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限界集落で生まれる新たなコミュニティーの可能性

土地の魅力を置き換えながら残していく

今井 3回前からのゲストを振り返ると、石川県加賀市の大土町という人口1人という町に関わる映像作家の木村紀之さんにご登場いただきました。その後、ガラリと場所は変わって北海道白老町で彫刻家をされる国松希根太さんですね。1980年代から始まった飛生アートコミュニティーというところを拠点に制作活動されている方でした。同じ場所で、今、アートを中心としたコミュニティー作りをしている木野哲也さんに前回までお話を伺ったという流れでした。

村上 このお三方に共通している、特に最後のお二人、国松さんと木野さんは同じ白老町からから出ていただいたので当然なんですけど、木村さんも含めて、そこには限界集落あるいは過疎、そういった地方都市の、やや行きづらいという共通点がありました。そこには自然とかいろんな観点からすれば宝の山と思う人もいるかもしれないけれども、ある種の経済合理性みたいなところになるんでしょうか、そういったところからはややちょっと外れてしまっている地域で、そこをポジティブに捉え直すっていう文脈で共通していました。
それぞれ木村さんは映像作家で、過去の映像を掘り起こす活動をされていて、国松さんに関して言えばご自身の作品を作る、そこにはこの地域で見てきた風景や、歩いた歩数から生まれてくる感覚とかを作品に落とし込んでいくであるとか、木野さんに関してはそれを実際にその場所で森というところを通じて、そこに作品であるとか、森に手を入れることによって、人を集める場をつくっていくみたいなところで、三者三様ではあるんですけども、通じていたと思います。
僕がすごく印象に残ってるのは、語り部とかではなくて、何か別の「メディア」と言っていいんでしょうか、その物を置き換えながら残していく。それは多分、お三方が仮にそれをすることを今やめたとしても、当面残るものなんだと思うんですよ。
映像アーカイブみたいなものは木村さんが手を動かしたことで残っていくし、国松さんの作品は作品として残っていくだろうし、木野さんに関しても人ではあるものの、あれだけのコミュニティが育っていると、次世代その次の世代がおそらく記憶としてもうコミュニティーとして残るんじゃないかなって思います。なるほどこういうふうに残すっていうのがあるんだなって、僕ははっとさせられたこの3回だったんですよね。


今井 なるほど。私が感じたのは、まず一つは、あるコミュニティーにかかわるときに、まず自分がそこで何をしたいのかっていうのをはっきり持つことがすごく大切なのかなと思いました。皆さん、基本的には生まれた土地とかではなくて、新たなコミュニティーに入っていった人たちでした。

村上 そうですね、訪問者でしたね。

今井 それがそこに根付いていく過程には、「あなたは何者なんですか」「あなたは何ができる人なんでしょうか」っていうところが、はっきりまず「個」という自己をしっかり持っていることが物に残していくっていう活動もそうなのかもしれないし、コミュニティーづくりが専門なのかもしれないですけれども、いずれにしても、新たな地域に住むこと自体が目標だとか、その町に定着することが目的とかではなく、あなた自身が何をやりたいのかがはっきりされているからこそ、その地域の人たちも「なるほどこの部分はできるよね」みたいなことで、そこにコミュニケーションが生まれるのかなって僕は感じたりしました。

村上 今井さんがおっしゃったその観点、面白いんと思うんですが、僕はなんか順序が逆じゃないかなって思ったりもするんですよね。自分ってものがはっきりあって、そこからコミュニティーが生まれるというより、多分もう訪問者で、あんた何者なの?みたいなことを、いや、そんな自分の個と向き合うつもりで来たわけじゃないんだけど、問われると、それって何か言われて初めて言語化していくっていうか、はっと気づく。生まれ育っちゃうと問われることが多分ないので、そこは多分言語化も何もないんだと思うんですけど、やっぱり訪問者であるからこそ、そこで長く結果皆さんずっと根を下ろしてるわけじゃないですか。根を下ろせたってことは、ある意味結果論として、言語化できたから居場所を作った。それがだからコミュニティーありきで自分ができていったのかなっていう気も、何か今の今井さんのお話を聞いて改めて思ったんですけど、どうですかこの解釈は。

今井 そういう面もあるかもしれないなと思いました。なんだか「ニワトリが先か、卵が先か」の話なのかもしれないですけど、そこは表裏一体なのかなっていうか、お互い問われつつなのかなと思いました。

コミュニティーの生まれるとき

村上 今井さんが「個」と「コミュニティー」という二つのキーワードを出していただいたんですけど、その順はともかくとして、やっぱりその個、そしてコミュニティーみたいなとこ、やっぱすごく強く印象に残りましたか。

