっと時間をかけて向き合えたんじゃないかなとか。予定通りに解散したことだけが本当によかったのかなとか。 なんかいろいろ終わった後にいつも考えますね。でも切り替えは早いです(笑)

村上  あの今、最後で「切り替えが早い」っていうところに、すごく大事な響きを感じました。僕も閉鎖環境での宇宙実験など、いろんなところでかなり濃い生活をするんですけど、やっぱり帰ればそれぞれの場所に戻って行くんですよね。特に子どもたちとなると、どこかで線引きをする必要が出てくるのではないかと。そこはプロとして。 一番近くにいて、いつまでも寄り添ってあげるんだけど、親にはなれるわけではないので、やっぱりどこかで感情移入しすぎない線引きみたいなのも大事なのかなという気がしています。それが「切り替え」という言葉に少し関係するのかなと思ったんですけど、いかがでしょう。

がってん その切り替え、僕の中ではあります。一番みんなが全体的に仲良くなりすぎた時に言うようにしてることがあって、それは「僕は君達の先生でもなければ親でもないんだ、今を生きる同士だし、仲間なだけなんだ」って。そういうことを、できるだけみんなが仲良くなって絶頂になる前に言うようにしています。友だちと仲間というのを、別に関わりを作ってるっていう感じがしていますね。

村上 いま、がってんの周りには、しまなみ野外学校のたくさんのスタッフの皆さんがいると思うんですが、その皆さんとはどういう関係を築いているのでしょうか。ガイド業は全く未経験の状態でこの野外学校のスタッフに入ってくることもあると思うのですが、どういったことを伝えているのでしょうか。

がってん そうです昨年、新卒の子が二人入りました。新卒の子だと小学校教育で、何時になったら授業が始まります、何時になったらこれを学びますという習慣ができています。自然の場合、もちろん集合と解散時間は決まっていますけど、刻々と変わるものにどう適応していくかっていうことは、全然シナリオにないことです。ですので、言葉は悪いですけど破壊してくところからスタートするので、その辺はすごく時間と気を遣いました。もう1年ぐらいして一つの四季のサイクルを自分の体で感じた時に、2年目、そのサイクルを自分の動きに置き換えるようにと、今ちょうどしつこく言ってる最中です。また経験者の方も、自分が経験してきたことにすがらないようにといいます。「守破離」という言葉があると思うんですけど、基本を学んだけども、その基本を1回自分で疑うと言うか崩して見て、自分でもう一度組み立てて、オリジナルを作っていけよという話をよくします。

今井 暮らしをつなぎ続ける人のことをネイティブとしたとき、がってんさんにとっての「ネイティブ」あるいは「ネイティブになる」という事はどういう事だと思いますか。

がってん そうですね、悩むな、悩むけども、適応していく自分を結構楽しんでいるところがあるので、「大変だけれど、変化は恐れません」みたいな所、それがネイティブかなって思います。

(文・ネイティブ編集長今井尚、写真提供・がってん)

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