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より自分らしい時間を過ごせるか、それがガイド業で大切なこと

伝えたこと、受け継いだこと

今井 今回はゲストを二人お呼びしています。25回目にお越しいただいた愛媛県今治市でしまなみ野外学校で野外教育活動されている木名瀬裕さん、がってんさんとお呼びしていました。それと37回目からご登場いただいた北海道天塩川でカヌーガイドをされている辻亮多さんです。
がってんさんは、辻さんの師匠にあたるんですよね?

がってん 師匠と言えば師匠です。どうなんですかねぇ・・・

辻 師匠ですよ!

今井 まずはがってんさんにお聞きしたいんですけど、辻さんの回を聞かれ、どんなところが一番印象に残ったでしょうか。

がってん 僕は北海道を離れて6,7年たつんですけど、風景がつかめるんです。においが見えるというか、感覚的に。ずっと一緒に動いてた期間が長いので、こういうことを、こういうふうにやってるんだなって見えるような雰囲気がありました。

村上 辻さん、どうです?

辻 ほめていただいたなと思います・笑

村上 辻さんは、がってんさんの回は聞きました?

辻 僕ががってんのところで活動していた時、がってんはガイドが生業だったんです。けれどもそこから今治に行って、新しいことを始めて、なるほどこういうことがしたくてガイドじゃなくて新しい世界に行ったんだなっていうのが分かった気がしました。

がってん 実はガイド業と僕の今やっていることって、離れてないけど離れてるというか、表現が難しいんだけども、自然と人の暮らしをどうにか近づいてくれたらなと思ってガイド業のころからずっと活動しているんだけども、今の方が僕としてはワクワクドキドキすることが多いかなっていう気がしますね。

辻 より、らしいことをやってるんじゃないかなというような気はしますね。エッセンス的というか、ミッション的というか、そういうところに進んでたのかなーって思います。

がってん ガイド業だと、絶対この先はこうなってはいけないというのを僕の中だけにもっているので、それを超えることはしないんです。でも今やってることは、自分のボーダーではなくて一人一人のボーダーをどう超えさえるかということなので、真逆の時もあるんです。それが今僕ができる限界の面白いところかなと。

村上 辻さんは今の言葉を聞いて、イメージがピタッと合いますか。

辻 がってんのいうことは、そういうことなんだろうなってのはよく理解できますね。

辻 両方かなと思いますね。一緒にやりながら見て覚える。がってんになりきって覚える、ガイドとはこういうものだというのをまずはがってんになりきって覚えました。型ですね。がってんの型を自分の中に持てるように努力していく。その型を身につ行けていく中で、自分の価値観みたいなものが出来上がっていく。そして独立したとき、その型をもとに自分らしい型に、僕が今新しく活動しているフィールドだとか、新しく来てくれるゲストだったり、自分がこの土地でやりたいなということに、がってんから受け継いだ型をもとに、ガイドを展開していく、そんなかんじですかね。

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ガイド業は、職業というより生き方

村上 さっきがってんさんからは、ミッションをやってるような感じという言葉もありましたが、今はそこから次のフェーズに行こうとしていて、実際それをやっている。次のフェーズに行くっていう感じはがってんご自身も持っているんですか、感触として。

がってん 感触としてはありますね。実はよく亮多とか、うちで一緒にやっていたガイド仲間と「ガイド業は、けっしてガイドだけで食べていく感覚じゃないよね」っていう話をずっとしていたのを今思い出しました。ようは、ガイド業をやっていない時間に地域の子どもたちと一緒に自分の知ってるフィールドへより多く出かけることや、地域活動であったり。食べるために外貨を稼いでるのであれば、食べるものさえも自分で畑で作ってしまえばいいんじゃないかとか。つまりどうやって最も自分らしく時間を使うか。それがガイド業の一番大事なところかなと思うんです。そうであればいろんなところでやっていける。僕はガイド業のあり方って、町の中での一つのコミュニティーづくりだと思っているんです。
そこから僕は飛び出して、ガイドという下支えを持った自然観を持って、それを若い世代にどんどん伝えていくことができたのは、ガイド業っていうのは絶対に生きて返すというか、お別れの時に「元気で帰ることができた、良かった」っていう安堵感。これがやっぱりガイドの一つ嬉しいところであるんですが、裏を返していうと、どんな環境下でも最後の一線を超えないで引率できる。その技術とか感覚を後世の若い人たちにもう少し分かりやすい形で伝えるにはどう手段になるのかなって、今のスタンスへ移った感じです。

村上 がってんさんはガイド業をやっている過程で、辻さんも教えていました。次を継いでくれる人がいるっていうのも、今に影響をしていたんですか。

がってん 僕はそれが一番大きかったですね。 ずっとやってたガイド業の中で、若い世代が日本各地でガイド業をしてくれる。それがあったから出れたっていうのもある。おじいちゃんになった気分はないんですけど、良かったなーと思いますね、本当に。

村上 辻さんに伺いたいんですけど、今の天塩川を、がってんと同じように離れるみたいな次のフェーズを考えながらやっていたりしますか。

辻 今後どうなるかはその時その時でわからないんですけど、今の気持ちとしては、このまま天塩川あるいは北海道北部をベースに、まだまだやっていきたいことがあるなあと思ってます。

村上 辻さんとしては、がってんのところに追いつこうとか、ここまで来たら大丈夫じゃないかなとか、ここまで行かなきゃいけないとか、そういう意識はあったんですか。

辻 やっぱりカヌーを扱うガイドだったので、その部分はかなり一生懸命やったつもりではいるかな。 普通の会社と違って、ここまでやったら部長に昇進というのがあるわけではなく、自分でどんどんできることをやっていく。 いうなれば今までがってんがやっていたものを、どんどん自分がやっていく。がってんは僕が勝手にそれをやっていくことを、お前まだそれやるなとか、そういうことは言わなかったです。それでいろいろ失敗したりもしたかもしれないですけども。

村上 例えば昨日までがってんと一緒にやっていたのが、今日から自分でやることになった瞬間の気持ちは、満足感なんですか、それとも怖いとか、どういう感情なんですか。

辻 それはいろいろですね。気持ちがゲストに向いていることが一番大事で、がってんの仕事をできるようになるっていうのは、がってんのサポートをするためでもなく、がってんのようになるわけでもなく、ゲストのためにやるっていうところが一番なんですよね。ですので、がってんに対しての緊張というよりは、ゲストに対しての緊張の方が大きかった気がします。

村上 ずっとお二人はそこが根底に共通してると思うんですけど、ともするとフィールドに出る人達は、ゲストのためというよりも自分の体験のためっていう人の方がむしろ多い気がするんです。それを好む人もすごく多い領域の中で、当たり前のように「ゲストのため」といえるのは、どうなんですか。

辻 がってんのものを見つつだと思います。冒険の部分というのは必要なんですよね。仕事の中では出さないのかもしれないですけど、自分の時間が出来れば自分の限界を引き上げるようなことはやるんですけど、やっぱりガイドなので、自分の楽しみは必要であると同時にやっぱりゲストの前でいいガイドをするための糧みたいなところの方がガイド業をしている僕としては大きかったかもしんないですね。
(文・ネイティブ編集長 今井尚、写真・辻亮多提供)

次回のおしらせ

愛媛県今治市の野外自然学校で野外教育活動をする木名瀬裕さんと、その弟子で北海道美深町でアウトドアガイドをされている辻亮多さんに、ガイド業を通じて伝えたいことを聞きます。お楽しみに!

The best is yet to be!

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