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森の中に残る、人口1人の町に出会って

石川県加賀市山中温泉大土町。かつて炭焼きで栄えたこの町は、いまは一人の住人が残り、町を守っています。ドイツで活動していた映像作家の木村悟之さんは2018年以来、この町とかかわり続けています。

森の中に残る丸い村

村上 今回から石川県加賀市の木村悟之(のりゆき)さんにご登場いただきます。映像作家として活動されています。今、加賀だけではなく、いろんな場所で人口が減っていったりとか、伝統が途切れるみたいなことが起きていますが、木村さんや木村さんの周りにいる人の方々は、映像を通して、僕の雰囲気で言うとなんとなく風通しをよくして、木村さんたちの存在みたいなところから、いろんな人たちによって文化がうねりを作ってまた息を吹き返すみたいな、そういう活動されてるように僕には見えるんです。いわゆる言葉で言えば、映像作家として活動されている木村悟之さんになります。どうぞよろしくお願いします。

木村 よろしくお願いします。

今井 さっそくですが、石川県の山間にある大土町に2018年から通われてると伺いましたけれども、ここはどんな風景の町なんでしょうか?
※注 石川県加賀市山中温泉大土町(おおつちまち)が正式な住所です

木村 そうですね。風景としては僕の中では、いかにもな山奥の集落。それこそグーグルマップなんかで見ると明らかなんですけど、本当に周りは木の緑の中に、ポツンと丸い集落の円形があって、大体直径で200メートルぐらいですかね。本当にコイン状にポコッとそこだけはげてるみたいな状態であります。

村上 住民の方もいらっしゃるんですよね。

木村 そうですね。現在のところ、住民は1人。いわゆる限界集落っていうやつですね。

村上 木村さんは何がきっかけで訪れたんですか。

木村 僕自身が2018年にそれまで住んでいたドイツから加賀市に引っ越してきました。とりあえずの住むところはドイツから遠隔で友人に不動産屋さんに尋ねてもらって、ちょっとビデオで撮ってもらったりしながら、住まいは決めていたんです。でも、ちゃんと住むところをどこにしようっていう感じで加賀市内をいろいろ回ってたんです。結構奥の方まで行って、山奥にある集落みたいのを見て、うわーこんなボロボロの家ばっかりなんだと思ってたんですけど、「さらにその奥にもまた集落が一つだけあるんですよね」と言われ、それはちょっと興味ありますねって見に行ったのが初めてですね。


村上 そこには住むかもしれないという目線で見に行ったってことですか。

木村 そうですね、心ときめけば住みたいなと思うかもしれないという心構えです。

村上 心はときめかなかったってことでしょうか、いま住んでいないということは。

木村 いや、実際のところ、僕すぐときめいちゃいまして。ここに住みたいって思ったんですけど。1人しか住んでいないってのはまずどういうことなのかとか、異様に綺麗なんですよ、集落としては。雑草がちゃんと刈ってあって、田畑が揃っていて、家も割と綺麗に整っているっていうような状態で、ちょっと意味がわからずに、まず調べるところから始めてたっていう感じでした。

村上 調べていく過程でどんなことがわかってきたんですか。

木村 その1人の住民は二枚田さんという方なんですけれども、その方が僕の想像を超えたような、何て言うんでしょう、集落に対する愛情と、それに費やす労力と、もの珍しくて入ってきてはとっちらかして出ていく人たちも許してあげるみたいな、心の広さを持ったすごく魅力的な人だったっていうのが、まず最初にありました。
最初のうちは住むことが前提にあって、二枚田さんにも、ここに住むにはどうしたらいいんですかね?と聞いていて、「うーん、どうしようかねー」などと二枚田さんも困るみたいな感じで、「めちゃくちゃ不便だぞ、大丈夫なのか?おい」みたいなことを言われました。
そのとき二枚田さんのおなかの中には「そういう人は何人も来るけど、きっとまた半年か1年とかで興味がなくなって来なくなるんだろう」みたいなところもあったと思うんですけど、でもいろいろ対応してくれて、空き家になっている家の持ち主を紹介してくれたりもしました。
ただなかなかですね、手放してくれないんですよ。3軒ぐらいは当たったと思うんですけど、自分の家として使ってはいないんですけど、生まれ育った家なのでそこはまた別というか、売るとか貸すとかっていうのはあまり皆さん考えられない状態です。

村上 そうすると現状としては、ただ建っているだけで、持ち主の人は通ってくるんですか。

木村 そうですね。県外の遠いところ、関東とかにいらっしゃる方も多くて。今のところ10軒の家があるんですけど、2、3軒の方かと思います。

村上 家って人が住んで風通しを良くすれば維持できるけど、本当にいなくなったらすぐに朽ちていくのも、特に木造の住宅って早いと思うんですけど。

木村 そうですね、そこがちょっとまた不思議な現象が起きていて、中はやっぱりかつて住んでいた頃のものが段ボールに入ったまま湿気にふやけて倒れていたりとか、動物が入り込んで糞をしていたりとか、ちょっと汚い状態ではあるんですけれども。外観に関しては国の重要伝統的建造物群保存地区として、保存すべき家屋の地域に指定されていて、壁とか屋根の修繕は誰も何も言わなくても1軒ずつ修繕が加わっている状態なんですよ。

人が離れていった炭焼きの山村

今井 少しだけこの町のことがわかってきた感じですが、大土町は住民が1人っていうことだけでもかなり驚いたんですけれども、二枚田さんという方は、どういうふうに暮らしていらっしゃるんでしょうか?

