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復興。それは、心にゆとりを感じる瞬間が訪れること

暮らしをつなぎ続けるヒントを考えるポッドキャスト「ラジオネイティブ」を、テキスト版でお伝えします。今回は熊本県益城町の町職員で、まちづくりの仕事をされる桑原孝太さんの最終回です。

がらりと変わった公務員のイメージ

今井 今回は桑原さんご自身についてお聞きしたいんですけど、桑原さんは益城町でお生まれになったんですか。

桑原 生まれは熊本県八代市というところだったんですけど、幼稚園に入る前までは福岡県の方に住んでいて、幼稚園に入る前に益城町に引っ越してきました。

今井 どういう子供時代を過ごされたんですか。

桑原 サッカーをずっとしてたので、もうそれをずっとひたすらやってた記憶しかないですね。小学校からずっと、大学ではサークルだったんですけど、ひたすらサッカーっていう人生でした。

村上 ポジションはちなみにどこだったんですか?

桑原 ポジションは、左サイドバックとか、長友選手とかあのポジションです。

村上 エネルギッシュで、最後の砦は俺に任せとけ、みたいな。ちょっとそういうイメージは今回で4回目ですけど、お話を伺う中での桑原さんのイメージと、少し重なる部分もあるのかなと思います、何か影響ありますか?

桑原 継続してやり続けてきたことは、すごく今に生きてますね。

村上  被災されてた時というのは大学生ですね。

桑原 大学3年でしたね。

村上 春ですね4月14日。後半、卒業するまでは大学に行けたんですか?

桑原 3年の前期はほとんど休みました。テストだけ受けました。

村上 その後に、就職活動があって、最終的に益城町の役場に入られるわけなんですけど、地震が起きる前は町職員という職業に対してどんな印象を持ってたんですか?

桑原 これ言っていいのかわからないんですけど、めっちゃくちゃネガティブなイメージ。公務員といえば、これ、すごく語弊があるんですけど、本当にぬくぬくと仕事して定時に帰って、それなりにお給料もらっているって感じだったんですけど・・・

村上 合ってるか合ってないかはさておき、そこまでのイメージだったのに、それをガラッと変えてくれたきっかけがあったんですか。

桑原 本当に熊本地震のボランティアの時にそこにいらっしゃった、町の職員で、今は今の課の課長をされてるお二人なんですけど、その方々が、震災当初のバタバタで、昼夜問わず色々作業されてる中で、得体の知れない私みたいな人をボランティアとしてすんなり受け入れてくださったっていうのは、すごく感謝してます。また一緒に働く中で、公務員のイメージがガラッと変わったんです。

村上 どういったところを見て桑原さんはキュンとしてしまったというか、具体的なエピソードがあれば。

桑原 震災直後ってかなりバタバタしてて、避難所がごった返していて、気持ちが休まる間もない中で、職員の方もいち被災者でありながら、住民の方と対話したり、物資が行き来する中で自衛隊の方と連携をとったり、本当に常に動いてらっしゃって、うわー公務員ってこんな仕事してるんだ、すごいなーって思ったんです。

村上 当時、桑原さんが見たお二方っていうのは、おそらくこれまで被災経験をしたわけでもないと思うし、そういう仕事のために普段から訓練をうけていたわけでは決してないと思うんですよ。にもかかわらず、実際、そういう状況に陥ってそこで仕事をする。しかもその仕事が公務員に対してネガティブな気持ちを持ってた人の心を打ったわけじゃないですか。そこは普段培ってきたものがあるからこそと思うんですけど、桑原さんは今、その普段の培う時間を過ごしているんだと思うんですけど、その時間から見て当時を振り返るとどうですか。

桑原 そうですね。心を打ったというか、すごく好きだなと思ったとこになるんですけど、単純に町のことが好きなんだなとすごく感じました。住んでる一人一人の方のために、自分を犠牲にしてまでより良い生活をしていただこうというところを、言葉で語らずとも背中で見せてくれたと言うか、私もそうなりたいなって思えた瞬間だったというのがすごく印象に残ってますね 。

暮らし続けるヒント、それは町を好きになること

今井 まちづくりのしごとをされる桑原さん。思い描く目標というか、どういう最終到達点を目指してお仕事されてるんでしょうか。

桑原 やっぱり復興のゴールって確かに見えなくて、一人一人の中でみんな違うのかなと思ってるんですけど、私の中ではやっぱり一人一人住んでもらえる方が心にゆとりを感じる瞬間が訪れることが、なんか復興に近づいてるのかなって思います。 例えば建物建てますとか道路作りますとか、そういったモノって、たぶんできてしまえばそれは復興事業になってくると思うんですけど、それ以上に、人の心が大事だなってすごく感じていて、町が好きだとか、この町に住んでいて良かったなって思えた瞬間というのは、復興のためのゴールの一つになるのかなって思います。ですが自分自信それをどうしていくか答えが見つかっていない状態なので、今できることを一つ一つやっていくしかないのかなと感じています。

村上 今年もそうでしたけど、この5年間でも、大雨とかは毎年のように起きています。地球環境的にすごく変化も大きいので、いろんなことが起きて来ているなか、心の安らぎは一人ではないんだと思うし、町とともに安らぎを得てくってのはどういうふうに描いていますか。

桑原 住民の人だったり業者の人だったりも含めて、町の中だけじゃなく、町内町外問わず一つになっていくことですかね。震災から5年が経って、もしかしたら震災がちょっと風化しつつあるところもやっぱりあると思うんですけど、次のゴールに向けて進んでいくためには、何回も言っていますがいろんな人と話をしながら進めていくことが、気持ち的なところも形的なところでも復興が出来上がってくるのかなって思います。

村上 桑原さんの話を聞いてると、いろんな方と会話をしながらそれを積み重ねながら明日の益城町の新たな物語を描いていく作業なのかな思うんですけど、益城町の復興の物語ではなくて、桑原さんご自身の物語。5年前の震災というところから大きく物語が変わって今に至っているわけですが、ここから桑原さんにはどんな物語がスタートしようとしてるんでしょうか。

桑原 物語的にはすごく一番展開が広がった時間だったなって思いますし、当然、なかなか経験できないことを様々経験した時間でした。町にたくさん学ばせてもらったので、それを町に対して返して行きたいと思ってます。

今井 僕たちは「ネイティブ」というキーワードを立ててこの番組を続けています。ネイティブとは、いつまでも暮らしを続けるための知恵や技を持つ人のことを指しています。桑原さんの考える、暮らしを続けていくための知恵はどういうところにあると思いますか。

桑原 暮らしていく中での話なんですけど、自分が囲まれた環境、私だったら益城町なんですが、そこを好きになれるっていうのが暮らしをしていく上で一番大事なところなのかなと思います。私自身は熊本地震で町をより好きになることができたわけですが、そのきっかけで多分どこにあるのかわからないし、突然転がってくるものだろうなと思います。好きになるっていうことがすごく重要なのかなって私は思ってます。

(文・ネイティブ編集長今井尚、写真提供・桑原孝太)

次回のおしらせ

神奈川県横浜市の「象の鼻パーク」を中心に、アートによるまちづくりをすすめる大越晴子さん(スパイラル/ワコールアートセンター)にお話を伺います。アートの力がどうまちづくりにかかわるのか、お楽しみに!

The best is yet to be!

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