今井 そうなんですよね。例えば、加賀市で活動されている木村敬之さんは、元々はそのドイツの方にいらっしゃって、映像ワークショップと日本語に訳されるようなコミュニティーがドイツにあったっていうことで、そこにすごくインスピレーションを受けて、加賀にきたってことがありました。国松さんと木野さんはまさに飛生というところを中心にコミュニティーを作ってらっしゃるっていうところが一つ、共通してるところがあって面白いなと思ったんです。あなたは何者なんですかっていう「個」は確かに大切な一方で、その場所に暮らし続けるには、仲間っていうのはやっぱり絶対必要なんだろうなと。自分っていうものから、少し小さなコミュニティーをその場所につくり、それは居場所みたいなものなんでしょうかね、それを確保することがやっぱりすごく大切なことなのかなと思いました。小さなコミュニティーに居場所があればこそ、地域というか街全体というより大きなコミュニティーへの交流が生まれる。そんな気がします。
木野さんでいえば、「町に下りていく」っていう言い方をしてましたけれども、小さな仲間内だけで止まるのではなくて、地域の方に繋がりをさらに腕を伸ばしていくみたいなことが可能になっていくのかな、なんてことが僕は面白かったなと思ったんです。


村上 そうですね、例えば木村さんで言うと、その仲間というのは誰になるんですかね。

今井 そうですね、映像ワークショップの活動を通して繋がっていた人たちなのかなって思ったんですけど、そういうのを目標にしているというのがあったので、そういうことを目指されてるのかなというふうに私は感じたんです。

村上 なるほど、なるほど。何で「どなたになるんですか」って具体的にイメージしようかなって思ったかというと、ちょっと僕に置き換えてしまうんですけど、僕も自分でやっていた活動に、今井さんも含めて仲間と一緒に少しずつやらしてもらってるときに、果たして仲間っていうのは、またニワトリ・卵になっちゃいますけど、仲間ありきなのか、結果的に仲間なのかというところが、このお三方はどうだったんだろうなって、今ふと思ったんですね。
外から訪問者としてやって来たときに、仲間に該当する人って同じく訪問者なのか、あるいは地元の方なのか、元々友人で始まったケースもあると思うんですけど、それこそ国松さんと木野さんの間は多分そうだったと思うんですけど。それは最初の小さなきっかけかもしれないけど、その後ずっと続いていくためには、どっちかというと今の仲良しグループの仲間じゃないと思うんですよね。
何かある種の理念っていうか目標みたいなことを一緒に見たい人たちと活動を進めていったり場作りみたいのをしていったりする中で、結果として、友達とも言えるような仲間みたいな同志みたいになっていったのかなって、何か後者のようなイメージがあってですね。
そうするとまた今井さんが言うそのコミュニケーションって言葉に戻っていくのかもしれないんですけど、やっぱりそのおぼろげなもの、例えば僕らが今やってる活動も、今でこそ少し言語化できるけど、始めた当初は何か自分たちもよくわかってないみたいな状況でした。たぶん皆さんも同じような時間をくぐり抜けてきたような気がするんですよね。「ふわふわしてるんだけど、惹きつけられる何か」みたいなのがないと人は集まらないし・・・

今井 そうですよね。飛生の話を伺っている限りにおいては、そこが多分あいまいであることの方が、間口を広げてるっていうことがありました。より多くの人たちが関わることになるわけですし。木野さんもおっしゃってたんですけれども、アートということを掲げてしまうと、どうしても敷居の高さというか、そこに関わることにはなかなかちょっと、特に地元の人とかであれば距離を感じてしまうけれども、そうじゃない人が8割なんですみたいな話もありました。
一方で、国松さんは一番アート寄りの人って言っても過言ではないと思うんですけれども、他の人たちが入ってくることによって、作風に変化が生まれたりとか相乗効果があったりとかするっていうことで、何かふわふわはしてるんですけども逆にいろんな人が入る余地があった方が、結果うまくいってるんだなっていうのはお話を聞いていて、結果論としてそういうことを感じました。

村上 そうですね。確かにふわふわっていうところも2種類少なくてもあって、言語化できなくて仕方なくふわふわしてたものと、なんかそれこそアートみたいに言い切れるんだけど、あえてそれをふわふわのまま残しておくっていう二つが少なくともあって、木野さんのお話の中では「言い切らない」とか、ストーリーみたいなものは伝えるんだけどそれは言い切れなくていろんな解釈があるように多分意図的にしていたと思うんですよね。

今井 確かに。

村上 そういった意味で、自分なりの色がつけられるというか、自分なりの見方でできるっていうのはすごく大事な要素なんじゃないかなっていうふうに感じました。
(文 ネイティブ編集長・今井尚)

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次回のお知らせ

次回も村上祐資と今井尚がこれまでの数回を振り返ります。人はコミュニティーを通して何を見ようとしているのか、継続的にかかわり続けるために必要なこと、あるいはどのような関わり方が、双方にとって無理のない形なのか、引き続き考えます。


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