木村 そうですね。僕もお酒など飲み交わしながら聞いているので、ちょっとうろ覚えなところもあるんですが、今多分68歳ぐらいだと思うんですね。二枚田さんはそこで生まれ育ったんですけれども、高校を出てすぐに大阪に就職して、村を出ているんです。だいぶ経ってから加賀市自体には戻ってきて、ご家族で住まわれてたりするんですけれども、大土町には戻っていなくて、実際に戻ってきたのはそんなに昔の話ではないと思うんです。大土町自体も1回は住民が0人ということも多分経験しています。


村上 木村さんはいつも二枚田さんと一緒にいるわけではないと思いますけど、二枚田さんはふだんどんなことをされてるって見ていますか。

木村 実際に行くといつも一生懸命、農作業をしています。畑をやっていたり、草刈っていたりっていう感じなんですけど。その上、毎月のようにボランティア団体から派遣される大学生たちを受け入れているんです。それは2泊3日の短いバージョンだったり、2週間ぐらいの長期にわたるものであったりとかするんですけれども、とにかく月に1回はそれが入っていて、その子たちの面倒を見ながら、いわゆる農作業体験とかをさせているっていう状態です。

村上 その農作業で、そんなに収穫量も期待できないのかなと思うんですけど、それがメインというわけではないですよね。

木村 ですね、おそらくなんですけど、リタイアするまでは就職して働き続けた方なので、基本的には年金暮らしっていう形で、収穫量は二枚田さんが食べる分にはもう全然十分なぐらいと、そういう感じだと思います。

村上 木村さんの知る限りで結構なんですけど、人数の増減について、どういうふうに増えていって、減っていってみたいな話は聞いていますか?

木村 僕もちゃんと歴史的な経緯を把握していないので申し訳ないんですけれども。僕の妻が代表として、僕も共同代表としてやっている「映像ワークショップ合同会社」というところで、加賀市の事業の一環として、大土町のアーカイブをやっているんですね。そこで写真を集めたり映像を集めたりして、それらをデジタル化して整理して、誰でも見れるような状態にするっていうのがその業務ですけれども、大土町にはたくさん写真が残っていて、それらを見る限りの話をさせてもらいます。1960年代半ばまでは小学校の分校があって、まだかろうじて子供がいました。その60年代を最後に、分校がなくなり、住民はほとんど老人になり、そこから衰退していって、1度は廃村していたような気がします。

村上 どんどん住民が外に出ていってしまった理由というのはどういう理由なんでしょうか。

木村 一つにはやっぱり不便ですね。とはいえ今の感覚で言うと、車で30分ぐらいでコンビニがあるような街に出られるんですよ、温泉街に出るんです。昔の感覚で言うと、もっと道も荒れてただろうし、特に冬になるとかなり急な山道を車で行くには相当慣れてても怖いぐらい滑りやすいです。あと雪が2メートル近く積もるので、冬はもうほとんど中にこもっている状態になると思うんです。

村上 大土の一帯は、何かしらそこにとどまる理由というか、そこでなりわいをする理由があったんだと思うんだけど、それは何かリサーチの中で見えてきたりしていますか。

木村 実際にその作業が写真に写ってたりはなぜかしていないんですけれども、ある事件が1938年に、集落全部の家屋が焼ける事件、大火事があったんです。その話を伝って二枚田さんに聞いていくと、村のなりわいは基本的には炭焼きだったっていう話ですね。
 日中は炭焼きのために男の大人は山の中に入ってしまって、山の中に炭焼き工場とかを作って、日中ずっと働いて、夜になって戻ってくるみたいな状態だったらしいんです。火事は男が全員いない間に、子供が遊んで燃やしてしまった火が村中に回ってしまった。村には女性と子供だけで、男手がいなかったっていうような悲惨な事件と聞いています。

村上 なるほど。その廃村になったのは、そこで焼けてしまったからというわけではなくて、1度は立ち直ってっていうことですか。

木村 はい。その頃はまだ70人ぐらいの住民がいて、その方たちが住む分の、それこそ今建っている10軒の家を2人の大工が一気に作り上げた、みたいな話も聞いています。

村上 今みたいな話っていうのも、木村さんがリサーチを会社の事業でしていたりするから僕らも今聞けているわけですけれども、ずっと二枚田さんだけであったとしたら、いずれどういう経緯かってのはわかんなくなっちゃうような形で繋がって聞こえてきた話なんですかね。

木村 本当に今は二枚田さんしかそういった話を把握している人はいなくて、逆に言えば僕らがそれらの、物に関してはできるだけ集めて伝えられるようにしているっていうことです。

今井 私からも一つ質問したいんですけど、国が保存活動してるっていうことですが、その街並みっていうのはかなりその特徴的な建物が残ってたりっていうようなことがあるんですか。

木村 大土町の建物の特徴としては赤瓦で「煙出し」って呼ばれる普通の屋根から一段高くなってて、横から換気ができるようになって、下で囲炉裏が炊けるようなっている家の構造を持っています。

今井 人々の記憶にせよ、風景にしろ、映像として残していく映像作家としての活動が、この町にとっても大切なことなんだなと感じました。

(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 木村悟之)

次回のお知らせ

石川県加賀市にある人口が1人という大土町に関心を寄せ、定点観測をしたり、元町民から過去の映像をお借りしてアーカイブするプロジェクトに取り組んでいる映像作家の木村悟之さんに次回も登場いただきます。映像をアーカイブするとりくみを通して見えてきたものとは。お楽しみに。

The best is yet to be!

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